読書

あれやこれやと読み散らかす。特に何らかの結論へと達したわけでもない。
シーザー問題に関連して、定義というものは何かについてあれこれ辞書や論理学の入門書を広げて調べる。また以下を拾い読む。簡略に記す。

  • J. Fetzer  “Aspects of the Theory of Definition”, in: J. Fetzer et al. ed., Definitions and Definability: Philosophical Perspectives, Kluwer Academic Publishers, Synthese Library Series, vol. 216, 1999
  • V. Rantala  “Definitions and Definability”, in: J. Fetzer et al. ed., Definitions and Definability: Philosophical Perspectives, Kluwer Academic Publishers, Synthese Library Series, vol. 216, 1999
  • H. ヴァイル  「第1章 数学的論理,公理論、2. 構成的な数学的定義」、『数学と自然科学の哲学』、岩波書店、1959年 (いわゆるdefinition by abstractionの解説部分)
  • 野家啓一  「「幾何学の基礎」と現象学 −ヒルベルトフレーゲフッサール−」、『現象学年報』、3号、1986年
  • D. ヒルベルト  『幾何学基礎論』、中村幸四郎訳、ちくま学芸文庫筑摩書房、2005年

explicitな定義と文脈的な定義、それにimplicitな定義の違いや、抽象による定義とはいかなる形で定義となっているのか、について復習。

野家先生の論文に次のような一節がある*1

幸いなことに、フッサールの手稿の中には、両者[ヒルベルトフレーゲ]の往復書簡からの抜き書きとそれに対するコメントが残されており(おそらくヒルベルトが回覧したものと推測される)、短いものながら、われわれは論争に対する彼の評価を知ることができる。書簡からの抜粋は、要点を押えた極めて適切な箇所ばかりであり、フッサールが両者の係争点を的確に把握していたことが窺われる。

これが事実だとすると、Fregeの見解は、彼の書簡の回覧という形を通しても、同業の研究者達に広められていたということになる*2。Fregeは完全に孤立していた、というわけではなさそうである。ただし、彼の見解に同意する者が僅少であったとするならば、そのようないみでは孤立していたと言えるのかもしれないが…。

*1:野家、43ページ。

*2:これはヨーロッパの昔から、「公開書簡」という形でよくあったことが、当時まで続いていたということなのだろう。