洋書

  • Brian P. Copenhaver with Calvin Normore and Terence Parsons  Peter of Spain: Summaries of Logic: Text, Translation, Introduction, and Notes, Oxford University Press, 2014
  • Aladdin M. Yaqub  An Introduction to Metalogic, Broadview Press, 2014

Petrus Hispanus の本は、中世の論理学の基本的な書物でしょうから購入しました。我が国では、ずいぶん前に以下の本が出されています。

  • 山下正男  『ペトルス・ヒスパーヌス 論理学綱要 その研究と翻訳』、京都大学人文科学研究所、1981年。

上記 Copenhaver 先生たちの羅英対訳本を購入してからわかったのですが、どうやら今回の羅英対訳本の底本としているラテン語の原典と、山下先生が底本とされたラテン語の底本は同じものだと思われます。どちらも De Rijk 先生の1972年の批判校訂本をもとにしているようです*1。もしもこれが正しいとするならば、今回の英訳は、まったく新しい校訂本をもとにしているのではなく、この点で、原典にはそれほど目新しいものはないと言えそうです。同じ底本からの翻訳では、我が国の方が山下先生の手によって30年以上も先んじていることになります。このいみで、アメリカはずいぶん遅れているみたいです。しかも山下先生の翻訳では、その書の前半が解説になっていて、上記 Copenhaver 先生たちの訳本も、前半の大体1/3が解説になっており、Copenhaver 本には解説が付いているからと言って、山下本より偉い、ということにはならないと思われます。あとはただ、その解説が山下先生の解説より優れているか、あるいはその翻訳が山下先生の翻訳よりも優れているか、これらの少なくともどちらかでないと、Copenhaver 本の方が山下本より偉いとは言えそうにありません。どちらが偉いのか、私はその方面の専門家ではありませんので、よくはわかりませんけれど…。

Yaqub 先生の本は metalogic の入門書。たぶんですが metalogic の入門書はあまりないと思われますので購入しておきました。中を見ると、

  • Geoffrey Hunter  Metalogic: An Introduction to the Metatheory of Standard First Order Logic, University of California Press, 1971

に雰囲気が似ている感じがします。


洋雑誌

  • Grazer Philosophische Studien, vol. 89, 2014, Special Topics: Themes from Wittgenstein and Quine

内容は以下の通りです。Wittgenstein の part では Wittgenstein の数学の哲学が論じられています。岡田先生の名も見えます。Quine の part は言葉のいみ、Radical Translation, 存在論が論じられているようです。

Table of contents

Special Topic I. Wittgenstein (Guest Editors: Kai Büttner, Florian Demont, David Dolby, Anne-Katrin Schlegel)
Introduction

  • Pasquale Frascolla  ''Realism, Anti-Realism, Quietism: Wittgenstein's Stance''
  • Severin Schroeder  ''Mathematical Propositions as Rules of Grammar''
  • Felix Mühlhölzer  ''How Arithmetic is about Numbers. A Wittgensteinian Perspective''
  • Mathieu Marion and Mitsuhiro Okada  ''Wittgenstein on Equinumerosity and Surveyability''
  • Esther Ramharter  ''Wittgenstein on Formulae''
  • Ian Rumfitt  ''Brouwer versus Wittgenstein on the Infinite and the Law of Excluded Middle''

Special Topic II. Quine (Guest Editor: Dirk Greimann)
Introduction

  • Peter Hylton  ''Significance in Quine''
  • Rogério Passos Severo  ''Are there Empirical Cases of Indeterminacy of Translation?''
  • Oswaldo Chateaubriand  ''Some Critical Remarks on Quine's Thought Experiment of Radical Translation''
  • Dirk Greimann  ''A Tension in Quine's Naturalistic Ontology of Semantics''
  • Guido Imaguire  ''In Defense of Quine's Ostrich Nominalism''
  • Pedro Santos  ''Quinean Worlds: Possibilist Ontology in an Extensionalist Framework''


