Professor Jyuichi Katsura, an Eminent Cartesian Scholar, Meets American Analytic Philosophers. (On Closer Examination, However, I Found That Professor Katsura Met One Analytic Philosopher and One Non-Analytic Philosopher.)

先日、某古書市で次の本を見かけました。

桂先生の経験されたことを、いくつかつづった小品集です。桂先生と言えば Descartes や Spinoza あたりをされている先生だと記憶しておりました。しかし申し訳ないことに、私は桂先生の文章をほとんど読んだことがないと思います。Descartes の岩波文庫の翻訳は、ちらちら見たことがあるように思いますが…。いずれにせよ不勉強ですみません。

さて、上記の本のなかを開いて見てみると、以下のような題名の話が出ていました。

桂先生が America で出会った哲学者の話のようです。「一体誰にお会いされたのだろう?」と思い、つらつらと立ち読みしていると、先生は意外な方にお会いしていたようです。私には結構意外でしたので、その話を以下に引用してみたいと思います。(なお、本日の日記は途中で読むのをやめないようにお願い致します。読み始めましたら最後まで読み通していただだければ幸いです。というのも、途中でやめてしまうと、皆さんに誤解を与えてしまうからです。日記の終りあたりで、当初の予想とちょっと異なる結果となっておりますので…。面倒を申しましてすみません。)

さて、先生は America で Albert Balz という Descartes の専門家と、Harry A. Wolfson という Spinoza の専門家に会うことになっていました。どちらも桂先生の専門分野をやっている同業者です。ところが先生が New York に到着すると、Balz さんはもうお亡くなりになっていることがわかりました。それで先生は、Balz さんの代りの方に会うことにしました。その代りの先生が、ちょっと私には意外でした。先生の文章を引用します。

ここであらためて、訪問する相手を決めることになったが、ちょうどジョンス・ホプキンス大学*1へ来ていた坂本[百大]君が口を出して、帰路どうせロサンジェルスに寄るのだろうから、カルナップに会って、自分が翌年カリフォルニア大学へ行けるよう頼んでくれと言う。カルナップと言えば「名士」だから、右の「格率」*2に反すると言ってみたが、[…] とうとう訪問することにして、手続きを事務所*3に依頼した。(「二人のアメリカ哲学者」、113ページ。)

Early Modern の桂先生と Contemporary な Carnap 先生の組み合せとは、何だか意外な感じがして、「えっ、そうなの?!」という印象を受けました。ちょっと変わっている気がするんですけれど…。しかし、まぁ、Carnap さんに会うことは、あり得ることのようにも思われます。Carnap さんは非常に有名だったでしょうし、桂先生と専門が異なるとはいえ、先生が著名だからという理由で有名な哲学者に会いに行かれることもあったでしょうから。

ところで桂先生は Carnap さんに会う前に、専門を同じくしている Wolfson さんに会われました。先生によると、この Wolfson さんは「小柄のあまり風采の上がらぬ老人」 (114ページ) で、「べつに大学者の風貌も態度もないし、気さくなただの老人、それでいて自分の仕事と生活に満足しきっている」 (117ページ) 老人だったそうで、なんだか「しっくりしない」 (同左) 感じがしたそうです。ここで再び桂先生の文章を引用します。

 これと反対の印象を与えたのはカルナップ教授であった。実はロサンジェルスでは、前に日本で会ったことのある、カプラン教授にだけ敬意を表するつもりであった。ところがはじめに触れたような事情で、カルナップ教授を追加することになったうえに、ちょうどカプラン氏の研究室を訪ねた日には、午後講義があるとのことで、ノート片手にカルナップ教授の私宅に車を飛ばしてくれた。教授は悠然として、言語の関係もあるか話しかたも重々しく、いかにも老大家という印象を与える人、このこじんまりした家屋が気に入っているらしく、庭があると喜んでおられた。その庭で三人鼎坐してしばらく閑談、アメリカ産でない三人が偶然顔を合わせたと、カプラン氏が笑う。氏は六歳までだがソ連領の地に育ち、カルナップ教授はラインラントの生まれというわけである。
 氏が講義のために辞去されると、あとはこの老大家とさし向かいになる。ニューヨークで頼まれたことを果たして、さてカルナップ学説には詳しくないし、へたに教えを乞うかたちになるのもしゃくだと考えて、そのほうにはあまり触れず、もっぱら教授が自分の生い立ちやヴィーン、プラーグの教師時代から、二十三年前シカゴに移ったことなど、回想されるのを聞くほうに回った。ヨーロッパではあまり容れられず、友人のライヘンバッハやクラフトなども故人になって、今は全く知人もない、君がヨーロッパを歩いてきたのなら、少し話をきかせてくれということになった。こちらが仕入れてきたばかりの、乏しい知識を披露すると、ふーんやっぱり旧式の哲学をやっているかという返事が返ってきた。そこには自分の立場というか体系というか、しっかりした地盤を築き上げた、ゆるがぬ自信がはっきり示されているように思われた。(「二人のアメリカ哲学者」、117-118ページ。)

