Why Heidegger Has Never Admitted his Political Commitment to be Wrong.

以下では Heidegger の哲学について、話をします。ただし、私は Heidegger の専門家ではございません。勉強もしていません。したがって、誤解に満ちた話をしているかもしれません。そのようでしたらすみません。読まれる場合は、どうか割り引きながらお読みいただければ幸いです。前もって、数々の誤りに対し、お詫び申し上げます。

さて、なぜ Heidegger は Nazism に commit したことを謝ろうとしないのか、私は不思議に思ってきたのですが、もしかすると彼は、理論的に言って、謝る必要性を感じていなかったのかもしれません。彼の哲学の理屈から、謝るべき理由がなかったのかもしれません。彼は自分の哲学的信念に基づいて、本気で自分は悪くないと思っていたのかもしれません。だから謝ろうとしなかったのかもしれません。次がその理由として想像できるものの一つです*1。とても恐ろしいことですが…。

Heidegger の

『森の道』*2では、歴史的に出現してくるものは「必然的」に誤解されざるをえないということが、その理由をあげて告げられている。それによると、存在は、存在者の中へおのれをあらわにするときにこそ、かえってみずからは脱去し、かくして存在者をまどわすというのである。そもそも「迷い」が、真理の本質の形成に加わっているというのだから、それも当然なことである。そしてこのことは、とりわけ歴史の存在者にもあてはまる。むしろ、歴史の「本質空間」こそは、迷いの支配する領域なのである。けだし、存在が、その贈り届けるものにおいておのれの真理を手離さずにいるとき、そのとき世界歴史*3が生起するのだからである。ハイデッガーはこの留保を、ギリシア語で存在の「画期的」 (epochal) 性格とよんでいる。それによれば、歴史的に生起するものが誤解されるのは、個人の責任になるような人格的な錯誤によることではなく、存在の歴運のままに起こる「必然」なのである。存在そのものが、存在的な歴史のなかでおのれを留保し、隠蔽するのである。こうして、人間の「誤認」は存在の「自己隠蔽」に「対応している」わけである。「このような誤解をとおして、運命は自分の蒔いた種子から何が出てくるかを待っている。運命は、それに際会する人びとを、合宜なものと合宜ならぬものとの可能性へ分けるのである」。このことによって、ハイデッガーの非合宜性は、イロニーの含蓄のまったくない深刻な意味づけをうけとることになる。彼がおこなったフライブルク大学の「指導」は、「ドイツ民族の宿命を、その民族の歴史という刻印へはめこむ」歴史的「負託」の「きびしさ」によってみずから「導かれている」と言い立てていた。同様に、ドイツ民族の進発の「栄光」という誤解も、存在そのものから贈られた運命ということになり、そして人間は、存在の運命よりも上位の審廷に控訴することはできないし、許されもしないというのである。また、第三帝国の指導も、一九三九年になされ、のちになって公表された現代の批判の中では、「存在史的」に基礎づけられている。決して全体主義国家だけが混迷ではなく、「地球」が「迷惑という非世界」になり、− 「存在史的 (seynsgeschichtlich) にみれば、地球こそ惑星なのであり」、この非世界の内部では、指導者たちは、存在者全体が迷惑というありさまへ移行してしまったことの必然的帰結なのであるという。*4

Heidegger: 存在は私たちをまどわし、誤解に陥れる。これは必然である。歴史上のさまざまな人物について、私たちは必然的に誤解する。歴史上のさまざまな出来事を人が誤解するのは、その人個人の責任ではなく、存在によって誤導された必然的結果にすぎないのである。ドイツ民族が新しく出撃することは栄光であると考えたことも、存在によってたぶらかされた結果の誤解であった。Hitler の行なった狂気も、存在によってまどわされた必然的結果であり、仕方のないことなのである。第三帝国だけが存在によってまどわされたのではなく、そもそも地球全体が、地球という惑星全体が惑わされてしまっているのである。したがって、Hitler を先導者とする Nazis たちが出てきてしまったのも、この世に存在するありとあらゆるものが、存在によってまどわされ、たぶらかされてしまったことの必然的帰結なのだから仕方のないことなのであり、そんな彼らを支持した私も存在によってまどわされる必然的運命を持っていたのだから、当時の私の行動は仕方のないものだったのである。Hitler を英雄と私が見なしてしまったことは、先ほども述べたように、私個人の責任ではなく、存在によって誤導された必然的結果なのだから、私は悪くないのである。悪いのは存在である。存在がわたくしをして、そうせしめたのである。私は私の意志で進んでそうしたのではなく、存在が私をそうせしめたのであり、存在こそが問題の張本人なのである。私は悪くない。

上記、 Heidegger の言う存在とは、日本で言えば、極めて大まかには、自然のことになるだろうと推測致します。自ずと然 (しか) あるものとしての自然です。そうだとすると、Heidegger が主張するように、私たちは存在によって歴史上の出来事を必然的に誤解してしまうのだ、ということは、「自然」という言葉を使って言い換えれば、私たちは歴史上の出来事を否応なく自然と誤解してしまうのだ、ということになると思われます。ならば、Hitler を救国の英雄と誤解したのも、自然とそう思ってしまったのだから仕方がない、ということなのでしょうか? Nazism への誤った commitment も、存在によってそうさせられたのであって、自然とそうなってしまったのだから仕方がないし、だから私は悪くないから、Nazism へ commit したことも、謝る必要はない、ということなのだろうか?

