哲学の基礎的な知識・能力を身につけるということ

昨日の日記で論理学や数学の基礎に戻って勉強しなおそうかと記したけれども、その後でふと「では、哲学の基礎・基本には戻らなくてもいいのか?」と思った。論理学や数学の基礎・基本ということならば、例えば真理表だとか因数分解だとかが思い出されるけれど、哲学の基礎・基本というのは何だろう? 哲学に関する知識の習得を目指す、哲学史の初歩のようなものではなく、哲学することの基礎、哲学することそのものの基本。このようなことに該当するものとは何だろうと思った。で、よくわからないけれど、そのようなことを体現している著作ならばすぐに思いついた。その著作を読むならば、哲学することの基本が身につくと思われる、そんな著作である。以下が私が思いついた著作である。

これらの著作を読めば本当に哲学することの基本が身につくのかどうか、磐石の自信がある訳ではない。いかなる反論にも応えおおせるほどの根拠をたくさん持っている訳でもない。大体個人的好みを反映し過ぎている。
プラトンの『テアイテトス』を上げたが、別にプラトンの他の対話編でも構わない。またウィトゲンシュタインの『青色本』を上げたが、中・後期のウィトゲンシュタインの著作ならば、例えば『探究』でも構わない。フレーゲの場合は『算術の基礎』ではなく、例えば「意義と意味について」でも構わないのかもしれないが、フレーゲに関しては多分『算術の基礎』前半部が一番相応しい。
変な話だがこれらの著作を内容を考えずに読みたいと、ふと思った。内容を考えずに読むというのも変な話だが、そこで展開されているスタイル、考えの進め方、問題の捉え方、何を問うかよりもどう問うか、そういうことを身にしみ込ませたいと、ふと思った。そんなことできるのかどうかは別にして…。
しかしそうするとフレーゲの『基礎』は少しだけだが、親しんでいるので何だか読みにくい。内容を考えながら読んできたのでついつい内容に比重が行く。『青色本』もフレーゲと話題が近いので読みにくい。ウィトゲンシュタインが一番あからさまに哲学している印象を与えてくれて悪くないのだが…。『テアイテトス』はあまり親しんでいないという点でよさそうなのだが、対話編であり、文章に色々と飾りが多く、また好きな田中美知太郎先生訳はちょっと古く感じられて読むのが少々つらい。
さて、哲学をも基礎に戻ってやり直すとするなら、今のところ上記3点のうち、1冊を読むということしか当面私には考えられないのだがどれがいいのだろう? やっぱり自分としては『基礎』かな。う〜む。