Reading Kant's Kritik der reinen Vernenft, Part V

目次

 

はじめに

数か月ぶりになりますが、今回もやはり Immanuel KantKritik der reinen Vernenft をドイツ語原文で読んでみます。本日は有名な「アプリオリ」、「アポステリオリ」の区別を述べている箇所の一部を第ニ版、序論の第一節から見てみましょう。これを今後、数回に分けて見てみます。

以下では次の順番で話を記します。ドイツ語原文、私による文法解説、私の直訳、岩波文庫純粋理性批判』からの該当箇所引用、既存の仏訳、それに対する私の文法解説、私の直訳、です。

私訳である直訳を作成する際には既存の邦訳を参照せずに自力で訳し下し、そのあと岩波訳で誤訳の有無を確認しました。微妙なニュアンスの違いや力点の置き所は多少異なるものの、私訳には完全な誤訳、大きな誤訳はたぶんなかったように見えましたので、下では私訳をそのまま記しています。

ただし、私はドイツ語、フランス語が得意ではないので、ひょっとすると私訳や文法解説に間違いが含まれているかもしれません。気を付けて書いたつもりですが、間違いが残っておりましたらごめんなさい。ではさっそく原文を見てみましょう。

 

ドイツ語原文

Kant の文章は例により Project Gutenberg から引用します *1

 Es ist also wenigstens eine der näheren Untersuchung noch benötigte und nicht auf den ersten Anschein sogleich abzufertigende Frage: ob es ein dergleichen von der Erfahrung und selbst von allen Eindrücken der Sinne unabhängiges Erkenntnis gebe. Man nennt solche Erkenntnisse a priori, und unterscheidet sie von den empirischen, die ihre Quellen a posteriori nämlich in der Erfahrung, haben.

 Jener Ausdruck ist indessen noch nicht bestimmt genug, um den ganzen Sinn, der vorgelegten Frage angemessen, zu bezeichnen. Denn man pflegt wohl von mancher aus Erfahrungsquellen abgeleiteten Erkenntnis zu sagen, daß wir ihrer a priori fähig oder teilhaftig sind, weil wir sie nicht unmittelbar aus der Erfahrung, sondern aus einer allgemeinen Regel, die wir gleichwohl selbst doch aus der Erfahrung entlehnt haben, ableiten.

 

ドイツ語文法事項

Es: このあとの ob 文を指します。

eine: ここから Frage の直前までが Frage にかかる長い冠飾句です。

der näheren Untersuchung noch benötigte: der näheren Untersuchung は3格と思われますが、なぜそうなのでしょうか。おそらくですが「より詳しい探究にとって」とか「より詳しい探究に対し」などの意味を表わすために3格になっているのだと考えられます。そして benötigte は benötigen の過去分詞で、形容詞として働いており、「必要とされた、必要とされている」という意味を持っており、うしろのほうの名詞 Frage にかかっています。

abzufertigende Frage: abzufertigende は Frage にかかる未来受動分詞。形は「zu + 現在分詞 + 名詞」または「zu + 名詞化した現在分詞」。受動的可能または必然を表わします。つまり意味は「〜され得る、〜されるべきである」。

es ... gebe: 4格と es gibt で「4格がある、存在する」。gebe は接続法第一式。間接文内にあるため。

ein ... unabhängiges: これは、この直後の Erkenntnis にかかる長い冠飾句。

von der ... und selbst von allen ... unabhängiges: von 〜 unabhängig で「〜 に寄らない、依存しない」。unabhängiges と、中性 (4格) の格語尾を取っていることに注意。これが修飾する直後の Erkenntnis が女性名詞ではなく、中性名詞と解されていることを示しています。

Man: 特に訳さなくてもよい語。この語を含んだ文は受け身で訳すとうまくいく場合が多いです。man は常に1格なので、文中にあってもただちにこれが主語だと判断できます。

nennt solche Erkenntnisse a priori: 「A4 + B4 + nennen」で「A を B と呼ぶ」。

unterscheidet sie von den empirischen: 主語は前方の Man. sie は Erkenntnisse を指します。また empirischen のあとには Erkenntnisse が省略されています。「A von B unterscheiden」で「A と B を区別する」。

die: 関係代名詞複数1格。先行詞は直前において省略されている Erkenntnisse. 枠構造を成す動詞は haben.

