要約: 概念記法とは何か?

今日は次の文献を読んだ。すべての段落の内容を要約し、論文余白に書き入れながら読んだ。

  • Jonathan Barnes  “What is a Begriffsschrift?”, in: dialectica, vol. 56, Issue 1, 2002

ごちゃごちゃと書いて読みにくいので、以下にそのすべてを清書する。ただし夜も遅いので一気に書き付けるから誤字脱字の恐れあり。また言うまでもないが、他人のチェックを受けていないので、誤読を犯している恐れもある。極めて厳密な要約、というわけでもない(大体のところは合っていると信じるが…)。それに要約中に勢いがついてきて、段落を追うごとに字数が増えて少々バランスを欠いているかもしれない。いずれにせよとにかく以下に書きくだす。

    1. Fregeによると自然言語は科学に向かない。したがって新たな言語が創造される必要がある。
    2. ではエスペラント風の人工言語の創造が必要なのか?
    3. エスペラント人工言語自然言語並みの表現力を求めるが、Fregeはそこまで求めていない。
    4. Fregeが求めたのは科学にだけ役に立つ言語である。
    5. Fregeの創造した言語は言語の名に値しないという人がいるが、それならFregeは何を創造したのか?
    6. 第一にそれは自然言語をコード化したモールス信号のようなものではない。
    7. 第二に自然言語の補完物を作ったのでもない。
    8. Frereが創造したものは、算術の式言語をモデルとしている。
    9. 算術の式は自然言語に属さない。
    10. Fregeによると算術の式は「算術言語」とでも言うべきものに属する。もしそうなら彼の創造したものは言語である。
    11. ではFregeが創造した言語は書記言語か、音声言語か?
    12. Fregeは書記記号を求める。理由(1)書記記号は音声記号よりも混同することなく区別できる。理由(2)書記記号は音声記号よりもより持続し再確認しやすい。理由(3)書記記号はいみを伝達するのに二次元を利用できるが、音声記号は一次元しか利用できない。
    13. Fregeの3つの理由はもっともなものであり、ありふれたものならば、なぜわざわざそれらの理由を明示するのか奇妙である*1
    14. 新たに創造されるべき言語は書記言語か、音声言語か? Fregeは前者だと言うがなぜ両者ではいけないのか?
    15. Fregeにとって自然言語というものは大抵音声言語であり、古代からもそう思われてきた。
    16. アリストテレス: 文字は音声の記号であり、音声は心の中の思いの記号であり、心の中の思いは事物に似ている。
    17. アリストテレス・テーゼ: 書字は発話に結び付けられる。または書字は発話の写しである。
    18. Fregeはアリストテレス・テーゼを受け入れている。例えば彼にとり、文とは諸表現の連鎖ではなく、音の連鎖なのである。
    19. アリストテレス・テーゼはFregeの初期の作品に見られる。Wortspracheは式言語ではない自然言語のようなもので、Wortschriftはその写しであって、後者はなしで済ますこともできる。
    20. 晩年にもFregeのアリストテレス・テーゼは見られる。そこでのFregeによると: 文→音声→sense  ⇒  文→sense(音声を介さずに)*2
    21. アリストテレス的言語とは、有意味な音の体系からなる言語のことである。それを表記する書字体系はアリストテレス的言語にとって付け足しに過ぎない。
    22. アリストテレス・テーゼによると、自然言語アリストテレス的言語である。
    23. アリストテレス的言語とは、有意味な書字体系からなる言語である。それを発音する音声体系は反アリストテレス的言語にとって付け足しに過ぎない。
    24. Fregeの創造した言語は反アリストテレス的言語である。
    25. ではなぜFregeの創造した言語は‘Begriffsschrift’と呼ばれるのか?
    26. Frege: 私の論理学は(論理的には)概念から始まるのではない。それは判断から始まるのである。そのいみで‘Begriffsschrift’はふさわしい名称ではない。
    27. Fregeは‘Begriffsschrift’が名称としてはふさわしくないと言いつつなぜ‘Begriffsschrift’と呼ぶのか?
    28. ‘Begriffsschrift’はFregeの造語ではない。それは1867年のTrendelenburgにさかのぼる。
    29. Fregeは‘Begriffsschrift’という語が出てくるTrendelenburgの文献への参照を促している。
    30. ‘Begriffsschrift’はさらに1824年のW. Humboldtまでさかのぼる。彼は‘Begriffsschrift’を音の記号ではなく概念の記号と解している。また彼は‘begriffsschriftlich’よりも‘ideographisch’という言い方を好んでいる。
    31. HumboldtはあのChampollionと文通していた。そのChampollionは、音ではなく観念を写した書字を‘ideographique’と言っている。
    32. Champollionのこの発言はフランスの有名な詩を示唆しており、ライプニッツは書簡でその詩に言及していて、Fregeはライプニッツのこの言及箇所を引用している。
    33. 音ではなく観念や事物を写す言語という考え自体は、ライプニッツよりもさらにさかのぼり、T. Browne, Bacon, Plotinusにもその記述が見られる。そこで言われている言語とはエジプトのヒエログリフであって、それは絵文字であり、Begriffsschriftの一種、ideographyの一種である。
    34. 昔からヒエログリフアリストテレス的言語の例外(=反アリストテレス的言語)と見なされてきた。Champollionは反アリストテレス的言語を‘ideographique’と言い、Humboldtも‘ideographisch’とか‘Begriffsschrift’と言う。‘Begriffsschrift’はHumboldtの造語かもしれない。
    35. Fregeはというと、彼のBegriffsschriftの記号を事物の記号だと言う。
    36. つまりFregeの‘Begriffsschrift’という語はほとんど今見た伝統的な通常のいみで使われている。
    37. この「ほとんど」と言うには2つ理由がある。(1)FregeのBegriffsschriftは事物・思想・意義を表すのであって、通常のごとく観念や概念を表すのではない。
