目次
はじめに
今日は Kafka をお休みして、一回息抜きを入れます。
私は19世紀ドイツの数学者・論理学者・哲学者 Gottlob Frege が考えていたことを手がかりに、哲学の問題の理解を深めたいと思っています。
その Frege の文や Frege に関する文を読んでいると Benno Kerry という人の名前を見かけることがあります。
特に Frege の「概念馬のパラドックス」と呼ばれる問題に絡んで Kerry さんの名前が出てきます。
この人については、最近はわかってきたこともあるのでしょうが、昔からどういう人なのか、よくわかっていません (でした)。
この人についての研究が現在どれほど進んでいるのか知りませんが、とにかくこの人についての研究に先鞭を付けたのが次の論文 (と Eva Picardi さんのお仕事) だと思います。
・ Volker Peckhaus "Benno Kerry: Beiträge zu seiner Biographie," in History and Philosophy of Logic, vol. 15, no. 1, 1994.
この論文の Abstract を記しておきましょう。
Kerry さんについてはちょっと気になっていたので、先日、上の Peckhaus さんの論文を読んでみました。ついでに本文全文を日本語に翻訳してみました。
そこで Kerry さんの経歴をここに記しておきたいと思います。上記論文の全訳をここに掲げることは著作権上、問題があるかもしれないですし、翻訳の出来に自信があるわけでもないので、経歴を記したセクションだけ私訳を載せてみましょう。私と同様に、Kerry さんのことが気になっていた方にとって、参考になるかもしれません。(とはいえ気になっている方はあまりおられないかもしれませんが。) あわせてその部分のドイツ語原文も掲載しておきます。こうすれば、私が誤訳している場合、そのことがよくわかり、誤訳による誤解も少しは減ると思います。
さて、さっそくその翻訳と原文を記したいところですが、その前に、先ほどちょっとだけ触れた「概念馬のパラドックス」とは何なのか、そのことをごくごく簡単に述べておきます。
概念馬のパラドックス
この問題は人によっては Frege の考えていたことに特有のものだと思えるかもしれません。そのため Frege の考えに興味のない人には関係のない話のように見えると思います。しかしこの問題は Russell のパラドックスに関係していると考えられるため、Russell のパラドックスが重要な問題だと思う人にとっては無視できる問題ではないと思われます。
では、この問題の不十分で不完全な説明を、ごく簡単にしてみましょう。
安易ですが、現在インターネットで容易に手に入る次の文献を参考にして説明します。
・Ian Proops "What Is Frege's 'Concept Horse Problem'?".
これはネットですぐに見つかると思います。校正されていない proof です。この文献ではこれから述べる問題が詳しく語られていますが、私のほうとしては、この問題をできるだけ専門用語を使わず、基本となるアイデアだけを平易に直観的に換骨奪胎して手短に説明してみます。
「換骨奪胎」とは次のような感じのことです。たとえば Frege や Proops 先生は件の問題をドイツ語や英語の特徴に引き付けて説明している箇所がありますが、つまり定冠詞がどうしたこうしたという話をしながら件の問題を解説していますが、そしてそういう観点から件の問題を解説するのが普通なのですが、定冠詞の話を出さずにできるかぎり日本語を通してだけでもわかるように説明してみました。あまり成功はしていないでしょうけれど。まぁ、とにかく始めてみましょう。
たとえば次の文、
(0) ブーケファロスは馬だ。
という日本語の文を考えてみましょう。
Frege はドイツ語の文を念頭に置いて考えていましたが、もし日本語の文で考えたとするなら、(0) のような文について、これは「ブーケファロス」と「は馬だ」の部分に分離できると考えたでしょう。そして前者のような表現が指しているものを Frege は「対象 (Gegenstand)」と呼び、後者のような表現が表しているものを「概念 (Begriff)」と呼びます。
わかりやすく単純に言ってしまえば、「ブーケファロス」などのいわゆる固有名に相当する表現が指しているものが対象であり、「馬」などのいわゆる一般名が表しているのが概念だ、ということです。
そして Frege は、対象と概念とでは在り方がまったく異なると考えます。それはたとえば、個々の馬と馬であることとが異なるようなものです。別の例で言えば、目の前にお餅が一個ある時、このお餅とお餅であることとが異なるようなものです。実際、目の前にあるお餅は食べることができますが、お餅であることは食べることができませんから、両者は異なっています。
さらに Frege は、何かが対象であるとともに概念でもあるということはない、と考えます。何かが同時に両者であることはない、と考えるのです。
それにまた、対象が概念に変化したり、概念が対象に変化したりすることもない、と考えます。
要するに Frege にとって対象と概念は、いわば絶対的な区別であり、相互に排他的である、と考えるわけです。
さて、そうだとすると、ここで問題が持ち上がってきます。「馬」という表現は概念を表しているのでした。その場合、以下の文は真です。
