Why Is It Difficult for High School Students to Understand Mathematical Induction?: A Spur-of-the-Moment Answer from a Logical Point of View.

本日は、数学的帰納法の初歩的な事柄に関し、memo のようなものを記します。

私たちは高校生になって、初めて数学的帰納法を学びます。そのとき、人によっては、この帰納法がよくわからないと感じることがあるだろうと思います。その場合、どのような点がわからないと感じるのでしょうか。この点について、私の方で個人的に想像をめぐらして、ふと思ったその理解の困難な点を書いてみたのが、以下の記述です。

もちろん、数学的帰納法がよくわからないという高校生は、様々な点について、わからないと言うだろうと思います。生徒ごとに、それぞれ違った点にわからなさを感じるだろうと思います。理解の困難な点は、実に多種多様にあるかもしれません。それらのすべてを推し量り、全部を書き出してみるというわけにはいきませんので三つだけ、以下では記します。
なお、私は数学的帰納法に詳しいわけではございません。細かいことはよく知りません。「これは数学的帰納法を使って解くことのできる証明問題です。さあ、解いてみてください」と言われて問題を突き出されても、「う〜む、どうすればいいのだろう?」と考え込んで、なかなか解くことのできないような人間です。そのような人間が初学者にとり数学的帰納法の理解困難な点について文章を書くというのは、少し変な感じもしますが、以下での話は数学的帰納法の話というよりも、その一歩手前の話、数学的帰納法の初歩の、そのまた初歩に関する話ですので、まぁ、ぎりぎり許されるかもしれません。ですから、難しい話をするのではなく、詳しい話をするのでもなく、何か深遠で先端的な話をするのでもございません。先日何となく思い付いた、極度に初歩的なことを memo するだけです。ふと思い付いたことを記しますので、直接、高校生たちに接してみて、実際に生徒たちにとって理解の困難な点を観察し、その結果に基づいて、以下の話をするのではなく、「数学がすごく苦手な生徒は、きっとこのような点を理解しづらいと感じるのではなかろうか」と、私の方で想像したことを書きます。ですから、実証性は皆無です。しかし、その話の全部が的外れということもなく、いくらかは当たっていることもあるだろうと楽観的に推測して書いております。間違ったことを書いておりましたら、誠にすみません。さらに補足しておきますと、以下の話は単なる momo ですので、詳細な説明を展開するということも控えます。加えて、理解できずに困っておられる高校生にもわかるように記述するというわけでもございません。単なる memo ですから、わかりやすく書かれているとは限りません。この後のすべての誤った記述に対し、前もってここでお詫び申し上げます。


目次

0. 数学的帰納法の patten.
1. P(k) の k とは?
2. 条件文「P(k) ならば P(k + 1)」の証明方法は?
3. 文 P(k) と、条件文「P(k) ならば P(k + 1)」における P(k) との違いは?


0. 数学的帰納法の patten.

最も初歩的な、数学的帰納法の取る pattern を掲げておきます。


数学的帰納法に関する定理の一般形式: すべての自然数 n について、P(n) である。

数学的帰納法による証明の最も基本的な pattern の一つは以下の通り。今、1, 2, 3, ..., を自然数とすると、

[1] P(1) が成り立つ。
[2] 任意の k について、P(k) が成り立つならば P(k+1) が成り立つ。
[3] 故に、すべての n について、P(n) である。


以下では、言語表現の使用と言及 (use and mention) の区別を特に明示せず、記すことがあります。


1. P(k) の k とは?

予想される疑問の声数学的帰納法による証明の基本的パターンにおいて、n と違って、k が何であるかがわからない。」
k は不確定名 (indefinite name/ambiguous name) だろうと思います*1。または任意定数 (arbitrary constant), つまり、任意に選んでよい定数、任意の値を取る定数であろうと思います。k とは何か、というこの疑問は、しばしば持ち上がるようで、数学的帰納法を比較的丁寧に解説した本の中では、k が何であるかについては、たびたび説明がなされているようです。そのため、k とは何かというこの疑問は、目新しい疑問ではなく、よく聞かれる疑問だと思います。

ここで不確定名の例を記します。以下での「△ABC」は、不確定名の一例だと思います。

定理4.4 三角形の内角の和は2∠R [二直角] に等しい。


証明 [以下] の図の △ABC において、



定理4.3 [三角形の外角はその内対角の和に等しい] により、


∠CAD = ∠B + ∠C


です。ゆえに △ABC の内角の和は


∠A + ∠B + ∠C = ∠BAC + ∠B + ∠C = ∠BAC + ∠CAD = ∠BAD = 2∠R


となります (証明終)。*2

n と k との違いは、雰囲気としては、一括的なすべてと、枚挙的なすべてとの違い。つまり、n は一括して一挙にすべてを表し、k は一つ一つを枚挙して行くようなすべてを表しているという雰囲気があると思います。あるいは、気分としては、n が実無限に関係し、k が可能的無限に関係するというような違いを持っているように感じられ、n が一挙にすべてを丸ごと全体として表しているのに対し、k はすべてを一つずつ順番に表して行っている感じでしょうか。少なくとも気分としてはですが…。


2. 条件文「P(k) ならば P(k + 1)」の証明方法は?

