Fraser MacBride “Speaking with Shadows” の title について

ここのところ以下の文献をしばしば紐解いているが、

  • Fraser MacBride  “Speaking with Shadows: A Study of Neo-Logicism”, in: The British Journal for the Philosophy of Science, vol. 54, no. 1, 2003

この論文の変わった題名のいみをあまり考えずに読んでいた。それで先日論文冒頭のepigraphを読んでみると、題意がよくわかった。以下に引いてみよう。

The irresistible metaphor is that pure abatract objects […] are no more than shadows cast by the syntax of our discourse. And the aptness of the metaphor is enhanced by the reflection that shadows are, after their own fashion, real.

これはC. Wrightの言葉である。大まかに訳し下してみるならば、次のようになるだろうか。
「抗い難き魅力を兼ね備えたメタファーを使って言うならばこうなるだろう。純然たる抽象的対象は、我々の談話が持つシンタックスによって投げ掛けられた影に過ぎない。そして影というものは、それはそれとして、実在するということを思い返してみるならば、先のメタファーの適切さがよりわかるであろう。」
以上からMacBride論文の題意は、「影と話す」ではなく、「影を伴って話す」と理解する方がよいのかもしれない。自分が動けば影も付いて回るように、ある種のシンタックスを持った言語表現を使って話すと、影のようにそれに伴ってある種の対象も存在するものとして付いて回ってくる、というわけである。この際のある種のシンタックスを持った言語表現とは単称名であり、それに伴ってくるある種の対象とは抽象的対象である。
しかしこの論文にはもう一つepigraphが掲げられている。それも引用しよう。

But I feel conscious that many a reader will scarcely recognise in the shadowy forms which I bring before him his numbers which all his life long have accompanied him as faith and familiar friends.

こちらはDedekindの言葉である。勝手に前からざくっと訳し下すと次のような感じだろうか。
「しかし私にはわかっている。多くの読者は、影のようなぼんやりとした形で私が提示するような数を、数として認めないだろうことを。その数が、長き生涯に渡って読者と共に歩んできた信頼の置ける親しき友としてのあの数であることを。」


WrightのepigraphでFregean Platonismの核心を小気味よく描き出し、続くDedekindのepigraphで向こう見ずなFregean Platonismに対し、いささかの抑制・自重が必要であることを示してくれている。
なるほどね、Fregean Platonismは大胆で面白い。しかし哲学の常として、これには誰も黙っちゃいない。そんなにすぐにFregean Platonismによる数を数として簡単に認めることなどありえない。上のepigraphからはそう言っているように聞こえる。