Heidegger の主張に沿って、Socrates 以降の存在が、自ずと生成されるということではなく、人によって意図的に制作されるということであり、制作されることとしての存在が近代の典型的特徴の一つであるとするならば、自ずと生成される存在としての自然は、狭くは Socrates 以前を表す言葉であり、広くは前近代を表す言葉になるだろうと思います。

ところで近代的なものを激しくしつこく批判し続けた Heidegger は Socrates 以前の存在へと回帰したようですが、本来の存在が、自然と制作のうち、自然の方に対応しているのならば、Heidegger は前近代へ帰ったということになるだろうと思います。あるいは「近代の超克」ではなく、「近代からの退歩、退却」ということでしょうか。これは何だか復古的ですね。「復古主義」と言っていいだろうと思います。おそらく Heidegger 当人としては、「単に過去へと回帰することを目指しているのではなく、一旦理想的であった時代へ戻ってすべてをリセットし、新たに全面的に出直そうと、ゼロから始め直そうと試みるのだから、「復古的」なのではなくて「革新的」と言ってもらいたい」とおっしゃるかもしれませんが…。それにしても、復古と革新とは、反対の一致ですね。


ここでもうとりとめのない話は終えます。以上のように書いてみましたが、もちろん Heidegger 本人からは、苦言、反論、憤激の声が上がるものと思います。その怒りの抗弁を拝聴するまでは、上に私の書いた通りであるとは、即座に断定するわけにはいきません。暫定的な個人的印象を述べたまでですので、ここまで読まれた方は以上の話を鵜呑みにせず、これを一つのきっかけとして、本当のところはどうなのか、ご自分でお考えいただければ幸いです。


PS

上記引用文の著者である Löwith 先生は、Heidegger を誤解しているのかもしれません。そして Löwith 先生の文章に基づいて、Heidegger に疑念を呈している私も Heidegger を誤解しているのかもしれません。なぜなら、上記引用文に見られる Löwith の Heidegger に対する批判に対し、Arendt は次のような意見を述べているからです。

この文献から引用します。Arendt から Blücher に宛てた1952年6月13日付けの手紙です。

[歴史概念などの] ハイデガー自身の諸概念を使って彼をこきおろすレーヴィットのやり方は、かなり的はずれだと思います。*5

ただし、なぜ Löwith の「やり方」が「かなり的はずれ」なのかは、その詳しい理由がこの書簡中には書かれていないようなので、よくわかりません。上記書簡引用文の後で、Löwith の考える歴史の概念を使って Heidegger の歴史の概念を批判しても、それではうまくいかない、というような感じのことを Arendt は述べているので、もしかするとそれが「的はずれ」な理由なのかもしれませんが、私にはよくわかりません。もう少し詳しく丁寧な理由が聞きたいところですが、私信中での簡単な comment では、正確なところがはかりかねる状況です。この日の書簡を読むと、Arendt にとっては、Löwith の Heidegger に対する批判は、まるで問題にならない、といった風情です。一蹴されているという感じがします。なぜだろう? 詳細な理由が聞けず、とても残念です。Arendt にとっても Heidegger にとっても、Löwith による批判は正当なものではなく、単なる個人攻撃だ、と映っているようです*6。Löwith にとっては、まじめな学問的、建設的検討、批判のつもりだったようなのですが…*7

しかし、Arendt は Heidegger が Nazism に commit したことを、どのように考えていたのだろう? Eichmann に対する批判と比べた場合、どうなのだろう? また時間ができれば、考えてみたり調べてみたりしたいと思います。

*1:文中にある註はすべて省いて引用します。

*2:おそらく Holzwege のこと。

*3:引用者註: 歴史上、起こった戦争や、王朝の変転など、いわゆる世界の歴史、世界史のこと。

*4:K. レヴィット、『ハイデッガー 乏しき時代の思索者』、杉田泰一、岡崎英輔訳、未來社、1968年、93-94ページ。

*5:アーレント=ブリュッヒャー往復書簡』、248ページ。

*6:何ページ目だったかは忘れましたが、リチャード・ウォーリン、『ハイデガーの子どもたち アーレント/レーヴィット/ヨーナス/マルクーゼ』、村岡晋一、小須田健、平田裕之訳、新書館、2004年の Löwith を取り上げた章に、Heidegger による Löwith への反論を記した書簡が引用されていますが、その文を読むと、Heidegger がかなり腹を立てており、口汚い言い方をしていて、胸蓋ぎます。学問的、建設的反論とはとても呼べる代物ではありません。

*7:これも何ページ目だったか、忘れてしまったのですが、K. レーヴィット、『ある反時代的考察 人間・世界・歴史を見つめて』、中村啓、永沼更始郎訳、叢書・ウニベルシタス 384, 法政大学出版局、1992年の中の Heidegger を批判した文章に Löwith が付した日本人に向けての註で、日本人はわたくし Löwith が、師である Heidegger に対し、強く批判している様子を驚かれるかもしれないが、これはヨーロッパの学者にとって、まったく普通のことなのであり、恩義を負っているから批判しているのであって、そうすることにより、師と自分とを厳しく分離、区別して、自立を図るために行っているのだ、というような感じのことを大よそ述べて、自分の Heidegger に対する批判は、単に文句を言ったり、攻撃したりしているのではないことを説いていました。日本人は、師に対する批判を攻撃と受け止めがちであることはありうると思いますが、日本人のみならず Heidegger も攻撃と受け止めていたようですね。師にそんなふうに受け止められては Löwith にとっても、つらく悲しいことだったろうと推察致します。