予想される疑問の声 「上記数学的帰納法による証明の基本的パターンにおける [2] の条件文を証明するためには、どうすればよいかわからない。」
どのようにすればよいのかについては、通常、説明されていないようです。あまりに当たり前すぎて、説明の必要を感じないためでしょう。あるいは、そもそも数学者の間でも、条件文と証明とを区別していない場合があり、両者を混ぜ込んで一緒くたにして説明していることがあって*3、それが一概に悪いとは言いませんが、この場合、そのため一方に条件文があって、他方にその文の証明がある、という発想がないことが、条件文とは別に、その条件文を証明することの意義を説明することが不在になってしまっている一つの理由であろうと思います。
いずれにせよ、[2] の条件文については、この条件文の前件を仮定として立て、それに基づき何らかの命題なり定理なりを用いて後件を引き出せばよいということです。条件文の前件が証明の際の仮定に対応し、その後件が証明の際の結論に対応しています。あるいは、証明において仮定から結論を引き出すことが、その仮定を前件とし、その結論を後件とする条件文に対応しています。自然演繹で言えば、条件法導入則が、これに関係しています*4。加えて、数学的帰納法の理解を困難にしている原因の一端は、高校数学が計算を中心に進むのに対し、数学的帰納法の話の際には、計算ならぬ証明が前景に出てきて、計算が後景に退き、証明がどういうものか、証明を進めるにはどうすればよいのか、これらのことがわかっていなければ、数学的帰納法の話はちゃんとわかった気になれないところがあるからなのかもしれません。


3. 文 P(k) と、条件文「P(k) ならば P(k + 1)」における P(k) との違いは?

予想される疑問の声 「端的に P(k) と述べることと、「P(k) ならば P(k+1) である」という文を口にすることで P(k) を述べることとの違いがわからない。」
このことについて、極めて素朴な側面のみに対し、返答します*5。端的に P(k) と述べることは、P(k) が真であることを述べていますが、「P(k) ならば P(k+1) である」という文を口にしている際には P(k) が真であるとは述べていません。例文を上げて説明してみます。

    • 地球上のすべての核兵器を一度に使い尽くすような核戦争が起きれば、人類は滅びる。


この文を今発話するとしても、その前件が現に真であると述べているのでないことは自明でしょう。というのも、核戦争が起きれば、というのは、仮定の話だからです。現に起きていれば、「核戦争が起きれば」という言い方は、普通、しないものだからです。ですから今現在、先の条件文の前件が述べるように、全面的な核戦争が起きているとも、そのような核戦争がつい先日行われたとも述べているのではないし、先の条件文の後件も、その条件文を述べている際に現に真であると主張しているわけではないことは、これも自明でしょう。もしもその後件が現に真であり、人類が滅亡しているのならば、今私はこの文章をここで書くことはできないし、この文章を読んでいるあなたもいないはずだからです。条件文を述べるとは、条件文を構成している前件と後件が真であることを必然的に帰結せしめるものではありません。それら前件と後件がともに必然的に真であることを帰結せしめるものであるとするならば、私たちは条件文を正しく述べることは、上の核戦争の例でわかるように、不可能となるでしょう*6

あるいは、核戦争の例文が、反事実的条件文であることを彷彿とさせるので、その例文はここでの説明に対し適切ではないとするならば、Frege の挙げている別の例文を使ってみましょう。その例文とは次です*7


まず日常語で述べれば、

    • ((10の21乗) の10乗根) が ((21/20) の100乗) より大きいならば、[((10の21乗) の10乗根) の2乗] は [((21/20) の100乗) の2乗] より大きい。


これではもちろんわかりにくいので、同じことを数式で述べれば、次のようになります。

    • _^{10}\sqrt{10^{21}}\(\frac{21}{20}\)^{100} より大きいならば、(_^{10}\sqrt{10^{21}}\)^2\((\frac{21}{20})^{100}\)^2 より大きい。


この条件文中に現われている各数式が、いくらの数を表すのか、計算してみないことにはわかりませんけれども、いずれにせよ、この条件文の前件が真ならば、後件も真であることは、数式の表す数がいくらなのか知らなくてもわかります。つまり、この条件文の前件も後件も実際に真なのか偽なのか知らなくても、前件が真であれば、その時、後件も真となって、条件文全体としては真であることがわかります。その前件にしろ後件にしろ、それぞれが実際に真だと主張せずに、またできずとも、前件が真であるならば後件も真となり、よってその条件文全体としても真であると主張できます。

