目次
お知らせ
今まで毎月一回、月末の日曜日に更新を行なってきましたが、今後更新は不定 期になる可能性があります。
生活パターンが大きく変わり、毎日慣れないことが次々起こっているため、更新のペースが乱れたり、長期に渡って止まるかもしれません。
この点、事前にお伝えしておきます。何卒よろしくお願い申し上げます。
お知らせ終わり
はじめに
このあいだは Ludwig Wittgenstein が書いた Tractatus Logico-Philosophicus の終盤部分をドイツ語で読んでみました。
ここまでで、その本の前書きと終わり部分を読んでみたわけですが、今度は中ほどの部分を読んでみましょう。ただし、中ほどの部分はテクニカルな話が多く、私自身も正確には理解できないことばかりですので、比較的予備知識なしで読める部分を覗いてみましょう。具体的に言えば「哲学とは何か」という問題に Wittgenstein が答えている有名な部分を読んでみます。命題4.1から4.116です。そこで彼が哲学をどのように考えていたのか、そのことを確認してみましょう。
ちなみに今回も長いブログになります。ドイツ語やフランス語の細かい話をします。時間がないかた、疲れていてこまごまとした話に耐えられないかた、そのようなかたがたは以下の話を読むことはやめたほうがいいと思います。それに柄にもなく Wittgenstein の哲学に関して、少しばかり私の感想を述べます。ただの感想なんか読みたくないというかたもおられるでしょうから、無理にはお勧めしません。時間がありあまっているかたや、何か読んでないと落ち着かないという活字中毒 のかたにはいいかもしれません。たぶんですが ... 。
以下では次の順で各項目を列挙します。ドイツ語原文、ドイツ語文法事項、直訳、逐語訳、既刊邦訳、仏訳、フランス語文法事項、直訳、逐語訳、個人的感想、です *1 。
ドイツ語原文と既刊邦訳、仏訳以外はすべて私によるものです。直訳と逐語訳を掲げ、意訳または自然な訳を掲げていないのは、直訳、逐語訳により、原文の構造を透かし見て、ドイツ語やフランス語を語学的に学ぶためです。直訳や逐語訳こそが翻訳として最善である、と言いたいわけではありません。単に語学のための、便宜上のことです。
著名な哲学の本を原文で読んでみるのは楽しいことですし、翻訳を読むことではわからないさまざまな気付きが得られます。自力で訳し、それを刊行されている既存の邦訳と比べてみると、訳者の先生方の個性も垣間見えて、興味深いことです。徒手 空拳で正確に訳そうとすると、原文を熟読玩味する必要があり、そうなると自然と原文を精読することができます。翻訳でさらりと読んで通り過ぎてしまうところをうんうんうなりながら原文で読むならば、細部にこだわりつつも大局的な理解も必要になり、自ずと目配りの利いた読解ができるようになります。もしも時間や労力に余裕があれば、原文を自力で訳してみることをお勧め致します。とはいえ、日々の生活のなかで時間やエネルギーを確保することは極めて困難なので、無理なことがかなり多いんですけれどもね。いずれにせよ、このブログでの試みが誰かの勉強の一助となれば幸いです。
既刊の邦訳では、ほとんどの人が容易に入手できる、次の二つを参照させてもらいました。
・ ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論考 』、野矢茂樹 訳、岩波文庫 、岩波書店 、2003年、
・ ヴィトゲンシュタイン 『論理哲学論考 』、丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫 、光文社、2014年。
まずは自力でドイツ語原文を和訳したあと、この二つの本と訳文を突き合せて、誤訳していないかどうか、確かめました。すると例によって例のごとく、一箇所、ひどい誤訳を私はしていました。非常に恥ずかしい、とてもつまらないミスです。どこを誤訳していたかは「ドイツ語文法事項」において触れています。それにしても慎重に訳さないとだめですね。気を付けます。既刊邦訳訳者の野矢先生、丘沢先生にお礼申し上げます。助かりました。
なお、私はドイツ語やフランス語に詳しくはありません。上記以外にも何か間違えているかもしれません。そのようでしたら大変すみません。前もってお詫び致します。
また、私は Wittgenstein さん自身と、彼の哲学についても詳しくはありません。そのため、その種のことでやはり何か間違ったことを言っているかもしれません。
こちらもそのようでしたら誠にすみません。重ねてお詫び申し上げます。
加えて、本日のブログの最後に提示している私の個人的感想は、本当にただの感想であり、何らの研究も参照していない、思い付きに基付くものです。そのため少しも深い話をしておりません。読まれる場合には、そのつもりでお願い致します。
ドイツ語の原文は、以下の文献から引用致します。
・ L. Wittgenstein Tractatus Logico-Philosophicus , tr. by C. K. Ogden, Routledge, 1922/1981, pp. 74, 76, 78.