Jener Ausdruck: 直訳すれば「(こちらに対する) あちらの表現」ですが、これが転じて「前者の表現」となっていると考えられます。

genug, um den ganzen Sinn, ... zu bezeichnen: 〜 genug, um — zu 不定詞で「— するのに十分なほど 〜 である」。前から訳し下せば「十分に 〜 なので — できる」。

der vorgelegten Frage angemessen: ここは文法的にはどのように解すればいいでしょうか。私には少なくとも四つの候補が考えられると思います。(1) der が関係代名詞男性1格で、Sinn を先行詞としている関係文の可能性。この場合、現在完了の hat が省略されていると見ます。しかしそうすると「先述の問題を測った意味のすべて」という感じの解釈が施されることになるでしょうが、これは意味不明です。それに der を関係代名詞とすると、vorgelegten Frage が裸になって冠詞がなくなり不自然です。故に der は関係代名詞ではないと思います。(2) der が女性単数2格の可能性。しかしder が2格なら、なぜその直前がコンマ (,) でわざわざ区切られているのか説明できません。故に der は2格ではないと思います。(3) der から angemessen までが、英語のいわゆる分詞構文に当たる可能性。この時、der ... Frage は2格か3格です。すると他動詞 (の過去分詞) angemessen に対する4格がないことになり不自然です。それに意味も「先述の問題に測られた」とでもなって理解不能になります。故にここは分詞構文ではないと思います。(4) 残された可能性で、許容可能と思われるのは、ここを形容詞句と解することです。angemessen は anmessen の過去分詞が形容詞化したもので「〜にふさわしい」とか「〜に関連した」という意味を持ち、der ... Frage は女性単数3格で「先述の問題に」という意味になり、こうしてここの全体の意味は、たとえば「先述の問題に関連した」となり、これが前方の名詞 Sinn にかかっていると解するわけです。こうすれば意味が通ります。それにコンマが der の前にあるのはここを一まとまりの形容詞句としたいからであり、また形容詞なのに angemessen に格変化語尾が付いていないのは、ドイツ語では形容詞がうしろから名詞にかかる場合には格変化せず格語尾を付けないからです。これでこの箇所全体の説明が可能になりました。故にここは形容詞句と解するのがよいと思います。形容詞および形容詞化した過去分詞が名詞のうしろからかかる時、語尾変化しないことについては、桜井和市、『改訂 ドイツ広文典』、第三書房、1968年、95ページの注4, 343ページの2. の2) を参照ください。

pflegt ... zu sagen: zu 不定詞 + pflegen で「〜 するのが常である」。sagen の目的語は直後の daß 文以下。

von mancher ... Erkenntnis: von は「〜 について」の von. mancher から abgeleiteten までがいわゆる冠飾句で、Erkenntnis にかかっています。

ihrer a priori fähig oder teilhaftig sind: ihrer は三人称女性単数1格の sie を2格にしたもの。Erkenntnis を指します。2格 + fähig sein で「2格が可能である」。これは文語的な言い方。また、2格 + teilhaftig sein で 「2格の恩恵にあずかる、2格の便益を受ける」。後者の語句は少し古い言い方。

weil wir ... ableiten: weil とともに枠構造を成す動詞は、うしろのほうの ableiten.

nicht ... sondern: 〜 ではなく、むしろ — 。

selbst: 「〜 自身」の意味。「〜」はここでは前のほうの einer allgemeinen Regel を意味します。このように「〜 自身」の selbst は「〜」から離れて置かれることがよくあります。

 

直訳

 それ故以下は、少なくともより詳細な検討のさらに必要な問いであり、一目見ただけではただちに答えを用意できるわけではない問いである。すなわち、経験には依存しない認識、しかも感官のいかなる印象にも依存しない認識はあるか、である。このような認識は「アプリオリ」と呼ばれ、それはその起源をアポステリオリに持つ、つまり経験のうちに持つ、「経験的」認識から区別される。