    38. (2)FregeのBegriffsschriftは単なる表記法ではない。Begriffsschriftならばideographicな表記法だが、逆は必ずしも真ではない。
    39. これら(1), (2)により、Fregeの‘Begriffsschrift’とChampollionの‘ideographie’の語法は、完全には一致しない。しかし根幹の特徴は共有しているのである。
    40. さてそれでは以上からなぜFregeは自分の創造した言語を‘Begriffsschrift’と呼んだのか? それはそれが反アリストテレス的言語だったからである。つまり書字を本質とし、音声を介さず事物をいみする言語だったからである。
    41. これは平凡な結論である。しかしこれには教訓がある。つまりFregeの‘Begriffsschrift’の英訳には‘ideography’が正しい。事実、両語ともChampollionの‘ideographique’に起源を持つのである。
    42. Jourdainは1912年に‘Begriffsschrift’の英訳として‘ideography’を使い、Fregeもこの訳に反対していない。これ以外の様々な英訳は何のことやらわからず、その訳も安直な逐語訳なので英訳には‘ideography’がふさわしい。
    43. 実はFregeは自分が創造した言語の表現は、推論に関係してくる限りでの意味内容を持っているだけであり、そのような内容を「概念内容」と呼ぶことにするので、自分の創造した言語も‘Begriffsschrift’と呼ぶことにすると、既に1879年のBegriffsschriftで述べてくれている。つまり、言語がBegriffsschriftである。⇔ その言語の表現が持つ唯一の内容は概念内容である。
    44. しかしFregeのこの説明は、後に彼が提示するChampollion流の説明とは異なっている。そもそもideographyは推論のみにかかわっているのではないし、逆に推論のみにかかわる言語はideographyでなければならないというわけでもない。
    45. Fregeの最初の1879年の説明は、後の説明に取って代わられたが、後の説明をFregeがどのようにして思いついたのかは、よくわからない。
    46. それではどこからFregeの最初の1879年の説明はきたのか? TrendelenburgはBegriffsschriftを聴覚可能でもなければならないと言っている点でChampollionの説明に反しているが、そのBegriffsschriftの持つ記号の構造は、表しているものの構造に対応している、という説明がFregeにとって1879年の説明のヒントになったであろう。こうしてFregeはそのまま‘Begriffsschrift’をTrendelenburgから全面的に借用したのではないのである。
    47. では今度はTrendelenburgの反Champollion的な考えはどこからきたのか? Trendelenburgの‘Begriffsschrift’は‘ideographie’の翻訳だから、この後者を次に調べてみる。
    48. 19世紀前半の哲学辞典には以下のようにある。ideographicsとは誰もがわかる表記法ですべてに共通する観念・概念を表現する技術である。あるいはそれは誰もがわかる仕方で、概念のみならずあらゆる関係を表現する表現法であり、さらには判断の中で概念が取り得るすべての組み合わせの様態をも表現する記法である。
    49. 1803年の独語および仏語で書かれたある文献では、独語‘Ideographie’も仏語‘ideographie’も既に使われていて、いみされるものを無媒介にいみする記法として解されているが、その詳しい定義はそこになく周知のこととされているようである。したがって1803年以前から仏語‘ideographie’は存在していた。しかし誰が最初にこの語を造ったのかはわからない。(年代から言って)少なくともChampollionではない。
    50. 上記の哲学辞典の文章から、ideographyには3つの要素があるとわかる。(1)誰にでもわかる普遍言語、(2)観念を表す書記言語、(3)表される概念の構造を表現する言語。
    51. これら3要素は互いに論理的に独立しており、相互にいかなる関係にあるのかはよくわからないが、ideographyが何であるかについてはこれら3要素を挙げるのがよい。
    52. それではFregeにとってこれら3要素はどうだったのだろうか? (1)はFregeに無関係である。(2)はChampollion流のもので、Fregeの1879年よりも後の説明に対応する。(3)はTrendelenburg流でFregeの最初の1879年の説明に当たる。以上からつまるところFregeは自分が創造した言語を‘Begriffsschrift’と呼ぶに際し、最初はある一つのいみでそう呼んでいたのに対し、後にはまったく別の、もう一つのいみでそう呼んでいたのである。[すなわち1879年には(3)のいみで‘Begriffsschrift’と呼んでいたのに対し、後になると(2)のいみで‘Begriffsschrift’と呼んでいたのである。くどいが言い換えると、最初は表されるものの構造を表現する言語として‘Begriffsschrift’と言っていたのに対し、後になると事物を表す書記言語として‘Begriffsschrift’と言うようになったのである。]

以上。

最後にあらためてこの論文のAbstractを掲示しておく。

Before Frege, the term ‘Begriffsschrift’was used to indicate (i) a language the expressions of which adequately represent the structure of the judgements or concepts which they signify, and (ii) a language the written signs of which designate ideas rather than sounds. In 1879 Frege follows (i). Later he adopts (ii) —and with it the Aristotelian theory of language in which it is embedded.

*1:この段落で言わんとしていることは少し私にはわかりづらい。この段落の要約は暫定的なものにとどまる。

*2:「→」の左辺が右辺の写しである。「⇒」の左辺から、人は習慣によって右辺へと言語能力が向上することを表す。