ドイツ語原文
4.1 Der Satz stellt das Bestehen und Nichtbestehen der Sachverhalte dar.
4.11 Die Gesamtheit der wahren Sätze ist die gesamte Naturwissenschaft (oder die Gesamtheit der Naturwissenschaften).
4.111 Die Philosophie ist keine der Naturwissenschaften.
(Das Wort „Philosophie“ muss etwas bedeuten, was über oder unter, aber nicht neben den Naturwissenschaften steht.)
4.112 Der Zweck der Philosophie ist die logische Klärung der Gedanken.
Die Philosophie ist keine Lehre, sondern eine Tätigkeit.
Ein philosophisches Werk besteht wesentlich aus Erläuterungen.
Das Resultat der Philosophie sind nicht „philosophische Sätze“, sondern das Klarwerden von Sätzen.
Die Philosophie soll die Gedanken, die sonst, gleichsam, trübe und verschwommen sind, klar machen und scharf abgrenzen.
4.1121 Die Psychologie ist der Philosophie nicht verwandter als irgend eine andere Naturwissenschaft.
Erkenntnistheorie ist die Philosophie der Psychologie.
Entspricht nicht mein Studium der Zeichensprache dem Studium der Denkprozesse, welches die Philosophen für die Philosophie der Logik für so wesentlich hielten? Nur verwickelten sie sich meistens in unwesentliche psychologische Untersuchungen und eine analoge Gefahr gibt es auch bei meiner Methode.
4.1122 Die Darwinsche Theorie hat mit der Philosophie nicht mehr zu schaffen, als irgend eine andere Hypothese der Naturwissenschaft.
4.113 Die Philosophie begrenzt das bestreitbare Gebiet der Naturwissenschaft.
4.114 Sie soll das Denkbare abgrenzen und damit das Undenkbare.
Sie soll das Undenkbare von innen durch das Denkbare begrenzen.
4.115 Sie wird das Unsagbare bedeuten, indem sie das Sagbare klar darstellt.
4.116 Alles was überhaupt gedacht werden kann, kann klar gedacht werden. Alles was sich aussprechen lässt , lässt sich klar aussprechen.