(1) 概念馬は概念である。
これは同語反復のようなものであり、当然真であると考えられます。
ところで馬という概念は特定の概念であると思われます。たとえば「Socrates」が、同姓の人を別とすれば、あの哲学史上有名な古代ギリシャの一人の哲学者を指す固有名であるように、文 (1) では「概念馬」も特定の固有な一つの概念を指している固有名のようにふるまっていると考えられます。
そうだとすると、「概念馬」 は固有名で、Frege にとり、対象を指している、ということになります。つまり、次が真です。
(2) 概念馬は対象である。
そして彼にとり、対象であるものは概念ではありません。よって (2) から、
(3) 概念馬は概念ではない。
と言えます。そうすると、(1) と (3) により、
(4) 概念馬は概念であり、かつ概念ではない。
となり、これは矛盾です。これが概念馬のパラドックス (の簡略版) です。
さて、このあと経歴の邦訳を掲げる Benno Kerry さんですが、彼は Frege の対象と概念に関する考えに疑問を呈し、Frege の言うそれらの区別は絶対的ではなくて相対的なものであり、両者は相互に排他的なのではない、と主張して、Frege に反論しています。
たとえば誰か一人の人が同時に親でもあり子でもあることは矛盾したことでしょうか? 必ずしも矛盾したこととは限りません。
例を挙げるなら、太郎の子供が一郎であり、一郎の子供が花子だとしてみましょう。すると、一郎は花子の親であり、太郎の子供だから、一郎は同時に親でもあり子でもあることになります。しかし何も矛盾したところはありません。誰かが親であったり子であったりするのは、他の人との関係から相対的に決まってくることだからです。
概念も絶対に概念であって対象ではないのではなく、ある表現が述語の位置に置かれている時は概念を表し、主語の位置に置かれている時は対象を表すのだ、ということです。あるいはある表現が述語としてふるまっていればそれは概念を表し、主語としてふるまっていれば対象を指す、ということです。
しかし Frege は Frege で言い分があります。それは・・・と言いたいところですが、もうこの辺りでこの話は切り上げましょう。今日はこの問題を扱うのではなく、Kerry さんの経歴を記しておくことだったからです。
Benno Kerry 略歴
それでは本日の目的であった Kerry さんの経歴を Peckhaus 先生の論文から引用することで示してみましょう。2-3ページからの引用です。
現在、インターネットで Kerry さんの経歴はいろいろと知ることができるのかもしれません。(私はネットで調べていないので、よくはわかりませんが。) そのためこれから記す情報は古いところや詳しくない面もあるかもしれません。この点、どうかご了承ください。
引用に際しては、脚注および本文内に挿入されている文献名の注記は省いて引用します。また引用文中の「2/3」という数字は、そこまでが原文の2ページ目で、そこからあとが3ページ目になるという、引用者が付けた印です。
私訳
上の引用文に私訳/試訳を付けてみましょう。うまくない訳だとは思いますが、参考までにご覧ください。誤訳しておりましたらすみません。
経歴・研究内容補足
Kerry さんの経歴と研究内容について補足しておきます。まず、経歴の補足を二つ。
経歴補足
その一。Kerry さんは若くして亡くなりましたが、その原因は「ひどい耳の病気 (grausames Ohrenleiden)」だったそうで、ちょうど30才の時のことでした (Peckhaus, S. 2)。
そのニ。生前、Kerry さんの仕事は Frege 以外にも、次の人たちによって言及されていたようです。Christian v. Ehrenfels, E. Husserl, G. Cantor など (Peckhaus, SS. 1, 4)。Kerry さんは Cantor のもとを訪れ、その後、書簡のやり取りもしており、互いの見解を検討し合い、Cantor の集合論、多様体論を話題にしていたみたいです (Peckhaus, S. 4)。
それから Kerry さんの研究内容について一つ、ごく簡単に報告しておきます。
研究内容素描
私たちが問題にしている Peckhaus 論文は、大きく言って前半と後半に分かれており、その前半は Kerry さんの経歴の記述、後半は彼の教授資格請求論文の簡単な内容と、彼の死後、この論文とその他の仕事を元に、親友の数学者が本に編集して出版した経緯、および刊行されておらず行方不明だった教授資格請求論文の発見の状況が語られています。
親友の数学者による編集の経緯や、教授資格請求論文発見の状況は、Kerry さんの考えを本格的に調査・研究したいという方以外はあまり興味を引かないことでしょうから、この話は割愛して、教授資格請求論文の内容と親友による編集本の内容をごくごく簡単に、キーワードを並べるように記しておきます。
Kerry さんが研究していたのは、次のようなことです。ランダムにキーワードを挙げると、数学で使われている極限の概念、数学以外の、たとえば物理学における極限の概念、数列の無限性、空間と時間の無限性、無限小、絶対空間、絶対時間、実体・物質 (Substanz) の概念、原因の概念、連続性、極限値などなど。Kerry さんはこれらの概念の数学的、物理学的意味、そして上記諸概念の形而上学的、認識論的観点からの検討も行っていたようです。
