Vienna Circleのちょっとしたこと

Thomas RickettsさんのUniv. of PittsburghにおけるHPを見ていると変わった画像が貼り付けてある。それが右の写真。キャプションに次のようにある。

Carnap's record of the Vienna Circle members' votes about certain important philosophical propositions and how their positions were changed after reading the Tractatus of Wittgenstein.

1932年10月から1933年3月にかけて、ウィーン学団メンバーたちがWittgensteinの『論考』を読んだ前後における自分たちの見解の変遷を跡付けた資料のようである。Schlick, Waismann, Carnap, Neurath, Hahn, Kaufmannらそれぞれが11個のテーゼに関して『論考』を読む前、読んでる時、読んだ後にどのような態度を取ったか、○×式に闡明している。例えばテーゼ11. にはこうある。

Die Definition ist eine Festsetzung.

「定義とは規約の一種だ」とでもいう感じだろうか、このようなテーゼの横に、例えばCarnapは『論考』を読む前は‘fehlt’を表す○印を記入し、読んでる時は‘ja’を表す青色の丸印を書き込み、読んだ後は‘unbestimmt’を表すクエスチョン・マークを書き付けている。
‘ja’は賛成・同意の意味であろう。‘unbestimmt’は恐らく態度保留の意味であろう。しかし‘fehlt’は私には今ひとつよくわからない。何かが不足・欠けているという意味だと思われるが何が欠けているのかピンと来ない。多分認識不足、より詳しくはテーゼ11.のようなことは『論考』を読む前は認識したことがなかった、思ってみたこともない、ということを意味しているのかもしれない。
もしもそうだとするとCarnapは定義というものについて、『論考』を読む前は規約だとは思ってみたこともなく、読んでいる時は規約だと思うようになり、読んだ後では懐疑的になって態度を保留するようになった、ということだろうか? 論理実証主義者に見られたという論理的真理の必然性を規約によって説明するという試みと、ここでのCarnapの「定義=規約」説に対する見解の変遷・揺らぎとは何か関係があるのだろうか? しかし定義を数学に見られるnominalな定義だとすると、そのような定義が一種の約束事であるということは、常識だ(った)と思われるし、そうならばCarnapが『論考』を読む以前に定義を約束事である規約だとは気付きもしなかったというのは、ちょっと考えにくいのだが…*1。よくわからない。ただ思いついたことを記したまでなので、多分自分が何か勘違いしているのだろう…。
しかしおもしろい資料だな。これはCarnapian方々にはよく知られた資料なのだろうか? う〜む。

*1:Erich H. Reck and Steve Awodey, ed., Gottfried Gabriel, intro. Frege's Lectures on Logic: Carnap's Student Notes 1910–1914, Open Court Publishing Company, 2004は、Carnapが『論考』を読む何十年も前にFregeの授業に出て論理学の勉強を記録したノートの英訳版だが、そこに掲載されている1914年に受けた「数学における論理」という講義のノートをひも解いてみると、その139ページにCarnapは次のように書き付けている。‘Definitions are stipulations that a group of signs can be replaced by a simple sign.’ ここではCarnapが定義を取り決めのことだと教わっていることがわかる。