ドイツ語文法事項
keine der Naturwissenschaften : keine のあとに Naturwissenschaft が省略されています。
etwas bedeuten, was : etwas は不定 関係代名詞 was の先行詞です。
besteht ... aus Erläuterungen : aus 3格 bestehen で、「(3格) から成る、構成されている」。
das Klarwerden von Sätzen : 名詞 Klarwerden は動詞 klarwerden (明らかになる、はっきりする) から来ています。さて、das Klarwerden von Sätzen を直訳すると「文の明晰化/明瞭化」となりますが、これは具体的には「文を明瞭化すること」なのか、それとも「文が明瞭化する」ことなのか、どちらでしょうか。言い換えるとここの von は目的語的2格の von なのか、それとも主語的2格の von なのか、どちらでしょうか。それを判断するためには名詞 Klarwerden の元となった動詞 klarwerden が他動詞なのか自動詞なのかを確認すればわかります。他動詞ならば問題の von は主語的2格か目的語的2格のどちらかであり、自動詞ならば von は主語的2格でしかなく、問題の句は「文が明瞭化すること」と訳されます。ところで動詞 klarwerden は自動詞です。よって問題の von は主語的2格であって目的語的2格ではなく、問題の句は「文が明瞭化すること」という内容を持っていることがわかります。主語的2格と目的語的2格については、たとえば次を参照ください。桜井和市、『改訂 ドイツ広文典』、第三書房、1968年、421-422ページ、清野智昭、『中級ドイツ語のしくみ』、白水社 、2008年、170-171ページ。
klar machen : 4格 + 3格 klar machen で、「(4格) を (3格) に明らかにする、わからせる」。
der Philosophie ... verwandter : 3格 + verwandt で、「(3格) に似ている」。
welches die Philosophen ... für so wesentlich hielten : 関係代名詞 welches の先行詞は dem Studium der Denkprozesse の Studium. die Philosophen が関係文内の主語で、hielten が動詞であり、halten の過去。この halten は A für B halten (A を B と見なす/思う) という構文であり、A に当たるのが welches (= Studium) で、B に当たるのが so wesentlich. 以上を訳すと、「哲学者たちがとても本質的と見なしていた研究」。なお、関係文内の für die Philosophie der Logik は「論理学の哲学にとって」という意味であり、これを先の訳文に組み込むと、「哲学者たちが、論理学の哲学にとって、とても本質的と見なしていた研究」となります。
Nur verwickelten sie sich ... in ... Untersuchungen : sich4 in 4格 verwickeln で、「(4格) に巻き込まれる、陥る」。sie は die Philosophen (哲学者たち) を指しています。ちなみに私は sie は die Philosophie (哲学) を指しているとばかり思い込んで誤訳してしまいました。文法的観点から見れば、die Philosophie のわけがないですよね。sie のすぐ左にその定動詞 verwickelten があって、これは複数形の主語を持つことを示しています。私が誤解した die Philosophie は単数です。複数なのは die Philosophen です。なので、sie が die Philosophie を指すわけがないのです。sie のすぐ左隣に定動詞の verwickelten が否応なく目に飛び込んできているのにひどいミスを私はやっていますね。本当に初歩的な間違いです。以後、気を付けます。
hat mit der Philosophie nicht ... zu schaffen : mit 3格 nichts zu schaffen haben で、「(3格) とは関係がない」。原文ではこの nichts が nicht に変っています。なお、schaffen を tun に換えても同じ意味。
von innen : 内側から。
wird : 推量の werden. 「~するだろう」。
Alles was : Alles は不定 関係代名詞 was の先行詞。このあとにもう一つ出てくる Alles was も同様です。
sich aussprechen lässt : sich4 他動詞 lassen で、「~される、~できる、~され得る」。ここでは「~される」または「~され得る」。直後に出てくる lässt sich ... aussprechen も同様です。
独文直訳
4.1 文は事態の存立 *2 と非存立を表現する。
4.11 真である文の全体は、全自然科学である (あるいは諸々の自然科学の全体である)。
4.111 哲学は自然科学の一つではない。
(語「哲学」は、諸々の自然科学の隣に並んだものではなく、その上か下にあるものを意味しなければならない。)
4.112 哲学の目的は、思考の論理的解明である。
哲学は学説ではなく、活動である。
哲学の仕事は、本質的に説明から成る。
哲学の結果は「哲学的な文」ではなく、文が明瞭となることである。
哲学は、さもなければ言わば濁ってぼやけている思考を明瞭にし、鋭く区別しなければならない。
4.1121 心理学は、何か他の自然科学よりも哲学に似ている、ということはない。
認識論は心理学の哲学である。
記号言語に関する私の研究は、哲学者たちが論理学の哲学にとって大変本質的であると見なした思考過程の研究と一致してはいないだろうか。彼らは大抵の場合、本質的ではない心理学的探究に巻き込まれただけなのであり、私の方法においてもまた、似た危険があるのである。
4.1122 ダーウィン の理論は、自然科学の何か他の仮説よりも、哲学により関係がある、ということはない。
4.113 哲学は、自然科学における議論の余地のある領域を区分けする。
4.114 それ [哲学] は思考可能なことを境界づけ、そのことによって思考不可能なことを境界づけねばならない。