和書

木田先生についての本では、まず最初に以下の文章を拝読しました。

  • 三島憲一  「正真正銘のハイデゲリアン」

ある程度予想の付いたことですが、この論考は単に木田先生をほめるというだけのものではありません。木田先生を立派な哲学者、立派な人間だったとほめながら、木田先生の哲学、あるいは木田先生の哲学に対する態度に問題点を三つ、指摘されておられます。きっちり批判すべきところは批判してくれているわけです。三島先生の批判を引用しながら、私の方で補足を加えてみます。私の補足は私の解釈に依りますので、三島先生の意図を十分に酌んでいるとは言えないかもしれません。誤解しておりましたら大変すみません。とりあえず、その批判点を三つ、挙げてみます。以下では敬称を略して記させてもらいます。

1. 哲学は、政治や社会を問題にし、政治や社会をしばしば論じる側面がある。また、どの哲学も政治的、社会的機能や政治的、社会的効果を持っている。これは Heidegger の哲学についても言える。しかし、

[…] 政治と社会とは無縁の (あるいは無縁であるかのような) 議論に哲学を閉じ込めようとしたのが、ハイデガーだった。もちろん、成功しなかったことは、「学長演説」や最近刊行された「黒ノート」からもわかる。このことを木田元は意識的に無視した。この無視はまちがいだった気がする。*2

Heidegger 哲学の社会的側面、政治的側面を直視せず、軽く言及するだけで、木田が話を切り上げてしまうことは、問題である。


2. 木田元は西洋と近代をあまりに単純化して見ている。Heidegger の話に乗っかって、西洋なるものと近代なるものを、複雑そうに見えて実際には単純な紋切り型で見ている。

古代の理性が形而上学の伝統となり、そこから技術が発生し、それが二〇世紀の悲惨を必然的にもたらしたとするハイデガーの意外と簡単な図式が、そのまま意外と簡単にさらっと [木田に] 継承されている […]。[…] しかし、この図式はいかなる科学史の知見にも、近代化の理論にも反する。科学史も近代化も、実に複雑なさまざまな要素の絡み合いに発し、そこで生まれた価値や規範の潜在的な妥当性に服しているのだ。ゾンバルトヴェーバーを見るだけでも分るし、現在は彼らをはるかに超えたところまで議論が進んでもいる。哲学だけが西洋なるもの (そんなものが存在するとしてだが) を作ったのではない。*3

木田はここで言われる西洋観を西洋とし、これに対抗するために Heidegger が持ち出してくる古代ギリシャの physis を、我々日本の奈良時代の自然観と同類のものと見て、古代ギリシャの physis もよくわかると言うが、そんな昔々のよくわからない話がよくわかるとは、どういうことだろうか?「木田元は、ハイデガーの思考するところは、結局はすべての自然民族に共通した自然観だった、と述べていたが、そのときの違和感は今も残っている。」*4 木田は、安易な西洋観と東洋観を並べ、しかも安易にその隔たりを飛び越えようとしているのである。


3.

第三点は、西欧哲学に対する透徹した理解にもかかわらず、[木田が] 学ばなかったのは、私的閲歴と思想的妥当性の区別 [をしっかり付けなかったこと] である。西欧の哲学者たちは「思想の事柄」(ハイデガー) は語るが、自分については語らなかったことである。*5

西洋の歴代の哲学者と異なり、木田は哲学に関し、自分の知的遍歴と読書歴をよく語った。「木田はそれに耽った。日本の私小説の伝統は、それほど強かったようだ。」*6

[木田は] 日本での西洋哲学の流行の追っかけ方へのちくりとした批判は結構書いているが、日本の生活世界が隠しもつイデオロギー的なアンビヴァレンツについては、少なくとも表向きは個人物語を通じて肯定的に語りすぎたきらいがある。*7