 しかしながら前者の表現 [アプリオリ] は、先述の問い [経験に依存しない認識はあるか?] に関連した意味のすべてを表わすためには、まだ十分には規定されていない。というのも、経験という起源から導き出される多くの認識についてはよく次のように言われるのが常だからである。すなわち我々にはそのような認識がアプリオリに可能であり、あるいはそのような認識をアプリオリに授かっているのであって、なぜかというと我々はその認識を経験から直接導き出してくるのではなく、むしろ一般的規則から、つまりその規則自身やはり経験から我々が借りてくるものではあるものの、それでもそのような一般的規則から、件の認識を我々は導き出してきているからである、と。

 

岩波訳

・カント  『純粋理性批判 (上)』、篠田英雄訳、岩波文庫岩波書店、1961年、58ページ。

傍点は下線で代用します。白抜きのカギカッコ『 』が使われているところがありますが、これは普通のカギカッコ「 」に代えます。また訳註は省きます。

 それだから経験にかかわりのない認識、それどころか一切の感覚的印象にすらかかわりのないような認識が実際に存在するのかという問題は、少くとももっと立ち入った研究を必要とし、一見して直ちに解決できるものではない。かかる認識は、ア・プリオリな認識と呼ばれて、経験的認識から区別せられる。経験的認識の源泉はア・ポステリオリである、というのは、その源泉が経験のうちにあるということである。

 ところがア・プリオリという語は、まだ明確を欠いているので、当面の問題に含まれている意味の全体を適切に言い現わすには十分でない。それは経験的な源泉から得られた認識についても、よくこういうことが言われるからである、— 我々はかかる認識を直接に経験から得るのではなくて、一般的な規則 — と言っても、やはり経験から得てきたものであるが、とにかく一般的規則から引き出してくるのだから、我々はア・プリオリに認識し得るし、或はまたア・プリオリな認識をもち得るのである、と。

 

フランス語訳

仏訳は Wikisource France,

Kant Critique de la raison pure, Traduction par Jules Barni, Édition Germer-Baillière, 1869 *2 ,

から引用します。

C’est donc, pour le moins, une question qui exige un examen plus approfondi et qu’on ne peut expédier du premier coup, que celle de savoir s’il y a une connaissance indépendante de l’expérience et même de toutes les impressions des sens. Cette espèce de connaissance est dite à priori, et on la distingue de la connaissance empirique, dont les sources sont à posteriori, c’est-à-dire dans l’expérience.

Mais cette expression n’est pas encore assez précise pour faire comprendre tout le sens de la question précédente. En effet, il y a maintes connaissances, dérivées de sources expérimentales, dont on a coutume de dire que nous sommes capables de les acquérir ou que nous les possédons à priori, parce que nous ne les tirons pas immédiatement de l’expérience, mais d’une règle générale que nous avons elle-même dérivée de l’expérience.

 

フランス語文法事項

C’est ... une question ... que celle de savoir ... sens: この C’est ... que は何でしょうか? おそらくですが、少なくとも三つの可能性が考えられると思います。(1) 属詞 une question ... を強調するためにこれを前方に置き、主部である que 以下の名詞 (句) を後方に回してそれを ce で予示しているか、(2) ce は que 以下の予示であることは確かなのだが、それは別に属詞の une question ... を強調するためではなく、que 以下の主部が長大で、頭でっかちになることから、バランスを取るため、主部をうしろに回しているだけなのか、(3) c’est ... que は通常の強調構文であるか、これらのいずれかだと思われます。いずれにしても意味上の主語は que 以下の celle de savoir ... になり、属詞は une question ... であって、構文上大差なく、意味の点で属詞を強調するか否かの違いがあるだけだと思われます。もしも (3) の強調構文と解するならば、その場合この文は、元来、次の形をしています。Celle de savoir ... sens est une question qui ... coup. この文は Celle de savoir ... sens が主部で、est が動詞、une question 以下が属詞である、英語で言う SVC 型の構文をしています。ここで une question ... を強調するため、強調構文 C’est ... que の ... の部分にそれを入れると、主語と動詞の Celle de savoir ... sens est が que の後ろに回り、C’est une question ... que celle de savoir ... sens est. となります。そして属詞を強調する強調構文の que 以下では動詞の est が省略されるので、そのように略すなら、最終的には原文に見られる C’est donc, ... des sens. という文ができあがります。(1) の C’est ... que の ce が que 以下の予示で、... の部分の強調であることについては、目黒士門、『改訂版 現代フランス広文典』、白水社、2015年、150ページを参照ください。また (3) の、属詞を強調する強調構文の que 以下では動詞の est が省略されることについては、朝倉季雄著、木下光一校閲、『新フランス文法事典』、白水社、2002年、104ページ、項目 'ce1' のII., 70 の丸2「属詞の強調」、六鹿豊、『これならわかる フランス語文法』、NHK 出版、2016年、371ページの一つ目の「メモ」を参照ください。(2) について解説している文法書はあるのかもしれませんが、私はよく調べていませんので知りません。ここでの仏訳がドイツ語の直訳であるとすると、(2) の可能性が最もあり得ると個人的に思われましたので、(2) の可能性を上げておきました。私は (2) の解釈を採用します。ただし、間違っていたらごめんなさい。謝ります。