それ [哲学] は思考可能なことによって内側から思考不可能なことを区分けせねばならない。
4.115 それ [哲学] は、言い得ることを明瞭に表現することによって、言い得ないことを表わすだろう。
4.116 そもそも考えられ得ることはすべて、明瞭に考えられ得る。述べられうることはすべて、明瞭に述べられうる。
独文逐語訳
4.1 Der Satz 文は der Sachverhalte 事態の das Bestehen und Nichtbestehen 存立と非存立を stellt ... dar 表現する。
4.11 der wahren Sätze 真である文の Die Gesamtheit 全体は die gesamte Naturwissenschaft 全自然科学 ist である (oder あるいは der Naturwissenschaften 諸々の自然科学の die Gesamtheit 全体 [である])。
4.111 Die Philosophie 哲学は der Naturwissenschaften 諸々の自然科学のうちの ist keine 一つの [自然科学] ではない。
(Das Wort „Philosophie“ 語「哲学」は den Naturwissenschaften 自然科学の über oder unter 上かまたは下に steht ある was ところのものである aber が、しかし nicht neben 隣に [あるところのものでは] ないという etwas ことを muss ... bedeuten 意味しなければならない。)
4.112 Der Zweck der Philosophie 哲学の目的は der Gedanken 思考の die logische Klärung 論理的明晰化 ist である。
Die Philosophie 哲学は ist keine Lehre 教説ではなく sondern むしろ eine Tätigkeit 活動 [である]。
Ein philosophisches Werk 哲学的な仕事は wesentlich 本質的に Erläuterungen 解明 besteht ... aus から成る。
Das Resultat der Philosophie 哲学の結果は „philosophische Sätze“ 「哲学的な文」 sind nicht ではなく sondern むしろ das Klarwerden von Sätzen 文が明瞭となること [である]。
Die Philosophie 哲学は sonst さもなければ gleichsam いわば trübe und verschwommen 曇ってかつあいまい sind である die ところの die Gedanken 思考を klar machen はっきりさせ und かつ scharf abgrenzen 鋭く区別することを soll 求められている。
4.1121 Die Psychologie 心理学は irgend eine andere 何らかの、ある他の Naturwissenschaft 自然科学 als よりも der Philosophie 哲学に verwandter より似ている ist ... nicht のではない。
Erkenntnistheorie 認識論は die Philosophie der Psychologie 心理学の哲学 ist である。
der Zeichensprache 記号言語の mein Studium 私の研究は die Philosophen 哲学者たちが für die Philosophie der Logik 論理学の哲学にとって so wesentlich とても本質的だと für ... hielten 見なした welches ところの dem Studium der Denkprozesse 思考過程の研究に Entspricht nicht ... ? 一致しているのではないか。 sie 彼らは meistens 大抵の場合 in unwesentliche psychologische Untersuchungen 非本質的な心理学的探究に Nur verwickelten ... sich 巻き込まれていただけであり、 und そして bei meiner Methode 私の方法において auch もまた eine analoge Gefahr 似た危険が gibt es あるのである。
4.1122 Die Darwinsche Theorie ダーウィン の理論は irgend eine andere 何らかの、ある他の Hypothese der Naturwissenschaft 自然科学の仮説 als よりも mehr より hat mit der Philosophie nicht ... zu schaffen 哲学と関係があるのではない。
4.113 Die Philosophie 哲学は der Naturwissenschaft 自然科学の das bestreitbare Gebiet 異論の余地のある領域を begrenzt 境界付ける。
4.114 Sie それ [哲学] は das Denkbare 思考可能なものを abgrenzen 区分けし soll なければならず、 und damit かつそれによって das Undenkbare 思考不可能なものを [区分けしなければならない]。
Sie それ [哲学] は durch das Denkbare 思考可能なものを通して von innen 内側から das Undenkbare 思考不可能なものを begrenzen 境界付け soll ねばならない。
4.115 sie それ [哲学] は das Sagbare 言うことのできることを klar darstellt 明瞭に表現すること indem によって、 das Unsagbare 言うことのできないことを bedeuten 意味する wird だろう。
4.116 überhaupt そもそも gedacht werden kann 考えられ得る was ところのものの Alles すべては klar 明瞭に kann klar gedacht werden 考えられ得る。 sich aussprechen lässt 述べられ得る was ところのものの Alles すべては klar 明瞭に lässt sich ... aussprechen 述べられ得る。