Kerry さんの研究や関心を私なりに一言でまとめると、要するにそれは無限についての哲学的考察であり、Kerry さんは無限論を本領としていた、と感じられます。あるいは後代から見て、数学と哲学を股にかけた数学基礎論の先蹤をなしていた、と思われます。数学と数学以外の学問を視野に納めた無限の哲学を総合的包括的に展開しようとしていたのでしょうか? そんなように思えます。Kerry さんは突然現れて Frege を批判し、そのすぐあとに皆んなの視界から消えてしまったので、通りすがりの「野次馬」が首を突っ込んできたかのように感じますが、どうやらかなり本格的な研究者だったように私には思われます。
終わりに
今日はこれで終わりましょう。いかがだったでしょうか? もちろんここまでの話には、誤字や脱字、誤解や無理解や勘違いが含まれていたかもしれません。誤訳、悪訳、拙い訳もあったと思います。そのようでしたらごめんなさい。どうかお許しいただければと存じます。
私の本日の話はこれらの瑕疵を多数含んだものだったでしょうが、それにもかかわらず、少しでも皆さまの参考になったならばうれしく思います。最後になりますが、今回取り上げた論文の著者 Peckhaus 先生にお礼申し上げます。誠にありがとうございました。
*1:訳注: 二つのことを述べます。その一。「志願兵」という言葉は、戦争が起きている時や起きようとしている時に、兵隊に志願する人を言うことが多いと思われます。ところで1877-78年頃、いわゆるドイツは、私が間違っていなければ、戦争をしていない、または戦争を始めようとはしていない状況だったと考えられます。そのような時に Kerry さんが志願兵になるというのは何か奇妙であり、私は自分が誤訳しているのか、と疑ったのですが、たまたま鹿島徹他編著、『ドイツ哲学入門』、ミネルヴァ書房、2024年を拾い読みしていると、コラムの「軍務・兵役義務」(中島浩貴執筆) に目を通している時、自分は誤訳していないようであり、「志願兵」と訳して構わないようだと気づきました。どういうことかと言いますと、当時、Preußen では Abitur に合格した者は、自ら進んで兵隊に志願すると、兵役の義務期間が一年に短縮され、その兵役が終わると予備士官に任命されるという特権があったようなのです(156ページ)。というわけで、Kerry さんはこの特権を利用して、兵隊に志願したみたいなので、「志願兵」は私の誤訳ではないと思われます。ただし、Kerry さんが Abitur に合格したのは Preußen でのことだったのか、そこまではわからないのですが。そのニ。先ほど「その一」の中で私は「予備士官」という言葉を使い、この元となるドイツ語「Reserveoffizier」の訳として、私訳中でもその言葉を使いました。しかしこのドイツ語を「予備士官」と訳すのが正しいのか、私はよく知りません。軍人の階級名の訳は、その社会、その時代に応じて、適切なものが決まっており、当時のドイツの軍事史に詳しい人でないと、どの訳名が適切なのかわかりません。その筋の専門家でもない私でも調査を徹底すれば判明するかもしれませんが、まぁ、そこまでやっている時間も気力も今はないので、とりあえず「Reserveoffizier」を便宜的に「予備士官」と訳しています。見当違いの訳でしたらごめんなさい。
*2:訳注: 新 Kant 派が、哲学の認識論と当時勃興しつつあった科学としての心理学とを同一視せず、認識論に経験的な心理学的手法を持ち込もうとしなかったことについては、次の文献の '1. Common Features of Neo-Kantians' に、新 Kant 派の特徴七つのうち、第二番目の特徴として挙げられています。Jeremy Heis, "Neo-Kantianism," in: The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Summer 2018 Edition). その第二番目の特徴によると、新 Kant 派にとって認識論とは、知識を人はどのように得るのかなどを、心理学的観点から経験的に記述し、一般化する学問なのではなく、知識として何を信じるべきか、何かを知識として立証するための正当化はいかにすれば果たされるのか、というようなことを追究する学問であり、経験的な観察だけでは決着のつかない問題を扱っている、とされているようです。
*3:訳注: 簡便のため、ドイツ語の Wikipedia で項目「Universität Straßburg」を見ると16世紀にこの大学の前身が創立され、17世紀に大学に昇格し、1872年に Kaiser-Wilhelm により再建されたみたいです。この Kaiser-Wilhelm は1世のほうだと思います。というわけで、Kaiser-Wilhelm 大学 = Straßburg 大学だと思われます。なお、先ほども注の中で触れた鹿島徹他編著、『ドイツ哲学入門』、ミネルヴァ書房、2024年をやはり拾い読みしていると、「アルザス・ロレーヌ」(西山暁義執筆) というコラムがあり、これを見ていると、Straßburg 大学の話が載っていて、Kaiser-Wilhelm 大学 = Straßburg 大学だとは明言されていないものの、ほぼそうだと読める記述があります (158ページ)。