ちなみに、関数電卓で上の条件文内の各数式を計算してみると、

    • _^{10}\sqrt{10^{21}} \rm{= 125.89254117941672104239541063958}


のようであり、また

    • \(\frac{21}{20}\)^{100} \rm{= 131.50125784630345502559753209372}


と出るようですので、上記条件文の前件は、実際には偽であり、もちろんその後件も偽になります。よって、条件文全体としては真になります。なお、私は普段関数電卓を使わないので、計算間違いをしておりましたらすみません。それに、電卓の桁数の制限があるので、上記の数字は近似値だろうと思います。何にしろ、間違っていましたら申し訳ございません。


これで、端的に P(k) と述べることと、「P(k) ならば P(k+1) である」という文を口にすることで P(k) を述べることとの間では、端的に述べている時の P(k) は、それが真であると述べているのに対し、「P(k) ならば P(k+1) である」の中の P(k) は、真であると述べているわけではないことが、一応わかったと思います。わかりにくかったらすみません。


以上で終わります。誤解や無理解や勘違いや、誤字、脱字などがありましたらすみません。


PS

数学的帰納法の初歩の初歩でありながら、なかなか理解されずにおり、あるいは理解を困難にしている事柄に関して、詳しく分析していると思われる日本語の本に次があります。

  • 本橋信義  『数学と新しい論理 数学的帰納法をめぐって』、遊星社、2002年。

この本を少し拝見させてもらったのですが、その他の本橋先生のご高著と同様、どうも私の感覚に合わないようで、参考にしたかったのですが、できませんでした。すみません。論理学の本を既に一部下手にかじってしまっている身としては、先生の本はどれも入り込みにくくて、いつも困惑してしまいます。上記のご高著において取り上げられている話題は、初等的なことに限定されているようであり、また、高度な technique も使用されていないように見えるのですが、そのため通常のいみで難しい本とは言えないと思うものの、私には非常に独特で独創的な雰囲気をたたえた本のように感じられ、rhythm がどうにも合わず、先生の本に関しては、いつもその門前ですぐに撤退してしまうという有様です。もしもまだ論理学を少しも勉強したことがないという方がおられましたら、本橋先生の本は面白く読むことができ、とても参考になるかもしれません。

*1:清水義夫、『記号論理学』、東京大学出版会1984年、59ページ。Patrick Suppes, Introduction to Logic, Dover Publications, 1957/1999, p. 81.

*2:小平邦彦、『幾何への誘い』、岩波現代文庫 7, 岩波書店、2000年、初版1991年、64ページ。

*3:このような事実は数学書の中を探せばときどき見かけると思いますが、それとは別に、同様の見解を表明したものとして、Gottlob Frege による文章があり、その著作の邦訳名を記せば 「複合思想 論理探究 [III] [1923]」、黒田亘、野本和幸編、『フレーゲ著作集4 哲学論集』、勁草書房、1999年、291ページ。ここでの '[ ]' は原文にあるものです。以下の註においても同様です。

*4:この導入則については、例えば、前原昭二、『記号論理入門』、日評数学選書、1967年、38-41ページなどを参照。

*5:「極めて素朴な側面のみ」というのも、私は条件文のいみや論理については詳しいことを何も知らないからです。日常的に出会う条件文を分析した哲学的著作、論理学的著作は、現在まで大量に現れましたが、私はほとんど勉強しておりません。この種のことに関し、日本語で読めるやさしめの survey としては、次がよいかもしれません。吉満昭宏、「哲学だって進歩する 訳者解説」、デイヴィッド・ルイス、『反事実的条件法』、双書 現代哲学 6, 勁草書房、2007年。ただし、私はこの解説文を一部ちらちらっと見ただけで、ちゃんと読んでおりません。よって、ちゃんと理解しておりません。

*6:この件に関し、やはり Frege による著述の邦訳名を記せば 「論理学入門 [1906]」、170ページ、「私の論理的教説概観 [1906]」、191-192ページ、「否定 論理探究 [II] [1918]」、240ページ、「ダルムシュテッターへの手記 [1919]」、264ページ、以上、黒田亘、野本和幸編、『フレーゲ著作集4 哲学論集』、勁草書房、1999年、Frege, 「書簡12 フレーゲよりジャーデイン宛 (日付なし)」、220ページ、「書簡4 フレーゲよりディングラー宛 イエーナ、1917年2月6日」、243ページ、以上、野本和幸編、『フレーゲ著作集6 書簡集 付「日記」』、勁草書房、2002年。

*7:邦訳の出典箇所のみ記します。Frege, 「複合思想」、287-288ページ。