既刊邦訳
既刊の邦訳は、おそらく誰もが真っ先に手に取るであろう次から引用します。
・ ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論考 』、野矢茂樹 訳、岩波文庫 、岩波書店 、2003年、50-52ページ。
四・一 命題は事態の成立・不成立を描写する。
四・一一 真な命題の総体が自然科学の全体 (あるいは諸科学の総体) である。
四・一一一 哲学は自然科学ではない。
(「哲学」という語は、自然科学と同じレベルのものを意味するのではなく、自然科学の上にある、あるいは下にあるものを意味するのでなければならない。)
四・一一二 哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
哲学は学説ではなく、活動である。
哲学の仕事の本質は解明することにある。
哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。
四・一一二一 他の自然科学に比して心理学がより哲学に近いわけではない。
認識論は心理学の哲学である。
記号言語に関する私の研究は、哲学者たちが論理の哲学にとってきわめて本質的とみなしていた思考過程の研究に相当するものとなってはいないか。彼らはほとんどの場合いたずらに非本質的な心理学研究にまきこまれていたにすぎない。私の方法にも、同様の危険がある。
四・一一二二 他の自然科学の仮説に比してダーウィン の理論がより哲学と関係するということはない。
四・一一三 哲学は自然科学の議論可能な領域を限界づける。
四・一一四 哲学は思考可能なものを境界づけ、それによって思考不可能なものを境界づけねばならない。
哲学は思考可能なものを通して内側から思考不可能なものを限界づけねばならない。
四・一一五 哲学は、語りうるものを明晰に描写することによって、語りえぬものを指し示そうとするだろう。
四・一一六 およそ考えられうることはすべて明晰に考えられうる。言い表しうることはすべて明晰に言い表しうる。
仏訳
仏訳は
・ Wittgenstein Tractatus logico-philosophicus , tr. par G. G. Granger, Gallimard, 1993, p. 57-58, *3
からの引用です。
4.1 - La proposition figure la subsistance ou la non-subsistance des états de choses.
4.11 - La totalité des propositions vraies est toute la science de la nature (ou la totalité des sciences de la nature).
4.111 - La philosophie n'est pas une science de la nature.
(Le mot « philosophie » doit signifier quelque chose qui est au -dessus ou au -dessous des sciences de la nature, mais pas à leur côté.)
4.112 - Le but de la philosophie est la clarification logique des pensées.
La philosophie n'est pas une théorie mais une activité.
Une oeuvre philosophique se compose essentiellement d'éclaircissements.
Le résultat de la philosophie n'est pas de produire des « propositions philosophiques », mais de rendre claires les propositions.
La philosophie doit rendre claires, et nettement délimitées, les propositions qui autrement sont, pour ainsi dire, troubles et confuses.
4.1121 - La psychologie n'est pas plus apparentée à la philosophie que n'importe laquelle des sciences de la nature. La théorie de la connaissance est la philosophie de la psychologie.
Mon étude de la langue symbolique ne correspond-elle pas à celle des processus de la pensée, que les philosophes ont tenue pour si essentielle à la philosophie de la logique? Oui, mais ils se sont empêtrés le plus souvent dans des recherches psychologiques non essentielles, et ma méthode est exposé e à un danger analogue.
4.1122 - La théorie de Darwin n'a pas plus à voir avec la philosophie que n'importe quelle autre hypothèse des sciences de la nature.
4.113 - La philosophie délimite le territoire contesté de la science de la nature.
4.114 - Elle doit marquer les frontières du pensable, et partant de l'impensable.
Elle doit délimiter l'impensable de l'intérieur par le moyen du pensable.
4.115 - Elle signifiera l'indicible en figurant le dicible dans sa clarté.