pour le moins: 少なくとも。

du premier coup: 一度に。

celle de savoir: celle は前にある question の代理。

il y a: 〜 がある。

indépendante de l’expérience et même de les impressions: 「indépendante de 〜」で「〜から独立している」。

Cette espèce de connaissance: 「une espèce de 〜」で「一種の、ある種の〜」という意味であることから「cette espèce de 〜」で「この種の〜」。

on la distingue de la connaissance empirique: on はいろいろな人称を表わしますが、特に訳さずともよい場合が多く、この語を含んだ文は受け身で訳すとしばしばすんなりいきます。最初の la は「Cette espèce de connaissance」を指します。「distinguer A de B」で「A と B を区別する」。

dont: de を含んだ関係代名詞で、ここでは de la connaissance empirique を表わします。この dont を「展開」すると、直後の les sources に接続して「les sources de la connaissance empirique」となります。

c’est-à-dire: つまり、すなわち。

En effet: この語句は、ここでは理由を表わしています。「というのも、なぜならば」。なおこの語句は「実際」と訳されることもあり、仏和辞典に何の注釈も付けずに確かに「実際」という語義が載っていることもありますが、これは古い意味のようです。この語句は昔はよく「実際」ということを意味したようです。

dont: あとに出てくる dire に関連して、dire de 〜 (〜 について言う) の de を含んだ関係代名詞。先行詞は前に出てきている connaissances.

nous sommes capables de les acquérir: capable de + 不定詞で「〜 することができる」。

possédons à priori: この à priori という語は、意味の上で直前の possédons にかかるだけでなく、もう少し前の sommes capables de les acquérir にもかかっています。

ne les tirons pas: この ne 〜 pas は、このあとの mais と対比して使われています。つまり「〜 ではなく、むしろ — である」の意味を出すために使われています。

elle-même: この elle は前方の une règle générale を指しています。

 

直訳

それ故次の問いは少なくともより深い検討を必要とする問いであり、かつ一度には片づけることのできない問いである。すなわちそれは、経験から独立な認識、しかも感官のあらゆる印象からも独立している認識はあるかどうかを知ろうとする問いである。この種の「認識」はアプリオリと言われ、それはその起源がアポステリオリな、すなわち経験のうちにある、「経験的認識」から区別される。

しかしこの [アプリオリという] 表現は、先述の問題 [経験から独立な認識はあるか?] の意味のすべてを理解せしめるためには、まだ十分に明瞭というわけではない。というのも、経験的な起源から導き出された認識でありながら、それを我々はアプリオリに獲得できるのであるだとか、アプリオリに所有しているのであると普段から言っている、そういう認識が多くあるからである。なぜ [経験に由来するのにアプリオリなの] かというと、その認識を我々は経験から直接引き出してくるのではなく、むしろある一般則から引き出してくるからである。ただし、この原則自身は我々が経験から引き出してきたものではあるのだが。

 

例によって私の話には、誤解や勘違い、無理解や無知蒙昧なところ、それに誤訳や悪訳があったかもしれません。また誤字や脱字、衍字もあったかもしれません。そのようでしたらごめんなさい。どうかお許しいただければと存じます。

 

*1:https://www.projekt-gutenberg.org/kant/krvb/krvb003.html. 2023年4月閲覧。

*2:https://fr.m.wikisource.org/wiki/Critique_de_la_raison_pure_(trad._Barni)/Tome_I/Introduction/I.. 2023年4月閲覧。