購入した文献の名前を記します。


洋書

  • Frederick C. Beiser  The Genesis of Neo-Kantianism, 1796-1880, Oxford University Press, 2014
  • Bettina Stangneth  Eichmann Before Jerusalem: The Unexamined Life of a Mass Murderer, Knopf/Doubleday, 2014

一つ目は新カント派に関する本。特に初期の新カント派の動向を重点的に分析しているようです。私は Frege に興味があり、Frege は新カント派の哲学を背景として出てきているところがありますから、新カント派については踏まえておきたいと思っていますので購入しました。

二つ目の本は、Eichmann vor Jerusalem というドイツ語の本の英訳。どうやらこの本では Eichmann は命令に従っていただけの小心な小役人ではなく、根っからの反ユダヤ主義者であり、進んでユダヤ人の大量虐殺に加担していたようであって、Jerusalem の裁判では「命令に従っていただけ」と嘘をついて私たち皆をだましていたらしいことが、立証されているみたいです。ずいぶんと通説、通念と異なっており、しかし著者の見解は、Jerusalem の裁判以降に明らかになった Eichmann の様々な文書や資料を調べ上げることで出てきているようですから、通説に真っ向から反するものの、それだけを理由に本書の主張を一蹴することはできないと思われます。

近頃 Arendt を論じた日本語の本が毎月のように発行されていながら、私の知る限りですが、私の気が付いた限りでは、この問題の本 Eichmann vor Jerusalem / Eichmann Before Jerusalem を踏まえて、 Eichmann を、命令に言われるがままに従った、何も知らない、何も人種差別をしていない、思考停止の小役人とする見方に疑問を呈し、この人物の素性について再検討している日本語の研究書、解説書は今のところ存在していないように見えます。以上のことは、当日記でも既に触れていました。参考までに次の日付の当日記をご覧ください。

    • 2014年12月2日、項目 'Eichmann Before Jerusalem,'
    • 2013年9月14日、項目 'Arendt and Eichmann Fifty Years Later: Was Evil Banal?'

興味深く、重要な内容を含む本でありながら、本書のドイツ語原典 Eichmann vor Jerusalem は、CiNii Books で調べると、国内の大学研究機関では、現在広島大学でしか所蔵していないようです。そして今回私が購入した英語版は、刊行から半年は経っていると思うのですが、現在国内の大学研究機関では、どこも所蔵していないようです。もしもドイツ語版も英語版もどちらも品切れになってしまったら、この本を読みたい、調べたいと思っても、なかなか面倒なことになりそうなので、今のうちにとりあえず確保するだけはしておこうと思い、今回購入しました。なお、今年の夏に英語版の paperback 版が出る予定のようですので、近いうちにもう読めなくなる、ということはなさそうですから、そんなに心配することもないようですが…。


和書


一つ目の照井先生のご高著は、ものすごく面白そうです。私の知りたいことが、いっぱい書かれているようです。このような本が読めることはとても幸せです。昔々の数学基礎論論争があった頃の話は、たくさん本や論文が出ていますが、その後の最近の展開については、私もあれこれ文献を見つけてきては入手、確保に努めて参りましたものの、内容的になかなか難しく、そこに見られるアイデアがどのようなものであって、それが他のアイデアとどう結び付いていて、これらのアイデアがどのようなものに結実し、今後どのような方向に向かおうとしているのか、これらのことがうまくわからずにおりましたが、照井先生の今回のご高著をひも解けば、足踏みしている私を、より開けた高みへといざなってくれそうであって、何だか最高の登山ガイドを得た気分です。本書の中でも特に私の興味を引くのは第5章「活き活きした証明」です。この章では、いわゆる Curry-Howard Correspondence の idea が1980年代以降、研究者の間に広まって、その後、今に至るまで、いかなる展開を見せているのかについて、わかりやすく説明してくれているようです。非常に面白そうです。急速に勉強が進みそうだ。