読書アンケート 2014年

毎年、過去一年間に読んだり購入した文献のうち、特に印象深く、個人的に重要と感じられらものを、年末年始にこの日記で記しています。本日は2014年に読んだり手に入れた文献について、私個人が大変興味を感じ、非常に重要と感じられたものを記してみます。

記す前に一言述べておきますと、2014年は私にとってかなり調子の悪い年でした。春から秋にかけては心身ともに非常に不調でした。何年かに一度の谷間に入り込んでしまいました。今もこの谷間をさまよっている状態です。生活の rhythm もガタガタです。まぁ、以前よりかは霧が晴れてきた感じはしますが…。それにしてもなかなか勉強のはかどらない一年でした。


英語論文

この一年で私が最も興味を覚え、重要性を感じ取ったのは、10年ぐらい前に出たものですが、次の二論文です。

  • Pierre Joray  ''What is Wrong with Creative Definitions?'' in: Logika, vol. 23, 2005,
  • Pierre Joray  ''Should Definitions Be Internal?'' in: The Logica Yearbook 2004, Prague Filosofia, 2005.

これらは Leśniewski の定義論に関する論文なのですが、一読して大変驚きました。私にとってはとても意外なことが書かれていました。しかもやさしく書かれていたので、すぐに大意を把握し、これは貴重な指摘だと思い、それぞれ二回ずつぐらい、読み返しました。何がどのように興味深く重要なのかを、ここでご説明したいところですが、今、その用意がございません。いつかこの日記で説明できる時期が来ればと思います。ただし、これらの論文では、ほとんどの方が興味を抱かないようなことが論じられています。そして、さしあたりは、Leśniewski に関心を持っているか、現代の哲学的な論理学の定義論に関心を持っているか、最低でもそのどちらかの関心をお持ちでないと、まったく面白くない論文、全然重要性を認められない論文、読んでみたところで意外の念に打たれることのない論文だと思います。Leśniewski の哲学、論理学や、定義論を越えて、現在の哲学の状況に impact を与える論文ではないと思います。そのため、Leśniewski にも定義論にもご興味のない方は、とりあえず読まれる必要はないと感じます。とはいえ、ごく個人的にはとても興味深く、重要で、勉強になる論文でしたので、これらの論文で私の関心を引いたことを、いつか記すことができればと思っています。その内容は、具体的には creative definitions の一般的な理解に対し修正を迫るもの、あるいはその definitions に対する一般の理解が不十分であることを伝えるものと言えます。なお、このような特定の事柄に関心を持っている人以外には、これらの論文はあまり重要ではない、というようなことを述べましたが、このことにより論文著者の Joray 先生のご気分を害したようでしたら謝ります。大変すみません。ただ、先生もこれらの論文が、現代のあらゆる哲学者、研究者にとって必読の内容を備えた論文であるとか、あらゆる哲学者、研究者に巨大な impact を与える内容を含むとか、これらの論文によって世界中の哲学者、研究者の進むべき方向が大きく旋回することになるとは、お感じではないと推測致します。そんなに大仰な論文ではないと理解されていると思います。ではありますが、それでも私のように、一部には強い関心を持つ人間もいるようですので、どうか肩を落とされることのないようお願い申し上げます。私自身は先生の論文から色々と得るものがあり、とても助かっております。


洋書

  • Andrew McFarland, Joanna McFarland, and James T. Smith eds., Ivor Grattan-Guinness fwd.  Alfred Tarski: Early Work in Poland - Geometry and Teaching, with a Bibliographic Supplement, Birkhäuser/Springer, 2014,
  • Margaret Paul  Frank Ramsey (1903-1930): A Sister's Memoir, Smith-Gordon, 2012,
  • Terence Parsons  Articulating Medieval Logic, Oxford University Press, 2014.

これらの図書はどれもまだちゃんと読んでいないのですが、一つ目の Tarski さんの本は、資料として貴重だと思います。Tarski さんの初期の刊行物で、まだ英訳が成っていないこまごまとした文献がここで初めて英訳されているようです。かなりあれこれ詳しく調べ出し、教育的配慮の行き届いた、丁寧で細かな点まで逐一説明しているとても便利な本のようです。一言で言えば、情報満載の本です。この本の終り近くには、私にとって非常に興味を感じることが書かれていますので、このことについてもいつかこの日記で言及したいと思っています。この本に関するこの他の内容については、当日記の2014年10月5日の page をご覧いただければと存じます。

二つ目の Ramsey さんの伝記は2年ほど前に出た本ですが、このあいだ、刊行されていることに気が付き、あわてて入手しました。この本も、珍しく貴重な資料だと思います。たぶん、単行本で英語で読める Ramsey さんの伝記本は、これぐらいしかないのではないでしょうか。身内の書いた資料的価値のある本だと思います。CiNii Books で調べると、2年前の本でありながら、国内の大学研究機関では、どこも公式には所蔵していないようです。(もちろん先生個人が個研や科研で購入して大学の自分の研究室に置いてある、ということはあるかもしれませんが…。) この本については、当日記2014年10月19日、項目 'Frank Ramsey (1903-1930): A Sister's Memoir' をご覧ください。

