Eichmann Before Jerusalem

つい先日、次の論考を拝読させていただきました。

ここでは従来の大部分の方々と同様、Eichmann は命令に従っていただけの小役人として描かれています。


ただし、近年の研究により、そうではないことがドイツで明らかになって来ました。

そのことを伝える文章が次です。

この文章の内容は以前にこの日記でも報告致しました。*1

その一部を再録します。野口先生の文を引用します。Eichmann に関し、

周知のようにアーレントは、600万人ものユダヤ人の大量虐殺が行われたのは「怪物 Ungeheuer」のような悪魔的な人物によってではなく、自分はただ命令にしたがっただけだと言い張る、思考能力の欠如した「道化 Hanswurst」 によってだったと述べた。*2

この「悪の陳腐さ」というアーレントのテーゼは、発表当時は多くの反発を受けたが、今日では広く受け入れられている。少なくとも、日本ではそうだろう。*3

ところが今ドイツでは、[…] こうしたアーレントアイヒマン理解が大きく揺らいでいる。それどころか覆されていると言ったほうがよいかもしれない。*4

「悪の陳腐さ」というアーレントアイヒマン理解は今日の歴史研究の水準からして維持できない […]。*5

その [ような評価の] きっかけを作ったのは、2年前に刊行され、注目を浴びたベッティーナ・シュタングネトによる研究『イェルサレム以前のアイヒマン』 (Bettina Stangneth, Eichmann vor Jerusalem: Das unbehelligte Leben eines Massenmörders, Zürich: Arche, 2011) だった。シュタングネトは、[…] いわゆる「アルゼンチン文書 Argentinien-Papiere」と呼ばれる膨大な資料を渉猟し、アイヒマンが筋金入りの反ユダヤ主義者で、官僚的というよりクリエイティブな殺戮者だったこと、そしてイェルサレムで見せたのは「仮面劇 Maskenspiel」だったことを明らかにしている。[アーレントアイヒマンの本を執筆した] 当時とは比べものにならないくらいに膨大な資料が今日では読めるようになっており、シュタングネトはこれを徹底的に調べあげ、650頁を超える大著として提示したのだ。この研究が出たあと、ドイツでアイヒマンに言及したもので、これを意識しないでいるものは一つとしてない。*6

こうした [シュタングネトの明らかにした] 資料から浮かび上がってくるアイヒマンはたんなる組織の「歯車」ではない。主体的な判断を持ち合わせないグロテスクな「役人」でもない。彼は自発的、自覚的、確信犯的な国民社会主義者だったのだ。となると、イェルサレムの裁判のなかでの「アイヒマン」は死刑を免れるための演技が作り出したもので、それ自体が裁判戦術だったということになる。[…] こうなると、歯車、ハンスヴルスト、「悪の陳腐さ」というアーレントアイヒマン・レポートを無批判になぞることはできなくなるし、それが今日の状況なのだ。*7


さて、つい先ほど気が付いたのですが、上記引用文中の問題作 Bettina Stangneth, Eichmann vor Jerusalem が、この9月に英訳で刊行されたことに気が付きました。以下がその本です。

出版社の説明文を掲載し*8、私訳/試訳を付しておきます。急いで訳したので誤訳している可能性が非常に高いですから、訳文はそのままでは信用しないでください。よくよく読み返しておりませんので、誤訳しておりましたらすみません。

A total and groundbreaking reassessment of the life of Adolf Eichmann − a superb work of scholarship that reveals his activities and notoriety among a global network of National Socialists following the collapse of the Third Reich and that permanently challenges Hannah Arendt’s notion of the ''banality of evil.''

Smuggled out of Europe after the collapse of Germany, Eichmann managed to live a peaceful and active exile in Argentina for years before his capture by the Mossad. Though once widely known by nicknames such as “Manager of the Holocaust,” in 1961 he was able to portray himself, from the defendant’s box in Jerusalem, as an overworked bureaucrat following orders—no more, he said, than ''just a small cog in Adolf Hitler’s extermination machine.'' How was this carefully crafted obfuscation possible? How did a central architect of the Final Solution manage to disappear? And what had he done with his time while in hiding?

