Carnap and Heidegger: Are They Buddy-Buddy?

Carnap が Heidegger の「無が無化する」という話に、言語哲学的な観点から批判を加えたことはよく知られていると思います。そして大方の人は、このような批判は当たっておらず、結局今では Carnap の批判の方こそ「無化」されてしまっているものと思います*1。ただ、このような Carnap の批判に関しては、必ずしも単なる言語哲学的観点だけから Carnap は Heidegger に批判を加えていたのではなく、二人の政治的立場の違いから、Carnap は Heidegger を批判していたのではなかろうか、Heidegger の政治的立場を危惧し、その立場を切り崩す一環として Carnap は Heidegger 批判を行なっていたのではなかろうか、このようなことを私はかつて想像してみたことがありました。そして単に紙面上で Carnap は批判を行なうのではなく、二人で直接会い、お互いに顔を合わせて哲学に関し、議論していたこともあったことは、これもよく知られていると思います。これらのことについては、以下の日付の日記に書き付けたことがあります。

    • 2008年3月12日、項目 'Carnap Meets Heidegger,'
    • 2008年3月17日、項目 'Carnap vs. Heidegger,'
    • 2010年12月1日、項目 'Carnap and Heidegger Agreed on Some Points of a Philosophical Discussion.'

このうち、2008年3月12日と2010年12月1日の日記では、二人が直接会い、言葉を交わしていた話を記しています。また、2008年3月17日の日記では、Carnap の Heidegger 批判が、単なる哲学の理論上の論争にとどまらず、政治的意味合いを帯びた論争という性格を持っていたのではないか、という個人的な想像を詳説しています。


さて、以上のようなことから、私は Carnap が Heidegger と直接議論をした時に、二人は互いに相手を批判する調子で会話を交わしたか、あるいはそうでなくても、互いに十分距離を置きながら、cool に言葉を交わしたのではなかろうかと、そんなふうに個人的に想像していたのですが、先日購入しました次の本をぱらぱらページを繰って眺めていましたら、私の今の想像は、どうも間違いのようであることがわかりました。

つまり、Carnap と Heidegger が言葉を交わした時、二人は批判的になるでもなく、淡々と冷めた会話を交わすでもなく、まったく反対に、お互い好意的に、どうやら楽しげに話をしていたらしいようです。これはちょっと意外でした。

上記の本から木田先生の文を以下で引用してみます。

Carnap と Heidegger が会ったのは、Davos Disputation の際ですが、この Disputation は、今では Neo-Kantianism の終焉を告げたものと理解されており、それは当時、この Disputation を目撃していた人たちも同様に感じていたことで、現象学、教育哲学を専門とした Otto Friedrich Bollnow は、実際これを目撃し、「歴史的な瞬間に居合わせている」(木田、203ページ) と思ったようです。このように、Heidegger versus Cassirer という敵対的な論争的状況が生じていて、登壇していた者も、それを見ていた者も、緊張感の強いられる事態だったと予想されるのですが、

 だが、、ハイデガーより二歳年少で、やはりこのセミナー [Davos Disputation] に参加していたウィーン学団論理実証主義者カルナップは、ボルノウなどとはかなり違った印象を受けている。意外なことに彼は、ハイデガーと一緒に散歩をしたり、喫茶店で話し合ったりして、その真剣で飾らない語り口に感じ入り、きわめて魅力的な人柄だと称えている。(このセミナーの直後、カルナップは『存在と時間』を丹念に読みもしたそうだ。)
 もっとも、カルナップはカッシーラーもまた自分に深い好意を寄せてくれたと感じ、全体としてこのセミナーに友好的な印象を抱いて帰ったらしい。*2

そうだったんだ。Carnap は左で、Heidegger は右ですが、そしてそのことを二人とも、自覚していたでしょうが、1929年の Davos においては、まだそのようなことは表立っては出てきていなかったのでしょうか。Heidegger の Sein und Zeit が出た段階では、まだ誰も Heidegger が Nazism に sympathy を持っているとは (明確には) 気づいていなかったので、右も左もなく、楽しくお話ができた時代だったのかもしれません。

私は、Carnap による Heidegger 批判が、単なる言語哲学的観点からの批判にとどまらず、政治的な意味合いを持っていたのではなかろうかと、想像したのですが、当初二人は決して仲が悪かったわけではなく、むしろ仲よしとも言えるような間柄だったのかもしれません。

Heidegger が Nazi であることが皆にわかるのは、1933年になってからだろうと思います。ところで、よく確かめてみると、Carnap の Heidegger 批判が刊行されるのは1932年です。ということは、Carnap は Heidegger が Nazi であることを知らずに、批判を刊行しているものと思います。とすると、Heidegger が極右であることを知らずに Carnap は批判を加えていたのだということでしょう。ならば、Carnap による1932年の批判は、Heidegger の取る政治的立場をよく知らずに行われていたものと思われ、そうだとすると Carnap の Heidegger 批判は言語哲学的観点からのみならず、政治的観点からもなされていたのではないかという私の想像は、間違っていた可能性が高いということがわかります。