4.116 - Tout ce qui peut proprement être pensé peut être exprimé. Tout ce qui se laisse exprimer se laisse exprimer clairement.
フランス語文法事項
des états de choses : états de choses で、「事態」。
à leur côté : à + 所有形容詞 + côté で、「(所有形容詞) のそばに」。
se compose ... d'éclaircissements : se composer de ~ で、「~から成る」。
n'est pas de produire : この de は属詞としての de + 不定 詞で、être とともに「(不定 詞) することである」を意味します。このあとの de rendre の de も同様です。
rendre claires les propositions : rendre + 目的語 + 属詞 で、「(目的語) を (属詞) にする」。次の文に出てくる rendre claires, et nettement délimitées, les propositions も同じです。
pour ainsi dire : いわば。
apparentée à : apparenté à ~ で、「~に似た、~と親戚の」。apparenté は形容詞。
n'importe laquelle des sciences : n'importe lequel で不定 代名詞であり、意味は「どれでも、どちらでも」。原文中の laquelle は science を指します。
ne correspond-elle pas à celle : correspondre à ~ で、「~に対応する、相当する、一致する」。celle は前方の étude の代わり。
des processus de la pensée : processus の発音は「プロセスュス」。語末の s が発音されます。
que les philosophes ont tenue pour si essentielle : que は関係代名詞で目的語。先行詞は celle des processus de la pensée. また、tenir A pour B で、「A を B と見なす」。ここの部分を直訳すると、「哲学者たちがとても本質的と見なしたところの (思考過程の研究)」。
essentielle à la philosophie : essentielle à ~ で、「~に本質的な」。
Oui, mais : 「それはそうだがしかし」。相手の言い分を一旦肯定し、それから反論を展開する際の言い回し。
ils se sont empêtrés ... dans des recherches : se empêtrer dans ~ で、「~にはまって動きが取れなくなる、陥る、巻き込まれる」。
le plus souvent : 大抵。
est exposé e à : exposer A à B で、「A を B にさらす」。
n'a pas plus à voir avec la philosophie que : n'avoir rien à voir avec ~ で、「~とは何の関係もない」の rien を pas に変え、意味は「~とは関係がない」とし、これに比較構文 plus ~ que を掛け合わせたものだろうと思います。
n'importe quelle : n'importe quel で、不定 形容詞として「どんな~でも」。
de l'intérieur : 内側から。反意語は de l'extérieur (外側から)。
par le moyen du pensable : par le moyen de ~ で、「~を用いて、~によって」。
signifiera : 単純未来。推測を表わします。
en figurant : ジェロンディフ。手段を表わします。
dans sa clarté : この dans は、たぶん状態や仕方を表わしているのではないかと思います。この句を直訳すると「それが明瞭である状態で、それを明瞭にする仕方で」。意訳すれば「明瞭に」。
se laisse exprimer : 最後の文に二つ出てくる se laisse は se laisser の活用形であり、se laisser が自動詞を従えれば「~するままである」、他動詞を従えれば「~される」。ここでは exprimer は他動詞なので、意味は「表現される」。
仏文直訳
4.1 命題は事態の存立または非存立を表わす。
4.11 真である諸命題の全体は、すべての自然科学である (または諸々の自然科学の全体である)。
4.111 哲学は自然科学ではない。
(語「哲学」は自然科学の上または下にあるものを意味しなければならず、そのかたわらにあるものを意味してはならない。)
4.112 哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
哲学は理論ではなく活動である。
哲学の仕事は本質的に解明から成る。
哲学の結果は「哲学的命題」を生み出すことではなく、その命題を明瞭にすることである。
哲学は、さもなければ言わばくもってぼんやりとしている命題を明瞭にし、はっきりと境界付けねばならない。
4.1121 心理学は自然科学のどれよりも哲学に似ている、ということはない。認識論は心理学の哲学ではない。
