Philosophy Is Useful Because We CAN Prove It.


うちには小犬の nuhsnuh くんと、そしてたぶん犬だと思うのですが、小犬の Lisa がいます。

先日、この2頭が話をしているのが聞こえました。何とはなしに聞いていると、Lisa が「哲学なんて役に立たない」と言っています。それに対し nuhsnuh くんが「そんなことないよ。哲学は役に立たないとよく言われるけど、哲学は役に立つよ。だってその証明があるもん」と言っています。そして淡々とその証明を述べていました。とても簡単で短いものでしたから、ここにその証明を私の言葉で再現してみましょう。


証明 「哲学は役に立つ」

哲学は役に立たないと仮定してみよう (背理法の仮定)。

ならば、その根拠を上げて、哲学は役に立たないことを論証せねばならぬ*1

今、そのことを根拠を上げて論証したとしよう。

ところで、そのような論証を行なっている時、人は哲学していることになる*2。この時、哲学は役に立たないということを主張するのに哲学は役に立っている。

さて、振り返ると、哲学は役に立たないと仮定したことから、今、哲学は役に立つということが帰結した。これは矛盾である。故に、哲学は役に立たないという仮定は否定されねばならない。よって、哲学は役に立たないことはない。すなわち、哲学は役に立つ。

こうして、哲学が役に立つことが証明された。Q.E.D.


なるほど、う~む。

その後、nuhsnuh くんと Lisa は、上の証明について、直観主義者がどうだの、古典主義者がああだの、構成主義者がこうだのと、何か難しいことを言いあっている。私には何だか難解すぎてわからないので、話の筋を追うことができない。

しかし、う~む。それにしても、う~む。

本日はこれで終わります。nuhsnuh くんの証明が間違っておりましたら大変すみません。私の方から代わりにお詫び申し上げます。


PS 上の「哲学なんて役に立たない」という意見と類似した意見に、「哲学なんてする必要がない」というものがあります。この後者の見解に対しても、その反対に、「哲学はする必要がある」ということを、非常に簡単かつ手短に証明することができる論証もあるようです。この日記の2016年1月2日のページに記されています。その日の日記項目 ''Is Consequentia Mirabilis a Basic Form of Reductio ad Absurdum?'' 第2節「Consequentia mirabilis とは何か?」における William Kneale 先生の論文 ''Aristotle and the Consequentia Mirabilis'' からの引用文、およびその引用文に付した引用者の註をご覧ください。

*1:さもないと、無責任な言い放しになる。

*2:そもそも、そのような営み、活動を、哲学と言うのである。