On a Few Titles I Was Impressed by the Last Year

今月は次の文献を購入しました。

みすず書房編  『読書アンケート 2023』、みすず書房、2024年。

これはみすず書房が出していた月刊『みすず』の新年1・2月合併号をリニューアルしたものです。読書アンケート特集が載っているこの合併号は毎年楽しく拝見させていただいておりました。その号では、識者の方々が前年に読んだ、興味深い文献が毎回紹介されていました。今回も同様に紹介されています。

そこで、私は識者でも何でもありませんが、2023年に出た日本語の本で、個人的に重要と思われるものを以下に上げさせていただきます。

 

まず哲学関係の和書です。野本和幸先生のご高著が2点刊行されました。とても興味深いです。

・野本和幸  『フレーゲルネサンス 言語・論理・数学の哲学への招待』、東京大学出版会、2023年、

・野本和幸  『カントと分析哲学』、勁草書房、2023年。

 

そして飯田隆先生の旧著の増補改訂版が出ました。

飯田隆  『言語哲学大全 II 意味と様相 (上)』、勁草書房、2023年。

 

また音楽書では次がとてもよかったです。

マイク・モラスキー  『ジャズピアノ その歴史から聴き方まで (上)』、岩波書店、2023年、

マイク・モラスキー  『ジャズピアノ その歴史から聴き方まで (下)』、岩波書店、2023年。

 

私はこの二つの本、『言語哲学大全』と『ジャズピアノ』を読んで感じたことがあります。あなたは読まれたことがありますでしょうか? この二つの本を読んだ方は、誰でもきっと私と同じことを感じるでしょう。しかし何を感じると言うのでしょうか?

それは、ある意味で「両者ともよく似ている」ということです *1 。ではどの意味で似ていると言うのでしょうか? 次にそれらの類似点をいくつか簡単に述べてみましょう。

 

(1) 歴史を通した入門書

 どちらとも特定の主題をめぐる、歴史を概説する入門書、歴史的な流れで話題を概観する入門書です。一方は現代の言語哲学の歴史的な流れを扱い、他方はジャズ・ピアノの演奏の流れを扱っています。

 ただしどちらの本でも、誰がどこで何をしたとか、どんな本やアルバムを出したとか、誰と誰が学派やグループを組み、いつケンカ別れしたというような、世間や社会との関係の話はあまり前面には出さず、むしろ哲学での考え方や曲の演奏の仕方という、理論や方法のいわば自律的な発展過程を追跡しています。

 たとえば『言語哲学大全』なら各研究者の論証を取り上げて論理的な分析を施し、その展開を後付け、『ジャズピアノ』なら各ピアニストの演奏を取り上げて楽理的な分析を施し、やはりその展開を後付ける、というわけです。

 ジャズの歴史を書いた日本語の入門書では、ジャズ・ミュージシャンの社会的な関係や出来事を物語風に、お話し風に記すことがほとんどで、彼ら彼女らが演奏する楽曲について、音符やコード名を駆使し、踏み込んで楽理的な説明をすることは、かなり少なかったと思います。しかし『ジャズピアノ』では、この数少ない試みを行なっているという点で貴重な書だと言えます。

 (なお、以上のように記しておきながらこう言うのもなんですが、『言語哲学大全』は現代の言語哲学の歴史に関する書であるとは言いにくいかもしれません。一応歴史的な流れに沿って話を進めていますが、歴史をそれほど重視しているわけでもなく、歴史的事実をそれほと参照しているわけでもないからです。むしろ歴史上の事実の分析については弱いと言えますが、それでも、まぁ、本書は歴史的展開を通して現代の言語哲学を概観していると言えますので、一応当該の書籍は歴史に関する本とは見なせるでしょう。)

 

