入手文献: E・レヴィナス、『存在の彼方へ』

フッサールハイデガー現象学を学び、フランスに帰化したユダヤ人哲学者レヴィナス。戦争の世紀の証人として生き、「平和とは何か」の問いを極限まで考察したレヴィナスは、本書において他者への責任とは他者の身代りになることだと説く。「存在と時間」(ハイデガー)以降最も重大な著作とされ、独自の<他者の思想>の到達点を示す大著の文庫化成る。

分析系を勉強している人間が、このような本を買うことになろうとは、まったく想像してなかった。でもまぁ元の朝日出版社版も、ずっと前に一応ページをめくってたりもしたのですけどね。もちろんちゃんと読んでないです。

上記文庫版をぱらぱらのぞいてみて、心残る文を一つ引用しておきます。

「おのれを打つ者に頬を差し出し、満ち足りるまで辱めを受けること」、苦しみをこうむりつつこの苦しみを要請すること[…]、それは、一種の魔法を使って、苦しみから贖いの力を抽き出すことではなく、迫害の外傷のうちで、こうむられた侮辱から迫害者に対する責任へと移行することであり、この意味において、苦しみから他者に対する贖いへと移行することである。*1

これは、伝統的な旧約聖書中の代贖思想と、レヴィナスの独自の考えとがブレンドされている文章なのだと思われる。

この文と同主旨の文章が、『哲学雑誌』2006年793号に掲載の岩田先生の論文末尾近くに記されているように記憶している。もしかして先生は上に引用した文章を下敷きにして論文をお書きになったのだろうか?

*1:レヴィナス、『存在の彼方へ』、259ページ。