Recently I Went to a Shinto Shrine and a Cemetery.

最近、次の本を拾い読みし、

とりわけ、410ページ以下の『昭和天皇独白録』をめぐる丸山さんの発言を読む。

また、以前にも拾い読みしていた次の本をあちこち読み直す。

それで興味が再燃して、以下の昭和天皇関連の本を購入し、少し読んでいます。『独白録』はずいぶん前にも拾い読みしていた。今回購入して改めて拾い読みする。前回以上に暗い気分になる。


さて、テレビで見かけるが、今まで行ったことのなかった Y 神社のそばまで用事で来たついでに、その神社を初めて見学してみる。 ちょうど月に数回の神事が行われていた。奥の本殿らしきところで神官と巫女さんが何人か入って行き、お供え物をしているのがわずかに見える。笛の音がどこからか聞こえてくる。あまり大きな動きもないのでしばらく遠くから眺めたあと、その場を離れる。そして境内にある記念館のような博物館のようなところに行く。1階の玄関ホールが無料で開放されており、冷房が効いているので、暑かったから中に入ってしばらく涼む。そこには売店もあり、この神社に関連してくる本を売っていた。昭和天皇を主題にした本があまりないように見える。『戦争を終結させ、国民を救った日本の元首 昭和天皇』というブックレットがあったのは確認できた。他にはこれといってないように見受けられる。特に『昭和天皇独白録』は単行本にしろ、文庫版にしろ、いずれも置いていないように見える。(文庫版は現在も入手可能で、大きな本屋さんには棚に並んでいます。) 元から置いていないのか、それともたまたま品切れ中だったのか、よくわからない。ここに数学の本があれば違和感を覚えるだろうが、『独白録』が置いてあっても、詳しいことを知らなければ、違和感を覚えないだろうし、そのいみで、あってもよさそうな本だと思うのだが…。そこで店員さんに「ありますか?」と聞いてみたところ、「扱っておりません」との返事だった。元から置かれていないのかもしれない。(あるいは、置いていたが置くのをやめたのかもしれない。あるいは、今は置いていないが、明日にも置くようになるかもしれない。) 元から置いていないとすると、たまたま今まで置いてこなかったのだろうか。それとも何か考えがあって置いていないのだろうか。わからない。たまたま置いていないだけなのかもしれないが、わけがあって置いていないという可能性も排除できないように感じられる。上記の昭和天皇関連図書のいくつかをひも解けば、置くに置けないとも言えるだろう。置くだけ藪蛇になる可能性がある。しかし私には真相はわかりません。こうして神社の境内でも眺めるのみで、また博物館みたいなところでも玄関ホールで涼むのみで、それ以上のことは何もせず、Y 神社を出る。2014年9月23日追記: この日記を書いて、ほどなくして気が付いたのですが、『昭和天皇独白録』が Y 神社の売店で販売されていないのは、富田メモと関係があるのかもしれない。ただし詳細はわからない。追記終わり。

それから、この Y 神社の近所にある C 墓地にも初めて行ってみる。こちらは訪問者の数が非常に少ないように思われた。かなり閑散としている。しかも思ったよりも小さな墓地だった。 とても Y 神社とは比べものにならない。そして墓地内の休憩所に入ったが、誰もいない。そこは、事務所の、ガラス張りの一室という感じで、展示品などもあるが、ガラスケースに無造作に詰め込まれている様子で、あまり来訪者を想定していない感じがする。ただし職員の方から気遣いのある言葉をかけていただき、その点では親密感のある施設だった。しばらく休憩所で休み、墓地に訪問者があるか見ていたが、たまに人が来る程度で、しばらく誰もいない時間が続いていたようだ。(実は休憩所からは、墓地内の様子がよく見えない。植えられた植物の間から、人がやってくるのが少し見えるという程度だった。だから、気付かないうちに多数の来訪者があった可能性も否定できないが、とはいえ、ほとんど来訪者はいなかったように感じた。少なくとも休憩所には誰も来なかった。) Y 神社の訪問者は、平日午前中のせいか、多くはなかったが、それでも C 墓地よりかは多かった。外国人観光客と見える人々も Y 神社では見かけられた。フランス語をしゃべる女性とすれ違ったり、アジアからの来訪者と感じられる人もおられたが、C 墓地では、明らかに外国の人、という感じの方はおられなかった。(というか、今も述べた通り、そもそも人がほとんどいなかったのですが…。) この違いは単に両施設の知名度の違いが大きいのかもしれないが、それだけではないものもあるのだろう。

上記の両施設とは別として、この戦争を中心に亡くなられたすべての方々に、相手の国の人々も、こちらの国の人々も、どちらの国に属するのか、簡単には言い得ない人々にも、老いも若きも女性も男性も、すべての亡くなられた方々に、哀悼の意を表します。とてもつらかったろうと思う。