Bettina Stangneth, the first to comprehensively analyze more than 1,300 pages of Eichmann’s own recently discovered written notes— as well as seventy-three extensive audio reel recordings of a crowded Nazi salon held weekly during the 1950s in a popular district of Buenos Aires—draws a chilling portrait, not of a reclusive, taciturn war criminal on the run, but of a highly skilled social manipulator with an inexhaustible ability to reinvent himself, an unrepentant murderer eager for acolytes with whom to discuss past glories while vigorously planning future goals with other like-minded fugitives.

A work that continues to garner immense international attention and acclaim, Eichmann Before Jerusalem maps out the astonishing links between innumerable past Nazis—from ace Luftwaffe pilots to SS henchmen—both in exile and in Germany, and reconstructs in detail the postwar life of one of the Holocaust’s principal organizers as no other book has done


アドルフ・アイヒマンの人生に対するまったく新たな見直し  第三帝国崩壊後、世界を股にかける国家社会主義者たちの間で行われた彼の活動と悪名高き評判を明らかにするとともに、「悪の陳腐さ」というハンナ・アーレントの観念を今後絶えず疑問に付すことになる研究の、見事な著作

ドイツ崩壊後のヨーロッパから密かに脱出し、アイヒマンは、モサドにつかまる前、何年ものあいだ、アルゼンチンにおいて平穏で活動的な亡命者として何とか暮らしていた。「ホロコーストのマネージャー」というようなニックネームにより、かつては広く知られていたが、1961年に彼はイェルサレムの被告人席から、自分は命令に生真面目に従いすぎた役人だったと説明してみせることができた。彼は「アドルフ・ヒトラーの絶滅マシーンに組み込まれた一つの小さな歯車にすぎない」と言ったのである。このように巧妙に策謀されたはぐらかしは、どのようにしたら可能だったのだろうか。最終解決立案の主要人物が、どうして正体を消しおおせたのか。それに、身を隠しているあいだ、何をやっていたのだろうか。

最近発見された1,300ページを超えるアイヒマン自身のノートを初めて包括的に分析するとともに、ブエノス・アイレスの下町で、1950年代に毎週開かれた、ごった返すナチの社交会で取られた73本に及ぶ録音テープも同様に分析した最初の人物であるベッティーナ・シュタングネトは、アイヒマンに対し、身の毛もよだつような描写をしており、彼を、逃亡の途上にいる世を捨てた無口な戦争犯罪人としてではなく、別人になりすましてみせる枯れることなき能力を持った、世間をあざむくことのたけた非常に有能な人物として描いており、他の同類の亡命者たちと将来の目標を熱心に話し合いつつ、かつての手柄話をできるような子分を求める後悔など感じていない殺人者として描いている。

世界中から多くの注目を集め、称賛され続けている本書『イェルサレム以前のアイヒマン』は、逃亡して国外にいる者であれ、ドイツにいる者であれ、数えきれないほどのかつてのナチス − ドイツ空軍飛行士のエースから SS を取り巻く連中まで − の間にあった驚くべきつながりを事細かに記すとともに、ホロコーストを組織した主な人物のうちの一人の戦後の生活を、かつて書かれたことのないほどに、詳細に再構成している。

本書における Stangneth 先生の主張が様々な論駁に耐えうるものかどうかは、研究者の判断を待たねばなりませんが、Eichmann が単なる小心者の小役人であったという理解をそのまま素朴に抱き続けることはもはやできかねる状況に入っているのかもしれませんね。たとえ Stangneth 先生の主張が大筋正しいものだとしても、それですぐさま Arendt さんの唱える 'Evil is banal' という見解が全面否定されるものではないでしょうが、それでも Eichmann は心の底から極悪人で、「命令に従っていただけです」という彼の返答は、全部演技だった可能性が極めて高い、ということは、一応心得ておかねばならないように思われます。

英訳が出ていることをたまたま見つけ驚いたので、ちょっと日記を付けてみました。誤解や無理解や誤字や脱字などがあればすみません。おやすみなさい。

*1:2013年9月14日、項目 'Arendt and Eichmann Fifty Years Later: Was Evil Banal?'

*2:野口、「50年後」、53ページ。

*3:野口、「50年後」、53ページ。

*4:野口、「50年後」、53ページ。

*5:野口、「50年後」、52ページ。

*6:野口、「50年後」、53ページ。

*7:野口、「50年後」、54ページ。

*8:http://knopfdoubleday.com/book/218310/eichmann-before-jerusalem/