Prime Minister Takashi Hara Is a Scary Man, for He Paved the Way to the Maintenance of the Public Order.

「平民宰相」という catch phrase から、以前に私はてっきり原敬元首相は、平民の気持ちがわかる、平民の味方だったのだろうと、勝手に感じていたのですが、調べてみると、どうもそうではないらしいことがわかり、一年半ほど前にこの日記で、そのことを報告致しました。次がその日記の項目です。

  • 2015年3月1日、項目 ''Was Former Prime Minister Takashi Hara Always on the Side of the Weak?''.

要するに足尾銅山鉱毒事件で強権を振るい、農民を苦しめていたのが原敬であったという話です。これはかなり有名な話のようです。


さて、先日から以下の本を少しずつ読み始めているのですが、

この本でも原敬が恐ろしい男であることが、簡略ながら記されている箇所を見かけました。今日はその部分を引用してみたいと思います。備忘録として記すだけですので、ほとんど引用だけにしておきます。まず、前振りです。

一九二〇 (大正九) 年一月なかば、東京地方裁判所検事局は、森戸辰男「クロポトキンの社会思想の研究」 (東京帝国大学経済学部紀要『経済学研究』、一九二〇年一月号) を「朝憲紊乱(ちょうけんびんらん)」*1にあたるとして、著者の森戸と雑誌発行人・編輯人の大内兵衛の両名を起訴する事件が生じた。いわゆる森戸事件である。この事件は、内務省の検閲上なんら問題にならなかった学術論文に対し、行政処分と無関係・独立に、司法検察官僚が起訴処分権をふりかざして介入してきたことを意味する。すなわち、出版取締りというもっとも基本的な思想統制領域に、司法官僚が、伝統的に独占権をもってきた内務官僚と競合すべくわりこんできたのが、この事件である。ここには新しい治安体制への胎動が感ぜられる。しかも、この事件のイニシャティブをとったのは、時の検事総長平沼騏一郎であった。*2 […]

どうやら戦前のある時期までは、出版統制を、つまり出版物の検閲を内務省が一手に引き受けていたようなのですが、そこに司法省が割り込んできて、行政の観点からのみならず、司法の観点からも検閲をやり出したという点が、森戸事件の point, 時代を画する点だったようですね。内務省だけに任せてはいられない、司法省側からも統制をかけなければ、無政府主義社会主義共産主義を防ぐことができないという危機感が背景にあり、それが森戸事件を引き起こし、さらに進んで治安維持法の制定へとつながっていくようです。


さて、森戸事件に対する原敬の態度です。

 森戸事件は原敬内閣のもとで起された。もともと山県有朋と同様、過激思想取締り、とりわけ「大学教師の途方もなき意見」取締りに熱心な原敬は、平沼らの権力発動に全面的な支持を与えた。こうして、原内閣は森戸事件を契機に、こんご思想統制に積極的に取組むむね明らかにしたが、そのさい「当局は此際司法権に適応して以て国民思想の確立を期する方針なり」*3と宣言した。「当局」は、伝統的な特高警察とならんで司法権 (検察・裁判) によっても、思想取締りを励行する姿勢をしめしたのであった。美濃部達吉は、この司法省の態度をとらえてつぎのように批判しているが、さすがに鋭い。「若し司法当局者にして世間に伝ふる如く、司法権に依つて国民思想を統一せんとする如き意向を有つて居るとすれば、それこそ実に此上もなき司法権の濫用であつて、其の結果の如何に危険なるかは想像するだに膚に慄然たるものが有る」 (美濃部達吉「森戸大内両君の問題に付いて」『太陽』、大九 [= 大正九年] ・三月号、七五頁)。この時代のつぎにやってくる治安維持法体制は、まさに「当局」がのべているとおりの「司法権に適応して以て国民思想の確立を期する方針」を体現したものであった。この体制は、そののちの歴史のなかで美濃部が憂慮したごとく「其の結果の如何に危険なるか」を、現実に証明することになった。*4

奥平先生の話が正しいなら、原敬さんは「大学教師の途方もなき意見」の取締りに熱心だったんだ。途方もない男ですね。こわいな。


なお、以上のことに関して、私が何か誤解、勘違いしておりましたら、お詫び致します。すみません。ここまで読まれた方は、ご自分で原さんのことを調べていただき、ご判断くださいますようお願い致します。

*1:引用者註: 「(ちょうけんびんらん)」は、原文では行間に振られています。

*2:奥平、22ページ。

*3:引用者註: 原文ではここの「司法権に適応して以て」の部分には、傍点が付されています。

*4:奥平、22-23ページ。