The Final Moment of Lesniewski's Life

先日、次の本を古書で購入しました。

  • Denis Miéville  Un développement des systèmes logiques de Stanislaw Leśniewski: Protothétique, Ontologie, Méréologie, Peter Lang, Europäische Hochschulschriften = Publications Universitaires Européennes = European University Studies, Série 20: Philosophie = Philosophy = Philosophie, vol. 164, 1984.

この本はフランス語の本ですが、ドイツ語や英語の引用文も本文中に多数含まれているようです。そして結論の章の一番最後の部分を見ると、ちょっと興味を覚えた事柄が英語で引用されていました。それは Leśniewski が臨終を迎えたときの様子を記したものでした。


Leśniewski が亡くなったことについては、net で簡単に読むことができ、かつ信頼できる source に当たってみると、以下のように記されていました。まず、

  • Peter Simons  ''Stanisław Leśniewski,'' in: The Stanford Encyclopedia of Philosophy, Winter 2015 Edition, <http://plato.stanford.edu/archives/win2015/entries/lesniewski/>,

1. Life, <http://plato.stanford.edu/entries/lesniewski/#Lif>,

では、

Always a smoker, he contracted thyroid cancer and died on 13 May 1939 at the age of 53.

と書かれています。「いつも煙草を吸っていた彼は、甲状腺がんにかかり、1939年5月13日、53歳で亡くなった」とあります。

また、

  • Arianna Betti  ''Stanislaw Lesniewski,'' in: Polish Philosophy Page, edited by Francesco Coniglione and Arianna Betti, <http://segr-did2.fmag.unict.it/~polphil/PolPhil/Lesnie/Lesnie.html>,

の本文末尾には、

Lesniewski died of a thyroid cancer in Warsaw, on May 13th 1939.

と書かれていて、「Leśniewski は1939年5月13日、Warsaw で甲状腺がんにより亡くなった」と記されています。どちらも亡くなったときの様子は描写されていません。


しかし上記の Miéville 本の結論最後の部分では、それが引用によって簡略に記されていますので、その引用文全文を以下に掲載し、私訳/試訳を併記してみます。英語がすらすらとわかる方は、和訳は飛ばしてください。私と同様、英語が苦手な方は、英語がわかりにくい場合、和訳を参照してみてください。ただし、和訳には誤訳が含まれている可能性が非常に高いので、雰囲気を参考にする程度にとどめておいてください。誤訳しておりましたらすみません。


なお、英語引用文の典拠先は

  • T. Kotarbinski  ''Stanislaw Leśniewski: A Handful of Memories,'' distributed at the Lesniewski conference in Krakow, 1976.

のようです。それでは引用してみます。

When I came to visit Stanislaw on the eve of his last day, he asked to have two cups filled with wine, as if we were drinking a stirrup cup before his ultimate journey. Next morning, he demanded that one of his favourite armchairs be brought to the hospital from his apartment. The whim had been complied with, and when Stanislaw Leśniewski had swiftly placed his large frame on the favourite seat people realized that it was not Him, that he lived no more. This took place in Warsaw on May 13, 1939. No matter what the experts will say of his works, evaluating them comparatively and according to the criteria of powerfully developing science, one thing will always remain undisputable truth to me. I maintain, on the grounds of long experience, that he was a man of genius, the only man of genius with whom destiny brought me into a well-nigh every day association. (Kotarbinski, 1976, pp. 12-13).*1


Stanislaw Leśniewski*2 の亡くなる日の直前に彼を訪ねて行ったとき、カップ二つにワインを満たすよう彼に頼まれた。永遠の旅に出る前に別れの盃を酌み交わすつもりであるかのように。翌朝、彼は自分のアパートメントからお気に入りの肘掛椅子の一つをこの病院に運んでくれるよう求めた。その時思った願いはかなえられ、Stanislaw*3 がさっそく大きな体躯をお気に入りのシートにゆだねたとき、人々は気が付いた。それはあの彼ではないと*4。もうこの世にはいないのだと。1939年5月13日、Warsaw でのことだった。彼の業績を比較し、力強く発展している科学の基準に照らして評価しながら、専門家たちが彼の業績について今後何を言うことになるとしても、一つのことは、私にとって常に議論の余地なく真実であり続けるだろう。私は主張し続ける。彼と長きに渡り経験をともにしたことを根拠として、彼は天才だったのだと。私とほとんど毎日顔を合わせることに定められていた唯一の天才であったのだと。

はっきり言って、Leśniewski に興味を覚える方は、ほとんどいないと思いますが、それでも彼の最後の場面に接すると、「う〜む、そうでしたか」と何がしかの感慨を覚えてしまいます。53歳での旅立ちは、ちょっと早すぎますね。ご冥福をお祈り致します。

最後に。誤訳しておりましたら誠にすみません。悪訳や拙い訳がありましたらお詫び致します。もうちょっと勉強致します。すみません。

*1:Miéville, p. 448.

*2:英語原文では 'Stanislaw' とだけなっていて 'Stanislaw Leśniewski' とはなっていませんが、訳するに当たっては、後者の full name で記しておきます。

*3:英語原文では 'Stanislaw Leśniewski' となっていて 'Stanislaw' とはなっていませんが、訳する際は 'Stanislaw' とだけ、しておきます。

*4:英語原文では 'it was not Him' のように 'Him' が大文字で始まっています。なぜ普通に小文字の 'him' ではないのか、正直に言って私にはよくわかりません。通常は大文字で 'Him' と書けば、それは神のことを指していると考えられます。もしもここで 'Him' が神のことを表しているならば、'it was not Him' は「それは神ではなかった」と訳されます。あるいは比喩のようなものとして 'Him' を使っているならば、「さすがの彼も神のような永遠の存在ではなかった」とでも訳されるかもしれません。しかしどちらにしても 'Him' を神のこととして解するのは、私には大げさに響きます。そこで 'Him' を神のことと解するのはやめ、'Him' を単なる強調表現と捉え、'it was not Him' を「それはあの彼ではなかった」、「それはもはや生前のあの彼ではなかった」というつもりで訳してみました。これでよかったのかどうかはわかりませんが、とりあえずどうして今回の訳文を採用したのかを、ここで明らかにしておきます。誤訳しておりましたら大変すみません。