自分の好きな哲学について、それをどのように好いて来たかを好きに書き綴ることは、その哲学の正しさを物語るものではない。自分にとって本当に好きな哲学は、その人にとって確かなものとしてつかまれており、それを拠点にすれば世界をぶれることなく理解できるという利点がある。しかしこのような自身の実感を拠り所にするだけでは、その哲学の妥当性の保証とはならない。私小説によくあるように、自分の身の回りの、のんびりとした事実を記述し、自分の心の中の穏やかな有り様をそのまま記述することは、確かな自分の確かな風景を記述しているだけなので、思弁に振り回されないという利点はあるものの、それでは現状維持に資するばかりである。自分の知的遍歴を面白おかしく語ることは、哲学についてよく知らない者を魅了し哲学へと誘う利点はあるものの、哲学的な radicalism からは、はるかに遠い。そこでは private な側面が強調されすぎており、public な側面がおろそかにされているのである。あるがままの状況が肯定され、状況の公共的な理論化と理論的分析がなかなか進まないのである。そしてこのことのゆえに、Heidegger 哲学の政治的帰結に対して、目をつぶる結果となるのであろう。


以上のようにまとめてみましたが、まとめ方がうまくないかもしれません。特に三番目の批判は、三島先生のお話だけからは、話が短すぎるせいか、私には十分にはわからない点がありましたので、かなり私の方で補足を入れています。ほとんどが私の補足です。ですので、誤解や勘違いや無理解を示しているかもしれません。そのようでしたら大変すみません。また勉強致します。

いずれにせよ、木田先生をほめて、「よかった、よかった」と言って終りにするのではなく、間違いから学び、私たち自身を正そうとする三島先生のお話は、とてもためになります。三番目の批判などは、耳が痛いです。先生の論考の最後の部分は、大変うなずけるものがありますので引用しておきます。

 木田元の快男児ぶり、身体的にも頭脳的にも腕っ節の強さは (「哲学は格闘技だ」という名言がある) 皆が書いているので、繰り返しは追悼の言葉にはならないと考えた。むしろ、木田元ほどの哲学者でも陥った暗黙の前提から、敬語抜きで学ぶことが、大日本帝国の生き残り、最後の体育会系哲学者の学恩に報いる方途と思う。*8

とはいえ、「間違っている」と言われた木田先生としては、三島先生に反論したいこともあるでしょう。今となってはその反論も聞けないことが残念です。木田先生は Heidegger の哲学に対し、熱っぽく語っておられながらも、ある程度、距離を取ってみせることもできておられたので、私のような者でも先生のお話には比較的取り付きやすかったです。また先生のご高著などで勉強させていただきます。


和雑誌記事

先日、出たばかりの『ジーニアス英和辞典 第5版』 (通称G5) を購入しました。このG5については、次の雑誌に

  • 『英語教育』、大修館書店、2015年1月号

以下のような特集が組まれていたので、

第2特集 『ジーニアス英和辞典 第5版』にみる英和辞書の変化・英語の変化

  • 南出康世  「学習英語辞書の変遷と『ジーニアス』の進化・深化」
  • 柏野健次  「G5 に表れた語法の変化」
  • 中邑光男  「G5 に収録された新語から今を見る」
  • 須賀廣  「高校生にとってフレンドリーな訳語・訳文へ」

これらを copy させてもらい、早速拝読致しました。

*1:Copenhaver, pp. 87, 91. 山下、ii ページ。

*2:三島、58-59ページ。

*3:三島、59ページ。

*4:三島、60ページ。

*5:三島、60ページ。なお、このあと、三島先生は次のように続けておられます。「自分の人生を回顧して冒険談や手柄話をしている哲学者は近代哲学の代表的な存在にはいないようだ。カント、ヘーゲルフッサール、シェーラー、そして当のハイデガー自身も、飲み屋やサロンでのおしゃべりは別にして、どんな個人の人生にもあるはずのエピソードは書いていない。」(三島、60ページ。) このように先生はお書きになっていますが、すぐに気が付くように、これはおかしいと思います。間違っているのではなかろうか? Descartes がいましたよね? Descartes が抜けていると思うのですが…。なんでだろう、違うのかな? 私の方こそ違っているようでしたらすみません。

*6:三島、60ページ。

*7:三島、30ページ。

*8:三島、60ページ。