Curry's Paradox: An Informal Exposition

今回から三回に渡り、Curry's Paradox と、それに類似した paradox について話します。今日と次回は、Curry's Paradox の簡単な説明です。そして三回目に、それと類似の paradox の説明をしようと思います。Curry's Paradox はよく知られていると思いますので、説明するまでもないかもしれませんが、三回目に話す予定の paradox を説明する際の基本的前提となりますので、今回と次回の二回を使って Curry's Paradox を説明しておきます。今回は Curry's Paradox の informal な説明で、次回は若干 formal な説明を行ないたいと思っております。そしてどの回でも説明を行なうだけであって、何か original な主張を行なおうとするものではありません。

なお、私は Curry's Paradox の専門家ではございません。そもそも、意味論的な paradox の専門家ですらございません。その方面はほとんど勉強していないというのが実情です。ですから、以下の記述には、ひどい間違いが含まれている可能性がございます。そのため、絶対に鵜呑みにしないようにお願い致します。読まれる場合は、常に批判的な視点を保ちつつ、お読みください。理解しにくい個所があったり、「おや、変だな?」と感じる個所があれば、そこは誤ったことを書いている可能性が非常に高いです。そのような個所があれば、するっと通り過ぎてしまうのではなく、お手数ですが、立ち止まって考えてみてください。本当にそこは間違っているかもしれません。誤ったことを書いておりましたら申し訳ございません。前もってお詫び致します。


本文を書き出す前に、私が以下の記述で参考にした文献を記しておきます。

  • Roy T. Cook  Paradoxes, Polity, Key Concepts in Philosophy Series, 2013, pp. 71-73.


この本の該当ページに書かれていることを参考にさせていただきましたが、かなり私の方で換骨奪胎しております。そしてかなりの補足を入れております。ものすごくくどい説明になっています。くどすぎて、かえってわかりにくいかもしれませんが、ゆっくりと、二、三度、読み返していただければ、わかるとおもいます。また、もしかすると、私の説明は、ちまたで見受けられる Curry's Paradox の説明とは結構趣きを異にしているかもしれません。もっと簡潔な説明をお求めの方は、お手間おかけしますが、上記の Cook 先生のご高著をひも解いてみてください。もちろん、以下に書かれていることに誤りがあれば、全部私の責任です。先生の責任ではございません。


それでは本文を始めます。まずは具体的な文を掲げます。次の文をご覧ください。


(1) もしこの文が真であるならば、真理が一つ存在する。


確かにそうだと思います。(1) の文が真であるならば、少なくとも一つはこの世に真理が存在することになりますね。この (1) の文は、別に奇妙なところはないように見えます。ごくありきたりの、当たり前の正しい事実を述べているように見えます。自分自身に言及している点が少しめずらしいですが、自分自身に言及しているというだけで、おかしなことになるということはありません。例えば、「この文は日本語で書かれているが、おかしなところは何もない」という文は、自分自身に言及していますが、おかしなところはありません。そのようなわけで、文の (1) は、特段異常さを感じさせるものは何もありません。ところが、何ということもない、この (1) という文から、非常に困ったことが帰結します。異常な事柄が帰結します。

その困った帰結は、(1) の文の前半、すなわち「もしこの文が真であるならば」という部分から出てきます。(1) の文の後半「真理が一つ存在する」は、特には関係してきません。この「真理が一つ存在する」という文の真理値や内容は関係してきません。そこでそのことを明らかにしておくために、(1) の文の後半を、一般的に文を表わす文字 'Φ' で置き換えておきます。つまり、


(2) もしこの文が真であるならば、Φ.


です。'Φ' には任意の文が入ります*1。ですから、(1) にあるように、'Φ' には「真理が一つ存在する」という文を入れてもいいですし、'2 + 2 = 4' という式を入れても構いません。実のところ、何でも構いません。


さて、(2) から困った帰結を引き出してみましょう*2。(2) は真でしょうか、偽でしょうか。疑り深い人のために、まずは (2) を真とするのではなく、偽と仮定してみましょう。ところで、(2) は条件文であり、条件法が使われています。条件文が偽であるのは、どのような場合かというと、それは条件法のいみにより、その条件文の前件が真で、かつその後件が偽である時でした。よって 条件文の (2) が偽であるならば、その前件が真で、かつその後件は偽であるはずです。したがって (2) の前件が真であるならば、(2) の前件が述べる通りになっているはずだ、ということになります。その前件とは「この文は真である」であり、「この文」とは (2) です。ですから、(2) の前件が真であるならば、その前件が述べている通りになっているはずであり、その述べていることとは、文の (2) が真だ、ということになります。すると、最初に (2) を偽と仮定し、それから今先ほど、(2) は真であるということになったのですから、(2) は真かつ偽である、ということになります。これは矛盾です。これはおかしいです。ですから、(2) を偽であると仮定することは間違っていたのだ、ということです。そこで今度は (2) を真であると仮定してみましょう。