三つ目は、現代の論理学が現れるまでは、多重量化文を論理学で十分に扱うことはできなかった、という通説に、逆らうような内容が書かれている本のようです。中世の論理学の道具立てを使えば、当時の人々はやってみせはしなかったものの、多重量化文を十分に扱うことができるのであり、本質的には中世の論理学は少なくとも古典一階述語論理と同じだけの表現力を持っていたと言えるのだ、という主旨の主張を展開しているようで、これがもしも本当だとすればですが、とても興味深く重要な話だと思います。にわかには信じられない主張なので、慎重な検討が必要ですが、とても刺激的な主張であることは確かだと思います。詳細は当日記、2014年4月13日、項目 'Professor Terence Parsons Argues That 'Every Head of a Man is a Head of an Animal' CAN be Proved from 'Every Man is an Animal' in Traditional Syllogism.' をご覧ください。追記2015年1月18日: この Parsons 先生のご高著については、当日記における次の文も、必ず、必ずご覧ください。2015年1月18日、項目 'Professor Terence Parsons' Interpretation of Medieval Logic is not so Faithful to the Original Systems as We Expect.' 追記終り。


邦語論文

  • 平石直昭  「戦中・戦後徂徠論批判 初期丸山・吉川両学説の検討を中心に」、『社會科學研究』、東京大学社会科学研究所、第39巻、第1号、1987年。

かなり前に出版された文献ですが、つい最近、この論文を入手致しました。この論文は、ちょっと長い論文で、実は今、読んでいる最中です。私は丸山眞男さんの江戸思想史を専門に研究している研究者ではありませんが、この論文は明らかに力作であり、大変重要だと、私のような者でもわかります。丸山さんの江戸思想史を批判しようとする方は、必ず読んで内容を消化しておかなければならない論文だと思います。専門家の方々は、このような論文があることをずいぶん前からご存じでしょうが、専門家ではないものの丸山さんの江戸思想史を検討したい方は、ご存じでなければ入手して、間違いなく読んでおかなければならない論文だと感じます。真正面から丸山さんに挑んでいる論文であり、立ち合いで変化して、丸山さんをかわすというような安易なことはしていません。以前にこのような論文があることに私は気づいていたのですが、これほどすごい内容の論文とはまったく知らず、つい先日まで入手することも拝読することもなかった論文です。もっと早く入手していればよかったと思います。丸山江戸思想史に、がっぷり四つに組み付いて、正面から寄り切ろうとしている意欲ある論文です。過去の研究成果の survey も非常に行き届いていて、ものすごく、もう一度言いますが、ものすごく、勉強になります。このような丸山批判論文が読みたく思っていました。今、読めるようになって、大変うれしいです。


和書

去年の夏頃に、天皇の戦争責任、天皇と戦争とのかかわりについて、いくつか和書と邦語論文を拝読し、勉強させていただきました。その際購入したり、拝読した本の一部の名前を、出版年順に記します。論文は省きます。

このうち、井上先生のご高著と吉田先生、および藤原先生方々他のご高著は読了し、その他のご高著は、あちらこちら拾い読みさせていただきました。これらの読書は私にとって大変勉強になりましたので、ここに記しておきます。今後、読み直したり、読み切れていない本は、最後のページまで読み通すことになると思います。


番外編

2014年に入手して読んだ本ではなく、本日、入手して少し読んだ本なのですが、

  • 石田由香理、西村幹子  『〈できること〉の見つけ方 全盲女子大生が手に入れた大切なもの』、岩波ジュニア新書 791, 岩波書店、2014年

この本はいい本です。今日、本屋さんで何気なく手に取って中を見てみたら、すっかり引き込まれて、店頭でしばらく読んでしまいました。著者の勇気や奮闘する姿に胸が締め付けられ、目頭が熱くなり、目に涙がたまって零れ落ちそうでした。全盲の方がどのように頑張っておられるのか、そのことがつづられているのですが、読んでいて胸が熱くなり、買わずにはいられなくなりました。著者の方は本当にすごいなと思います。生きるって何だろうなと思います。生きて行くことや他の人のことや自分自身のことについて、重要な気付きを与えてくれる本だと思います。「大切なものは、目に見えない」と言いますが、著者は目がお見えにならないので、目に見えないことについては、目が見える私たちよりもずっと詳しいようです。たぶん彼女は愛について、よくご存じなのだろうと思います。本書については、今のところ、これ以上うまく評することができません。「大切なものは、目に見えない」というセリフではないけれど、「大切なものは、触れがたい」からなのかもしれません。だから、しばらくは無理に触らずに、大切にそっとしておこうと思います。


これで終ります。昨年は本当に不調でした。今も精神的な不調が続いており、「参ったな」という感じです。まぁ、ぼちぼちやっていきます。上記の石田さん、西村先生のご高著のおかげで、少しは心が軽くなった気がします。大変ありがとうございました。