記号言語についての私の研究は、哲学者たちが論理学の哲学に非常に本質的であると見なした思考過程の研究と、一致しているのではなかろうか。それはそうなのだが、しかし彼らは本質的ではない心理学的探究に大抵の場合陥っていたのであり、私の方法も似た危険にさらされているのである。
4.1122 ダーウィン の理論は自然科学の他のどんな仮説よりも哲学と関係がある、ということはない。
4.113 哲学は自然科学の異論のある領域を境界付ける。
4.114 それ [哲学] は思考可能なものの境界線を記さねばならない。それ故、思考不可能なものの境界線を記さねばならない。
それ [哲学] は、思考可能なものを用いることによって、内側から思考不可能なものを境界付けねばならない。
4.115 それ [哲学] は語り得ることを明瞭に描くことによって語り得ないことを表わすだろう。
4.116 本来、考えられ得るものはすべて、表現され得る。表現されるものはすべて、明瞭に表現される。
仏文逐語訳
4.1 La proposition 命題は des états de choses 事態の la subsistance ou la non-subsistance 存立または非存立を figure 表わす。
4.11 La totalité des propositions vraies 真である諸命題の全体は toute la science de la nature 全自然科学 (ou あるいは la totalité des sciences de la nature 自然科学の全体) est である。
4.111 La philosophie 哲学は une science de la nature 自然科学 n'est pas ではない。
(Le mot « philosophie » 語「哲学」は des sciences de la nature 自然科学の au -dessus 上に ou または au -dessous 下に est ある qui ところの quelque chose ものを doit signifier 意味せねばならず mais しかし à leur côté それら [自然諸科学] の横に [あるものを意味してはなら] pas ない。
4.112 Le but de la philosophie 哲学の目的は des pensées 思考の la clarification logique 論理的明晰化 est である。
La philosophie 哲学は une théorie 理論 n'est pas ではなく mais むしろ une activité 活動 [である]。
Le résultat de la philosophie 哲学の結果は des « propositions philosophiques » 「哲学的諸命題」を de produire 生み出すこと n'est pas ではなく mais むしろ les propositions それらの命題を claires 明瞭に de rendre すること [である]。
La philosophie 哲学は autrement さもなければ pour ainsi dire いわば troubles et confuses ぼんやりとして、かつ不明瞭 sont である qui ところの les propositions それら諸命題を claires 明瞭に et nettement délimitées かつはっきりと境界付けるように doit rendre しなければならない。
4.1121 La psychologie 心理学は des sciences de la nature 諸々の心理学のうちの n'importe laquelle どれ que よりも plus より apparentée à la philosophie 哲学に似ている n'est pas ということはない。 La théorie de la connaissance 認識論は la philosophie de la psychologie 心理学の哲学 est である。
de la langue symbolique 記号言語の Mon étude 私の研究は les philosophes 哲学者たちが à la philosophie de la logique 論理学の哲学に si essentielle 非常に本質的であると ont tenue pour 見なした que ところの des processus de la pensée 思考過程の à celle それ [研究] に ne correspond-elle pas 一致してないだろうか。 Oui, mais それはそうだがしかし ils 彼らは le plus souvent 大抵の場合 non essentielles 本質的ではない dans des recherches psychologiques 心理学の探究に se sont empêtrés 陥っていたのであり、 et ma méthode そして私の研究は à un danger analogue 似た危険に est exposé e さらされているのである。