改めて (2) を真であると仮定してみます。この時、(2) の前件「この文は真である」は真でしょうか、偽でしょうか。ここでも疑り深い人のために、偽であると仮定してみましょう。すると (2) の前件が偽であるとは、「この文は真ではない」ということです。そして「この文」とは (2) のことでしたから、「この文は真ではない」ということは、(2) が真ではない、すなわち偽である、ということです。しかし、つい先ほど、(2) を真と仮定して話を再開したのでした。そして今しがた、(2) は偽であるということになったのでした。ということは (2) は真かつ偽であるということになり、矛盾に陥ります。この窮地は、(2) の前件を偽であると仮定したことから出てきたのですから、(2) の前件は偽ではなく、真のはずだ、ということになります。では (2) の前件は真であるとしてみましょう。すると (2) の前件


(3) この文は真である。


が真であることになります。(3) の「この文」とは (2) のことです。


ここで、真である (2) と (3) を書き並べておきましょう。


(2) もしこの文が真であるならば、Φ.

(3) この文は真である。


さて、私たちのよく知っている論証の形式 Modus Ponens によれば、任意の文 α と β について、「α ならば β」という形式の文と「α」という文がともに真であるならば、「β」という文を引き出してよく、その時、この「β」は真である、ということになります。そこで、上の、それぞれ真である (2) と (3) を見ると、これらに対し、Modus Ponens を適用できて、そうすると次を引き出してもよく、それは真となります。


(4) Φ.


ところで、振り返ってみると、(4) を引き出すまでの論証の過程で、私たちは一度も Φ に主題的に言及せず、Φ の真理値や Φ の内容にも訴えずに Φ が真であることを引き出しています。それに、そもそも、最初に述べたように、Φ は任意の文を表わしていたのであり、しかも、今述べたように (4) を引き出すまで、Φ にはまったく主題的には触れていないのですから、本当に Φ には任意の文を入れても真であるということになります。よって、そこには (1) にあるように「真理が一つ存在する」を入れても真ですし、'2 + 2 = 4' を入れても真ですし、'2 + 2 = 5' を入れても真ですし、「Santa Claus は存在する」を入れても真ですし、結局、どんな文を入れても真であって、つまるところ、すべてのことが真である、ということになります。しかし、これは不合理です。


話の初めに、


(1) もしこの文が真であるならば、真理が一つ存在する。


という文からは困ったことが帰結する、と言いました。その困ったこととは今触れた不合理のことです。こうして、何の変哲もない、正しい事実を述べていると思われる文の (1), もしくはその変形である (2) からは、不合理が帰結するのです。


なお、以上のことを逆手に取れば、


(2) もしこの文が真であるならば、Φ.


という形式の文を一つ用意してやれば、「どんな文であっても、それが真であることを証明してやろうじゃないか」と豪語できます。実際 (2) の 'Φ' に様々な文を代入してやることで、実は '2 + 2 = 5' が真理であることを、あるいは「Santa Claus は存在する」ことを、あるいは「夏目漱石は地球外生命体である」ことを、容易に証明してみせようと言い放つことができます。しかも、上記の論証によるならば、みんな、それらの文は真なのです。


以上で Curry's Paradox の説明を終わります。改めて申しますが、間違ったことを書いている可能性が非常に大きいので、誠にお手数ですが、念のためにもう一度、全体を読み直していただければと存じます。間違っておりましたらすみません。謝ります。誤字や脱字に対しても、謝ります。申し訳ございません。

次回は、Curry's Paradox の若干 formal な説明を行ないます。そして三回目に、Curry's Paradox に類似した paradox の説明を行なう予定です。ただし、予定ですので、どうなるか、ちょっとわかりません。まだ文章が書けておらず、頭の中でぼんやりと書きたい内容が漂っているだけですので…。

*1:なお、'Φ' にはどの文を入れてもいいのですが、どれか特定の文を固定して、それを p とすれば、その p を 'Φ' に入れておいても構いません。例えば、数学で 'y = ax + b' などと言うことがあると思いますが、この時の y と x にはまったく任意の整数などが入るのに対し、あるいは任意の整数を次々と入れていくのに対し、a と b には、どの整数でもいいですが、しかしどれかに固定しておくものと、通常考えます。上で述べた 'Φ' とは、この場合の y, x に当たり、'p' とは a, b に当たります。いずれにしても、(1) の後半部分を 任意の文を表わす変項 'Φ' にしてもいいですし、任意定項 'p' にしてもいいのですが、ここでは便宜上、前者の変項を当てはめておきます。

*2:困った帰結は (1) からも引き出すことができますが、同じことですので、おそらく直観的にわかりやすいと思われる (2) の方から引出してみます。