読書メモ: Frege und Windelband

の198ページにこうある。

[ドイツ]西南学派の哲学者たちが、妥当する価値の問題を哲学的な思考にとっての中心問題であると考えたのは、[…] 西南学派が、ある意味で、すべての判断は価値判断であるとみなしたからにほかならない。[こ]の論点については、フレーゲの論理学構想の端緒を、あらかじめかんたんに確認しておいたほうが分かりやすいように思われる*1

そして続く199ページにはこうある。

ヴィンデルバントにとって、[…] 判断には、そう判断しなければならないという当為(Sollen)の意識がともなう。したがって、すべての判断は同時に「価値判断Beurteilungen」なのである(「哲学とはなにか」『プレルディエン』所収)*2

さて、FregeとWindelbandとの親近性、あるいは、前者が後者に影響を受けているらしいことは、SlugaさんやGabrielさんによって指摘されている。それを考慮に入れて、上記引用文を眺めてみると、文のBedeutungが真理値であるというその真理値の値というものは、Fregeにとり、数値としての値ではなく、価値といういみでの値であった、という解釈の妥当性を補強する論述がそこでは語られていると、読むこともできそうである。Fregeにとり、文の真理値が価値としての値であるという解釈の先行研究はこの日記でもかつて触れた。

*1:引用文中の太字は、原文では傍点が付されている。

*2:引用文中の太字は、原文では傍点が付されている。