洋書

  • Richard Rorty ed.  The Linguistic Turn: Recent Essays in Philosophical Method, The University of Chicago Press, Midway Reprint Series, 1967/1988 (古書)

本書はかなり有名だと思いますが、私はまだ持っておらず、1992年に出た、Rorty の回顧録が載った版がまだ新刊扱いとして入手可能なので、それをそのうち購入したいなと思っておりましたところ、古書店で1992年の版ではないのですが、その前の版がほとんどピカピカの状態で、100円玉三つで入手できるようになっておりましたので、サックッと購入しました。この本については以下の記述をご覧ください。

言語論的転回とは、

20世紀哲学の主動向を表す概念。哲学の基本的方法が意識分析 (反省) から言語分析へと転換したことを示す。この言葉を最初に用いたのはウィーン学団のメンバーであった G. ベルクマンである。彼はそこで「すべての言語哲学者は適切な言語について語ることを通じて世界について語る。これが言語論的転回にほかならず、日常言語哲学者と理想言語哲学者がともに同意する、方法に関する基本的戦略である」と述べている。この言葉が一般に普及するに当たっては、アメリカの哲学者 R. ローティが編纂したアンソロジー『言語論的転回』 〔1967〕 の影響によるところが大きい。本書にはシュリックやカルナップに始まりアームソンやストローソンに至る28篇の論文が4部構成で収録されており、その主旨をローティは言語哲学 (linguistic philosophy) による最近の <哲学革命> を考察する基本資料を提供することに求めている。ここで言語哲学とは言語を対象とする哲学ではなく、言語を方法とする哲学のことであり、「哲学的問題は、言語を改良することによって、もしくはわれわれが現在使っている言語をより良く理解することによって解決 (または解消) される」とする立場を指す。前者は理想言語学派、後者は日常言語学派と呼ばれる。*1


英語論文

  • M. J. Cresswell  ''The Interpretation of Some Lewis Systems of Modal Logic,'' in: Australasian Journal of Philosophy, vol. 45, no. 2, 1967
  • Graham Priest  ''Logic of Paradox Revisited,'' in: Journal of Philosophical Logic, vol. 13, no. 2, 1984
  • Chris Mortensen  ''Anything Is Possible,'' in: Erkenntnis, vol. 30, no. 3, 1989
  • Graham Priest  ''Could Everything Be True?,'' in: Australasian Journal of Philosophy, vol. 78, no. 2, 2000
  • C. A. Middelburg  ''A Survey of Paraconsistent Logics,'' preprint, in: arXiv:1103.4324[cs.LO], 2015, <http://arxiv.org/pdf/1103.4324v2.pdf>


和書

  • 有田正規  『科学の困ったウラ事情』、岩波科学ライブラリー 247, 岩波書店、2016年


邦語論文

  • 小林昌人  「『ドイツ・イデオロギー』編集問題の歪曲 大村氏らのご批判に応える」、『情況』、第3期、情況出版、2007年5月号別冊


小林先生の論考について一言。

先日、以下の論考を入手し、ざくっとですが拝読致しました。

  • 大村泉、渋谷正、平子友長  「第1章 廣松版の根本問題」、大村泉、渋谷正、窪俊一編著、『新 MEGA と『ドイツ・イデオロギー』の現代的探究 廣松版からオンライン版へ』、八朔社、2015年、初出2006年

この大村先生方の論考では、次の文献の編纂方法について批判がなされておりました。

この批判に対し、真っ向から反論しておられるのが上記の小林先生の「『ドイツ・イデオロギー』編集問題の歪曲」です*2

個人的に一番気になったのは、大村先生方がおっしゃるところでは、上記の廣松版と岩波文庫版では新MEGA試行版の新知見が盛り込まれていないので、廣松版と岩波文庫版は学術的価値がないという主張が本当なのか、ということでした。この点に関し、小林先生の「『ドイツ・イデオロギー』編集問題の歪曲」を、こちらもざくっと拝読致しますと、小林先生は、廣松版では新MEGA試行版の新知見をちゃんと盛り込んでいる、大村氏らは読み間違えたか読み飛ばされたかして、新MEGA試行版の新知見を盛り込んでいることを見落としておられる、と反論されていました*3。私の一番気になった論点に関し、両陣営ががっぷり四つに組み合っているので、どちらに軍配を上げればいいのか、判断できませんでした。

私はこの方面の専門家ではありませんし、詳しいことは何もわかりません。大村先生方と小林先生が真正面から対峙されておられ、いったいどちらが正しいのか、現在の私にはわかりません。しかも、この小林先生の反論に対して、大村先生方が再び批判を加えておられるようで*4、そのように再批判を加えておられる論文を拝読してどちらの言い分が正しいのか、確認してみてもいいのですが、ちょっとそこまでやっている時間もありませんし、すみませんが、「どっちが正しいんだか、よくわからない」という状態で、ひとまず結論を保留しておこうと思います。

*1:野家啓一、「言語論的転回」、野家啓一他編、『岩波哲学・思想事典』、岩波書店、1998年、453-454ページ。引用文中のカッコの類いはすべて原文のままです。関連項目の参照を指示する原文中の記号 * は省いて引用しています。

*2:この小林先生の論考を copy しようと学校でこの論考が載っている雑誌の号を手に取ってみたら、見覚えのある表紙が目に入り、「あっ、この号は持っているよ、しばらく前に買ったな、これ」ということに気が付きました。自室の本を詰めた段ボール箱の中にこの号が入っていることを思い出しました。しかしうちに帰って箱から引っ張り出すのも面倒だったので、その場で先生の論考を copy して拝見致しました。かつてこの号を買った際に先生の論考を読んだかどうだかもう覚えていません。大村先生方の論考はその時読んでいなかったので、たとえ小林先生の論考を読んでいたとしても、何のことだか内容がよくわからなかったに違いありません。今もよくわかっていませんが…。

*3:小林、「『ドイツ・イデオロギー』編集問題の歪曲」、184ページ。

*4:渋谷正、大村泉、平子友長、「再び廣松渉の『ドイツ・イデオロギー』編集を論ず 張一兵と小林昌人の空虚な『反批判』を駁す」、『マルクス・エンゲルスマルクス主義研究』、第48号、2007年6月。私はこの論文については未見です。