4.1122 La théorie de Darwin ダーウィン の理論は des sciences de la nature 諸々の自然科学の n'importe quelle どんな autre hypothèse 他の仮説 que よりも plus より n'a pas ... à voir avec la philosophie 哲学と関係があるというわけではない。
4.113 La philosophie 哲学は de la science de la nature 自然科学の le territoire contesté 異論のある領域を délimite 境界付ける。
4.114 Elle それ [哲学] は du pensable 思考可能なものの les frontières 境界線を doit marquer 印付けねばならない。
Elle それ [哲学] は par le moyen du pensable 思考可能なものを用いて de l'intérieur 内側から l'impensable 思考不可能なものを doit délimiter 境界付けねばならない。
4.115 Elle それ [哲学] は le dicible 語ることのできることを dans sa clarté それが明瞭である状態で en figurant 表わすことにより l'indicible 語り得ないことを signifiera 意味するだろう。
4.116 proprement 本来 être pensé 考えられ peut 得る qui ところの Tout ce ものはすべて être exprimé 表現され peut 得る。 exprimer 表現 se laisse される qui ところの Tout ce ものはすべて clairement 明瞭に exprimer 表現 se laisse される。
個人的感想
今回取り上げた部分を読んでみて、感じたことを一つ述べてみます。以下の話は専門的な研究に基付くものではなく、単なる思い付きにすぎません。また誰でもすぐに思い付く話なのでので、目新しい話でもありません。決してそのまま信じてしまわず、ただの古い話のむし返しと思って、批判的にお読みください。
さて、4.112を取り上げてみましょう。そこでは二つ目の文で「哲学は学説ではなく、活動である」と言われています。この有名な主張は具体的に何を述べているのでしょうか。
そこで言われている「哲学」、「学説」、「活動」が正確に言って何のことなのか、詳細な説明がないので、上記の有名な主張全体も何のことなのか、正確にはわかりませんが、大よそのところを推測してみましょう。
まず、4.112の四つ目の文「哲学の結果は ... 文が明瞭となることである」と五つ目の文「哲学は、さもなければ言わば濁ってぼやけている思考を明瞭にし、鋭く区別しなければならない」から、哲学はすべて、あるいはその多くが混乱していると言われているように見えます。しかし本当にそうなのか、ここには証明がなく、確たることは言えませんが、仮に哲学はその多くが混乱しているものとしておきましょう。
その上で、哲学が活動であるとはどういうことでしょうか。活動と言ってもいろいろあります。利潤を獲得する経済活動もあれば、遊戯を享受、享楽するスポーツという活動もあります。身の回りをきれいにするという清掃活動もあれば、政治において、利害の調整を有利に進めるための諜報という活動もあります。
哲学とはその多くが混乱しているものでした。4.112の一つ目の文「哲学の目的は、思考の論理的解明である」を読むと、哲学とは思考を明瞭にする活動のこと、特に混乱している思考を明瞭にする活動なのだろうと推測されます。
そして4.112の三つ目の文「哲学の仕事は、本質的に説明から成る」からわかるのは、混乱している思考を明瞭にする際には、その混乱の原因を説明したり解明したりする必要が生じてくる、ということです。
以上から、
(*) 哲学とは、混乱している思考を、その原因の説明や解明を通じて、明瞭にする活動である、
ということになります。
しかし (*) は正しいでしょうか。ただ理由もなくこのように主張するだけでは無責任な放言に過ぎません。正しいということを立証できなければ、根拠のない、一般性を欠いた、気まぐれな発言と見なされることでしょう。したがって、(*) が正しいということを立証する必要があります。
しかしその正しさを立証するとなると、そのためには何らかの哲学的な学説に依拠する必要があるのではないでしょうか。また、その立証の結果が一つの哲学的な学説となるのではないでしょうか。
4.112の二つ目の文では哲学は学説ではないと言われていました。しかしその二つ目の文自身が何らかの学説に基づいている可能性があります。また、この二つ目の文自身が一つの学説であるとも見なされるかもしれません。これは自己論駁的なことではないでしょうか。
どうなんでしょうね。私は4.112の各主張にとても魅力を感じる者ですが、しかしそれらの主張はかなり危ういものであり、そのままでは素朴にすぎると感じられます。それらを洗練化してやる必要があるでしょうが、そうして洗練化してやると、今度はそれが学説化してしまうと思われ、この苦境を脱するには、微妙な隘路を切り抜けて行かねばならないような気がします。なかなか苦しいことになりそうですが、さて、どうでしょうか。う~む、どうなんでしょうね。
私にはよくわかりません。また考えてみます。皆さまもよろしければお考えください。
今日はこれぐらいにします。誤解や無理解や勘違い、あからさまな間違いや的はずれな見解がありましたらすみません。誤訳や悪訳もいろいろと見られるでしょう。ここにお詫び致します。どうかお許しください。