フレーゲと引用符

  • G.フレーゲ 「概念記法の科学的正当化について」 藤村龍雄・大木島徹訳

この論文を読むと、算術の式言語は、不完全ではあるが概念記法の一つである、と最後近くで言っています。興味深い。不完全であるのは論理的な関係を表す表現が欠けているからという。『概念記法』でフレーゲが試みたのは、数学の式言語に論理的関係を表す記号を補うということだった、とのことです。ふむふむ。とても興味深い。
ところでこの翻訳で気になることが一つ。まずフレーゲの言葉を翻訳で上げます(203〜204ページ)。

概念と個物の区別は、一般にははっきりしていない。「馬」は、一個の個体を表示することもできるし、文「馬は草食動物である」のように、種を表示することもできる。ついには、文「これは馬である」のように、馬*2は概念を意味することもできる。

この文の終わり近くで註2を参照するよう促されていますが、註2は次の通りです(209〜210ページ)。

厳密には、引用符を用いて、「馬」と書くべきものであるが、フレーゲは、この時期まだ、記号の使用と言及についての区別を組織的に行なっていない。

さてここで疑問なのですが、註2は厳密には以下のように書かれるべきなのではないでしょうか?

厳密には、引用符を用いて、「「馬」」と書くべきものであるが、フレーゲは、この時期まだ、記号の使用と言及についての区別を組織的に行なっていない。

何だがこんがらがってきますが、後者が正しいような気がするのですが…。
引用符って入り組んで使うと訳わからなくなるんですよね。実際他にも混乱した引用の仕方をこの時期フレーゲは確かにしています。そこではインデントして文をディスプレイしつつ、わざわざさらにその文を引用符で囲っています(cf.his 「ペアノ氏の概念記法と私自身のそれについて」)。インデントした上に引用符で囲ったら、インデントしていない文を二重に引用した効果を持ってしまいます。たとえば「太郎は花子を愛している」という文(1)と

     太郎は花子を愛している

という文(2)は、いわば交換可能だが、(1)と

     「太郎が花子を愛している」

という文(3)は交換可能ではない。この(3)と交換可能なのは「「太郎は花子を愛している」」という二重引用文です。フレーゲは「ペアノ氏の…」で一重の引用文を作るつもりでインデントした上に引用符で囲って結局二重引用文を作ってしまっています。