これを読んで私が驚いたのは、Kaplan さんの名前が出てきていることです。これはかなり意外な感に打たれました。姓だけが出ていて名が出ていないので、断言はできないですが、それでもおそらくこれは David Kaplan さんのことだと思われます。桂先生が Carnap さんにお会いされたということなら、ぎりぎり想像の範囲内ですが、これに対し、桂先生と Kaplan さんの組み合わせは、完全に想像を超えていました。「えっ! 桂先生と David Kaplan さん?! どうしたの?」という感じで、ちょっとびっくりです。それでも上の引用文中で、先生は Kaplan さんと日本で会ったことがおありのようであり、これも全然知りませんでした。桂先生のお弟子さんや、Kaplan さんの哲学に詳しい方は、ここまでの話は既知のことなのかもしれませんが、私はまったく知らず、上記引用文を読んで初めて知りました。

ただし、桂先生のお会いになった Kaplan さんは、ほんとうに David Kaplan さんだったのかどうか、確信が持てません。Carnap さんのうちに訪れて、私的に話をするような哲学者の Kaplan さんと言えば、David Kaplan さん以外に同姓の方で他に誰かいるのでしょうか? 私にはわかりません。

桂先生の文章中には先生が何年に America を訪問されたのか、どこにも書かれていません。今回取り上げている先生のご高著『懐かしの哲学者』の他の箇所にも、たぶんそのことは記されていないように見えます。ただ、上記の文章のなかで先生は Carnap さんが Chicago に23年前に引っ越してきたと書いておられます。そして Carnap さんが Chicago に来たのは1936年のことですから*4、桂先生が Carnap さんを訪問したのは1959年頃のことと思われます。ところで上記引用文中で Kaplan さんは教授とされています。Kaplan さんは1933年のお生まれですから*5、桂先生に会われた時、大体26歳ぐらいだったことになります。すると26歳にして既に Kaplan さんは教授だったのでしょうか。有能な方ですから若くして教授になっていてもおかしくはないですが、ずいぶん早くに教授になっておられるな、結構早いな、という気がします。しかも Kaplan さんはこれ以前に日本にも来たことがあり、桂先生と会っておられるとなると、かなり若い時に、どういういきさつなのか、桂先生と会っていることになり、ちょっと妙な気がしてきました。

どうも怪しいなと感じ始め、もう少し調べてみると、Kaplan さんは David Kaplan さんなのではなく、Abraham Kaplan さんという方らしいことがわかりました。「なんだ、違うのか」という感じですみません。Abraham Kaplan さんにも別に他意はございません。気を悪くされないでください。

英語の Wikipedia に、''Abraham Kaplan'' という項目があります(https://en.wikipedia.org/wiki/Abraham_Kaplan)。それによると Abraham さんは1918年のお生まれ、Ukraine の Odessa で育ったとあります。18年の生まれなら、桂先生にお会いした時は41歳であり、教授になっていてもまったく問題がありませんね。しかも Ukraine の Odessa 出身ならソ連領の出であることと整合します。そして UCLA で哲学の Ph.D. を取っておられ、1946年ぐらいから UCLA の哲学部で教えており、1952年に教授になったと書いてあります。そしてそれから12年間、そこで教えていたとあります。著作には政治哲学、社会哲学を扱ったものがあるようです。

どうやら桂先生が会ったのは、David ではなく Abraham だったようですね。早とちりが過ぎたようですみません*6。しかし、ちゃんと調べてよかったです。調べなければ桂先生が会ったのは David のほうだと思い込んでしまうところでした。危なかったです。まぁ、どうでもいいんですけどね。でもよかったです。調べることは大切ですね。

以上、何だか腰折れした話ですみません。おやすみなさい。

*1:引用者註: 「ジョンズ・ホプキンズ大学」とする方が、おそらく英語の発音に近く、自然なのでしょうが、原文では「ジョンス・ホプキンス大学」となっていますので、そのまま引用しておきます。

*2:引用者註: むやみに研究者のところに押しかけて、人の研究を邪魔してはいけないという、桂先生が守っておられた格率。

*3:訳者註: 桂先生が海外へ視察旅行に行く際の旅費を出し、事務手続きをしてくれた財団事務所のこと。

*4:Rudolf Carnap, ''The Development of My Thinking,'' in Paul Arthur Schilpp ed., The Philosophy of Rudolf Carnap, Open Court, The Library of Living Philosophers, vol. 11, 1963, p. 34.

*5:Entry ''KAPLAN, David Benjamin,'' in Dov M. Gabbay and John Woods eds., The International Directory of Logicians: Who's Who in Logic, College Publications, 2009, p. 179.

*6:しかも David さんが Ph.D. をお取りになられたのは、すぐ前の註で言及した文献によると、1964年のことです。ということは、David さんが1959年頃に教授という地位を得ることは無理ですね。