(2) 詳細かつ高度

 どちらとも日本語でここまで詳しく書かれた入門書、歴史的概説書はなかったと思います。ともに入門書の割には話が非常に詳しく、かなり突っ込んだ内容であって、本格的な話への橋渡しをしているところがあります。また、まったくの素人にはちょっと難しい内容であり、玄人にはやさしいものの、玄人にも読ませる内容になっています。読者をやさしい段階からかなり高い段階まで一気に引き上げてくれる、入門書にしてはレベルの高い内容です。

 

(3) 平易

 論の運び方や書き振りがとてもわかりやすく、丁寧です。難しいことをやさしく説明してくれています。わかりにくいことを説明抜きで押し通す、ということがありません。言語哲学の入門書で、ある程度、本格的な話をしようと思ったら、論理学の記号や式を持ち出す必要があります。これを持ち出しすぎると、論理学の勉強をしたことがない読者はその本を投げ出さずにはいられなくなります。

 『言語哲学大全』では論理学の記号や式は出てきますが、あまり出さないように配慮されており、入門者にも読み通せる難易度になっています。他方『ジャズピアノ』の方もその種の配慮がなされています。具体的には、音符を一切使わず、代わりにコード名を利用することで曲の楽理的な説明を行なっています。これにより、最低限、コードについての理解は必要ですが、楽譜が読めなくてもこの本が読み通せるようになっています。

 要するに、両書とも難しすぎず、やさしすぎず、難しい内容をやさしく説明し、なかなか高い程度まで読者を連れて行ってくれる体裁になっています。

 

(4) 控え目

 論述に抑制が効いており、謙虚な態度が感じられます。つまり一方的に断言するのではなく、いわば客観的な事実と個人の主観的意見をちゃんと区別しようという態度が感じられます。

 特に『ジャズピアノ』の方では、それが個人的意見だと読者に明瞭にわかるように書いてあります。たとえばそのような場合は「〜と思う」などというように記してあり、そこは読者として鵜呑みにする必要がないことがすぐにわかります。また、控え目で謙虚な分、はっきりと言い切っていい事柄については自信をもってはっきり言い切っており、「ここは信頼していいな」と、読者を安心させてくれる論述となっています。

 

(5) 註が豊富

 両書とも註が大変多く付されています。典拠先のみを記す註ばかりではなく、事項註もたくさん載っています。これらの註を見ると、非常に幅広い範囲に渡るソースから情報を得ていることがわかります。「これらのソースは短時間で渡り歩けるものではないし、よほどの力がないとその情報を読み解けるものでもないな、これは著者に相当の力がないとできるわざではない」と感じさせるものがあります。多数の出典を明記することで学術的な信頼が得られるよう、また学術的な論駁に耐えられるよう、著者のお二人が考慮している様子がうかがえます。

 また『言語哲学大全』では、註において未刊の文献に時々触れられていることがあります。未刊の文献に註で言及することは、旧版刊行当時、人文系の入門書においては、あるいは研究書においても、他では見られなかったこと、もしくはそれが言いすぎならば、当時においては大変まれで珍しいことだったと思います。そのため文献渉猟の徹底した様子に驚いてしまいますが、『ジャズピアノ』においても、商業出版されていない学術的な博士論文に註でたびたび言及がなされており、これも相当徹底していると驚き感じ入ってしまいます。

 旧版の『言語哲学大全』では、私はこれらの註を頼りに、さらなる文献を芋づる式によく探し出しては図書館・図書室や生協で、せっせとコピーなどをしていたものです。とはいえコピーを入手するだけ入手しておいて、あとは山積みになっていることも多かったのですが ... 。それでもとりあえず勉強になりました。このように、『ジャズピアノ』でも註を頼りに多数の文献などを参照したいところですが、今では時間も労力もなく、その願いはかないそうにもありません。でも、気が向いた時にはいくつかを参照させてもらうつもりです。

 

