The Paradox of Irresponsibility

先日、戦争責任について考えていた。そこでちょっと面白いことを思いついたので、記してみます。既に誰かが考えていることかもしれませんが、「無責任のパラドクス」というものを思いつきました。とはいえ、本物のパラドクスではございません。ただの詭弁です。ですから、今から記すことを本気にしないようにしてください。

無責任のパラドクス


あなたは罪に問われているとしよう。

あなたはその罪に責任があるか否かのどちらかである。

あなたに責任があるとしよう。すると、あなたは困ったことになる。罪を引き受けねばならないからだ。

あなたに責任がないとしよう。すると、あなたは困ったことになる。あなたに責任がないなら、あなたは無責任だということになり、無責任な人間として非難されることになる。

こうして、いずれにしてもあなたは困ったことになる。

見ての通り、本物のパラドクスではありません。詭弁です。ではどこで詭弁が生じているのでしょうか? 考えてみるまでもなく、すぐわかると思います。


ついでに英語でも記してみます。私は英語の native ではありませんし、得意でもなく、以下の英語に間違いが含まれているかもしれませんし、不自然な言い回しになっているかもしれません。けれども、まぁ、ちょっと面白いので書いてみます。「こんな感じかな?」という英文です。間違っておりましたらすみません。英語の native が見れば、朱筆があちこちに入るでしょうから、この英文もご愛嬌ということでお許しください。

The Paradox of Irresponsibility


Suppose that you are accused of committing a crime.

Either you committed it or you didn't.

Assuming that you committed the crime. Then, you will be in trouble, because you must pay dearly for it.

Or assuming that you didn't commit the crime. Then, you will be in trouble, because if you didn't commit it, you don't have to take responsibility for it, then you are irresponsible for it, so you are blamed for your irresponsibility.

Either way, you will be in trouble.

Of course, this argument is fallacious. Can you show me where this argument fails?


PS

'irresponsible' を『小学館ランダムハウス英和大辞典』 (1979年パーソナル版全1巻) で引くと、とても面白い例文が出ていた。次がそれです。

    • I would love to be as irresponsible as a king. 「国王のように責任を問われないですむようになりたい」


いいですね。'The emperor is wearing nothing at all!' という言葉と共に覚えておきたいですね。



なお、上述の 'paradox' が単なる詭弁である理由は次の通りです。つまり、責任を取る必要がないことと、責任を取る必要があるのに責任を取らず、無責任であることとを混同、同一視することによって、上記の詭弁が生じているということです。

The reason why the above 'paradox' is merely a fallacy is as follows. Having to take no responsibility for something is completely different from having no sense of responsibility. But in the above 'paradoxical' argument, the two different things are taken to be the same. So the argument is fallacious.