う~む、Carnap と Heidegger の関係については、再考しなければならないですね。


PS

ここでついでに、Heidegger に関して、一言、memo を記します。上記のこととは直接関係はしません。

2014年7月21日の当日記、項目 'Why Was Heidegger Keeping his Anti-Semitic Opinions Quiet? Why Didn't He Apologize for his Discriminatory Ideas? Why Did He Kindly Teach his Philosophy to Jewish Students?' において、Heidegger はドイツ青年運動に共感していて、Hoher Meissner の集会にも参加していたらしいという話を記しました。


購入したばかりの

を見ると、次のようにありました。

 ハイデガーが当初その夢を賭けていたのは、ドイツ青年運動であったらしい。一九世紀末に、汚濁した都会を離れて原始の森を歩き、生の新鮮さと健康と本来性を回復しようとしたワンダーフォーゲルの運動にはじまったドイツ青年運動は、次第に青年たちによる生活革新の運動に変わっていき、一九一三年にカッセル市南郊ホーエ・マイスナーの丘でおこなわれた「自由ドイツ青年」の結成大会で頂点に達した。数多くの運動体を結集したこの大会の大学知識人の代表は、マールブルク大学のナトルプ教授であったが、ニコライ・ハルトマンやルドルフ・ブルトマンと並んで若い日のハイデガーもその構成員として名を連ねていた。この大会で採択された宣言は、「自由ドイツの青年は、自己の決定により、自己の責任において、内的真実をもってその生を形成しようとする。この内的自由のために、彼らはいかなる事情のもとにも一致団結する」というものであった。ほとんど無内容な宣言ではあるが、その無内容さまでふくめて、ハイデガーの本来性の規定を思わせるものがある。ハイデガーは後年、一九二四/二五年冬学期の講義『プラトンソフィスト」』の冒頭 [五ページ] で、このホーエ・マイスナーの大会のことを懐かしく回想している。だが、この運動は第一次大戦開戦によって挫折した。*3

なるほど、やはり懐かしく思っていましたか。


また、次の本を見ると、Heidegger がドイツ青年運動のどの group に属していたかが書かれていました。

まず、次を引用します。

 青年運動について一般的なことがほとんどいえないのは、何もグループの多種多彩のためだけではない。青年運動そのものに「一般的路線」がなかったのである。運動内には、ナチ党員と共産党員、軍国主義者と平和主義者、ユダヤ人と敬虔なカトリック、純粋にアカデミックなグループ (2) と公然と反主知主義を唱える「ブント」が同居していた。主義主張のレベルでこれらを統合することは不可能であった。運動には政治面でも文化面でも指導理念がなかったからだ。各グループは、設計によってではなく自然増殖によって大きくなった建物の中にそれぞれの小さな壁龕をうがった。何といっても各構成単位は完全に自立していたから、あるグループが建物にぴったりしているかどうかなどと考える必要はなかった。このように画一化の能力がなかったので − 制服愛好は高まっていったけれども − 、グループ全部を一つの特大「ブント」に統合しようとする試みが成功する見込みはなかった。*4


そしてこの引用文中の原註 (2) に、次のようにあります。

(2) たとえば、一九一二年に青年運動の周縁グループとして創設されたマールブルクの <大学義勇軍> の会員や会友の顔ぶれを見ると、まるでドイツ文化史から一ページを抜き出したようである。 − マルティン・ハイデガー、ルードルフ・ブルトマン、パウル・ナトルプ、ニコライ・ハルトマン等々。*5

これらのことは、Heidegger の伝記を見れば、書いてあることなのかもしれませんが、その種の本を私は持っておりませんので、周辺の書籍から得た情報を、ここに備忘録として記しておきます。


以上、追記も含め、間違いが含まれておりましたら、お詫び致します。どうかお許しください。

*1:なお、Carnap に逆らって、現在では、分析哲学的観点から、「無が無化する」という Heidegger の発言を擁護し、その文を真と見なしうるのみならず、論理的に真 (logically true) ですらあることを主張する論文もあるようです。Alex Oliver and Timothy Smiley, ''Zilch,'' in: Analysis, vol. 73, no. 4, 2013. ただし、私はこの論文の abstract を読んだだけです。本文は読んでいません。Abstract には次のように書かれています。'[W]e show how Heidegger's 'das Nichts nichtet' comes out as logically true.' それにしても、時代は回れば回るもんですね。

*2:木田、『哲学散歩』、204ページ。'[ ]' は引用者によるもの、'( )' は原文にあるものです。なお、この逸話の source がどこにあるのかは、木田先生はお記しになっていないようです。

*3:木田、『木田元の最終講義』、139-140ページ。引用文中、'[ ]' は原文にあるもので、引用者によるものではありません。

*4:ラカー、263-264ページ。

*5:ラカー、303ページ。