(6) 索引付き

言語哲学大全』も『ジャズピアノ』も、どちらも入門書であり啓蒙書です。内容や記述のスタイルから言って、厳密にはともに専門書でもなければ学術書でもありません。そのような入門書の類いには通常索引は付きません。にもかかわらず、両書にはわざわざ索引が付けられています。どちらも人名索引が載っており、『言語哲学大全』のほうには、またそちらにだけは、事項索引も載っています。こうして索引が念入りに付いているということは、その本が一度読んだだけで読み捨てにして済むような本ではなく、索引を通して調べ物をするなどして、繰り返しひも解くことが想定され、求められてもいる本だ、ということです。どちらの本も読者に何度も読み返してもらい、少しずつ、かつしっかりと内容を理解して身に付けてもらいたいとの意思が、索引の掲載という体裁に表れていると思います。

 

(7) 装丁が (ほぼ) 同じ

 本の内容とは関係ありませんが、『言語哲学大全』の旧版と『ジャズピアノ』はともに四六判で、複数の巻から構成されています (『言語哲学大全』の新版はA5版) 。どちらの著者の話でも、元々はもっとコンパクトな本にするつもりが、書き進めているうちにページ数が増えてしまい、複数巻になってしまったとのことです。

 

振り返って思うに『言語哲学大全』が出てしまったあとでは、この種の哲学の入門書を書くには、この『大全』レベルの高度な内容のものを書かないと、誰からもほめられなくなってしまったのではないかと、そんな気がします。これが入門書の新たな基準、スタンダードになってしまったと思います。読む方も書く方も、ハードルが大幅に上がってしまったと言えそうです。

このような意味で、『言語哲学大全』も『ジャズピアノ』も間違いなく画期的な仕事、つまりまさに時代を画する仕事だと思います。数段階、ステージが上がったという感じです。そしてこのステージから始めるのが当たり前になってしまったと言えそうです。以前とは見える風景が違ってしまっている、という感じです。

言語哲学大全』を読むことは楽しいことでした。特に『ジャズピアノ』は純粋に楽しかったです。久しぶりに読書を堪能し、読書する喜びを味わいました。哲学の本を読むことは楽しみと同時に「お勉強」っぽくなってしまうことがあるのですが、音楽の本はまったくの趣味なので、ただただ好奇心が刺激され、満たされて、とてもおもしろかったです。

言語哲学大全』の増補改訂版は今後もまだ出ますので、楽しみに待っています。それにしても『ジャズピアノ』だけでなく、『ジャズギター』や『ジャズヴォーカル』など、上記『ジャズピアノ』と同種の本を誰か書いてくれるといいんですが、誰か書いてくれないかなぁ。

 

本日はこれで終わります。上記の書物について、何か皆様の参考になりましたら幸いです。私の話に誤字や脱字などが含まれていましたら謝ります。誤解や勘違い、無理解なところがありましたら、これもお詫び申し上げます。すみません。

 

*1:今、私は「ある意味で」と言いました。余談ですが、何が正しく何が間違っていて、何が本当で何が本当でないか、ということを追求する文献において、「ある意味で」という言葉を目にするのは、私は好きではありません。と言うのも、その言葉が使われている時はしばしば「どの意味で」言っているのか、明らかにしてくれないことが多く、それを明らかにしてくれなければ、当該の文が正確には何を意味しているのかわからず、その文がどの意味でなら正しく、どの意味でなら間違っているのか、判然としないからです。意地悪な言い方をすると、「ある意味で」という言葉を使えば、話を曖昧にすることができ、ごまかすことができてしまいます。学術的な文献においては「ある意味で」という言葉はあまり使わない方がいいと思います。また、それでも使う場合は、直後に「どの意味で」言っているのか、明示すべきでしょう。なお、今、私がここで書いている文章は学術的な文章ではないので「ある意味で」という言葉を使っても、それほどまずいことでもないと思います。それにこのすぐあとに「どの意味で」言っているのか明示しますので、なおさら問題の言葉を使うことは許されると思います。ここまで長い余談でした。本文に戻ります。