入手文献 Tractatus: Resoluteな読解 1

  • Roger M. White  Wittgenstein's 'Tractatus Logico-Philosophicus' A Reader's Guide, Continuum, 2006

注文していた新刊を入手。スターバックスでちらほら拾い読む。平易な英語。語彙数が足りない者でも読みやすい。


近ごろのTractatus読解に関しては、新しい読み方が出てきているようで、その代表がCora DiamondさんとJames Conantさんのようである。
それはTractatusの6.54

私を理解する人は、私の命題を通り抜け −その上に立ち− それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。[…](いわば、梯子をのぼりきった者は梯子を投げ棄てねばならない。)*1

という、Tractatusの最後近くで出てくる命題を文字通りに本気で捉える読みのようである。
不勉強なもので、このような最近の読みがどのようなものかまったく知らなかったが、今日入手した本に簡単な解説と批判的検討が掲げられている。pp. 125-134に出てきている。大雑把に短く言うと以下のような感じか。

Tractatusは2つの部分からできており、1つはframeという部分と、後は残りの部分である。frameというのは序文とS. 6あたりである。これらのframe以外が大体のところ、今述べた残りの部分に当たる。ただしこの残りの部分の中にも一部frameに当たる命題が含まれている。
いずれにせよ、frameと残りの部分である。残りの部分を「本文」と読んでおく。で、frameがTractatusの目指すところへと導いてくれるguideであり、序文から本文を通って上記6.54のframeへと到る。そしてこの6.54により、本文は文字通りナンセンスとして投げ棄てられねばならない、これが最近のTractatusの読解法として有力視されてきているもののようである。
ただ、伝統的には真面目に本気で本文をナンセンスと捉えることはなされてこなかったようである。多くの場合、6.54を無視するか、弱体化させた解釈が採られてきたみたいだ。というのも本文をナンセンスだと言っても、実際にはいみを取れるのだし、本気でナンセンスと解した場合にTractatusをどう理解すればいいのか上手い案が見つからないし、それに6.54は本文に後から付け加えられた形跡があるようだということで、6.54を切り離してTractatusを解釈しても不自然ではなかろうとの意見があったみたいで、それで「Tractatusの本文=ナンセンス」説は声高には主張されてこなかったようである。
しかしここにきてDiamondさん、Conantさん方々がナンセンス説を力説しているとのことである。ちなみにこの説はちょっとCarnapのTractatusに対する態度と似ているらしい。このCarnap類似説の出典は面倒なので今ここでは触れません。

と、ここまで書いて時間切れ。夜も遅いしくたびれているのでやめにしよう。
なおWittgensteinをちゃんと勉強しているわけではないので、以上の記述に責任は持てません、念のため。
詳しくは今日の入手文献該当部分を参照願います。

*1:岩波文庫版より。