The Abstract Tradition from Frege, Russell to Carnap. To the Quinean Station.

以下は単なるmemoである。Memoに過ぎない。


Abstraction PrincipleはFregeからRussell, Carnap、そしてQuineへと大きな流れを持っている。


1.
FregeはAbstraction Principleの一事例をHume's Principleとして取り上げた。
次の式の前者がAbstraction Principleの一般形、後者がHume's Principleである。

    • a = b ⇔ Φ(ξ, ζ),
    • N(F) = N(G) ⇔ F 〜 G.


2.
RussellにおいてはAbstraction Principleは彼の有名なlogical constructionの方法である。この方法を遂行するのに使われるのがAbstraction Principleである。彼が自然数を定義する時はもちろん、no-class theoryにおいても、さらにthe theory of descriptionsにおいても使われているのがこのAbstraction Principleである。


3.
Carnapの場合にはWorldをlogical constructする場合に使われる。つまりAufbauで使われている。しかも非常にkeyとなる場面で使われているようである。彼の哲学にbreakthroughをもたらしたという点で、彼にとってAbstraction Principleは非常に重要なitemである。少し具体的に言うならば、しかし大雑把に言うと、直接与えられた主観的経験から客観的世界を構成・確保するのに、主観のうちの感覚を分析することで客観的世界へと至るのではなく、感覚をAbstraction Principleにより何らかの同値類という対象にreconstructして、客観的世界へと至ろうというのである。彼はこの方法を‘quasi-analysis’と呼んでいるそうである。*1


4.
Quineにおいても、このAbstraction Principleは取り上げられている。それは意味は定義できるか、という話の中で出てくる。Quineによると同義性が確保できれば、言語表現の意味を定義できるとしている。ここでAbstraction Principleが使われている様は、以下の式に明瞭である。‘a’,‘b’には言語表現の名前がくる。

    • The meaning of a = the meaning of b ⇔ a is synonymous with b.

これは先のFregeの話の中で上げたAbstraction Principleの一般形に当てはまる。この式の右辺が言うことができれば、左辺も手に入る。しかしQuineによると、そうはいかない。
Synonymityという同値関係が確保できれば、右辺は成り立つ。そして恐らくだがQuineにとって同一性が言えるならば、つまりcriterion of identityがはっきりしているならば、それは対象と認められると思われる。よって上記左辺が成り立つ限り、その左辺の意味という対象も確保できる。Criterion of identityによってindividuateできるものは真正の対象である。‘No entity without identity’なのである。
しかし、Quineによるとsynonymityは問題含みである。よって上記右辺は意味をなさない。したがって意味のcriterion of identityは明確でなく、左辺に現われる意味なるものをindividuateすることはできないのである。


以上の素描により、Frege, Russell, Carnap and Quineにとり、Abstraction Principleは重要なitem/methodであったと推測されるであろう。


時間がないので上に記したことの典拠をほとんど省いている。批判的検討が必要である。見直していないので、誤字・脱字があるかもしれない…。

*1:ここでのCarnapとAbstraction Principleとの関連については本日入手した次の新刊を参照。A. W. Carus, “Carnap’s intellectual development”, in Michael Friedman and Richard Creath ed., The Cambridge Companion to Carnap, Cambridge University Press, Cambridge Companions to Philosophy Series, 2007, pp. 19-28, especially p. 25ff. ここにおいてCarusさんはVaihingerの影響が、CarnapのAufbauに対して多大であるような記述をなされている。ただしCarusさんのこの論文は、実証的なものではなく、当時のCarnapの様子を「物語っている」というような書かれようであるので、criticalな観点からはCarusさんの記述を鵜呑みにすることはできない。実際の資料と突き合わせてCarusさんの描写が正しいかどうか確認する必要がある。なお、Carusさんに対しては他意はない。きっとCarusさんの言う通りなのだろう。しかし鼻から話を信じては学問的態度と言えないだろうし、それはCarusさんも望むところとされないだろう。