Wittgenstein and L'Art brut

先日、次の本を購入し、

その第1章、「ノルウェーにあるウィトゲンシュタインの「小屋」の跡に立って」を読みました。そこでちょっと感じたことを記します。


星川先生は、『論考』を書いた時期の Wittgenstein が統合失調症に近い状態にあったと述べておられます(pp. 50-60)。それを読んで私は思いました。「先生のお話が正しいとすると、Wittgenstein の『論考』 (や『探究』など) は、もしかして哲学における l'art brut ではなかろうか?」と。

L'art brut とされている作品を写真で見ていると、非常に細かい作りをしているかと思えば、荒々しく大胆なところもあり、ものすごく執拗な様子がうかがえるかと思えば、何だか純な、柔らかい気持ちが表われているところもあると思います。

L'art brut の作家たちの特徴の一つは、彼ら/彼女らがいわゆる素人、amateur だったことです。Wittgenstein もそういう傾向があったと思われます。たとえば飯田隆先生は、以下のように述べておられます。

現在の分析哲学の正統的な立場 − すなわち、テクニカルな分野として確立され専門化を遂げた哲学 − からしますと、ウィトゲンシュタインの哲学は「しろうと」あるいは「アマチュア」の哲学と映るだろうと思います。*1


また、l'art brut の作家たちは素人/amateur だったため、芸術上の伝統的な手法を踏襲せず、既存の芸術を参照していないように見えます。これも彼ら/彼女らの特徴の一つだと思われます。彼ら/彼女らは正統的な芸術教育を受けていないようです。

Wittgenstein が哲学の正統な教育を受けていなかったことは、よく知られていると思います。また、彼は伝統的な哲学の手法を無視し、従来の哲学を参照せず、特に後期の彼は、哲学独特の idiom とは異なった、普段の言葉で哲学をしようとしたようです。

飯田先生は次のように述べておられます。

 ウィトゲンシュタインのもうひとつの貢献は、[...] 新しい哲学の仕方を示したことです。[...] 彼の死後、ケンブリッジでの講義の様子を回想した文章を書いた人がたくさんいますから、そうしたものを読むとわかるのですが、ウィトゲンシュタインは「自分は過去の哲学をほとんど知らない。そういうものとは無関係に議論をしよう」と豪語していたといいます。そして、哲学的用語 − たとえば、実体、理性など − を一切使わないで哲学を行う可能性を示しました。これは、授業に出た人たちにとって大変な驚きだったようです。[...] つまり、ウィトゲンシュタインは、過去の哲学者が書いたものを読み、過去から受け継がれてきたさまざまな概念を使って難しそうなことを議論するというスタイルとはまったく違う仕方で、哲学の議論ができることを教えたと言えるでしょう。*2


Wittgenstein が l'art brut の作家たちと同様、執拗で粘着的な傾向を持っているのは、おそらく生涯を通じて見ることができると思われます。

そして特に中期から後期に至っては、哲学の専門用語にこだわらず、素人っぽく日常の言葉で、身近な事柄を詳細に検討していたと思われます。このような素人っぽさも l'art brut の作家たちと似ています。

私たちが Wittgenstein の著作に、どこか病的なところを感じるとすれば、それも故あることなのかもしれません。たぶん l'art brut の作家たちのなかには、自らの病からいえるために作品を製作していたこともあったと思われますが、Wittgenstein も自分の心の病気から救われたいがために、必死に考えを進めようとしていたのかもしれません。病から逃げ、死なずにすむために、彼は彼なりの考えを深めていたのかもしれません。勉強や研究のために彼は考えを進めていたのではないと思われます。哲学することを職業としたかったのではなく、従来の哲学から逃れ、死なずにすむために、彼なりの考えを突き詰めようとしていたのかもしれません。死にたくなかったから、素人くさくても、今までの哲学を無視してでも、自分の考えを洗い出したかったのかもしれません。


Wittgenstein の作品が l'art brut の作品と似ているという点については、既に誰かが指摘しているかもしれません。誰でも思い付きそうなことだと思われます。いずれにせよ、星川先生の文章を拝読しまして、以上のようなことを感じた次第です。間違ったことを書いておりましたら後日訂正します。

*1:飯田隆、「分析哲学からみたウィトゲンシュタイン」、『ウィトゲンシュタイン 没後60年、ほんとうに哲学するために』、KAWADE 道の手帖 哲学入門シリーズ、河出書房新社、2011年、47ページ。

*2:飯田、42-43ページ。