Memo: On Hume's Principle

以下は単なるmemoである。

FregeはGrundlagenのS. 62で、数の相等性に対する一般的な基準は何かということを述べ、続くS. 63の冒頭でHumeがその基準に言及していると書いている。この基準が‘Hume's Principle’と呼ばれるものであり、式で書くなら以下の通りである。この原理の名付け親、G. Boolosさんから引いてみる*1

    • ∀F∀G( NF = NG ↔ F eq G ).

これを読み下せば次の通りである*2。「Fであるものの数がGであるものの数であるのは、FであるものがGであるものと一対一に対応させることができるとき、かつそのときに限る。」
Humeが述べているという数の相等性の基準は、彼の著書A Treatise of Human Nature, 1739-40, つまり『人間本性論』=『人性論』の第1篇、第3部、第1節、第5段落で述べられている。そこで実際その部分がどうなっているか、Humeの著書を岩波文庫、大槻春彦先生訳で読んでみた。
Humeがその前後で論じているのは、絶対に確実な知識にはどのようなものがあるかということのようである。そのような知識の候補をいくつか検討し、そのいずれも確実ではないとして却下され、次のように述べるに至る。『人性論』の第1篇、第3部、第1節、第5段落と第6段落冒頭を引用してみる*3

 それ故、推理の連鎖を如何に錯雑した程度まで進めようとも猶且つ完全な正確性と確實性とを保存できる学としては、僅かに代数学と算数学が残るだけである。〔この二つの学では、〕数の等しさ及び割合を判定できる精密な基準があり、この基準に對應するか否かによって、些かも錯誤の可能性なしに数の関係が決定されるのである。例えば、二つの数を集成する各々の単位がそれぞれ常に相應するとき、我々は二つの数が等しいと宣言する。然るに延長は、このような等しさの基準を欠いている。そのため、幾何学は完全な誤りない学と見做すことが殆どできないのである。
 かくて私の主張は次のようである、即ち幾何学は、算数学及び代数学に特異な精密性並びに確實性に達しないが、しかし猶且つ感官及び想像の不完全な判断より卓越するのである。

太字の部分がHumeの言う基準、Hume's Principleに対応する部分である。Humeによると、この基準があるからこそ算術および代数学が厳密・確実な学問だと言われているようである。つまりHumeにとってのHume's Principleとは、算術・代数学の厳密・確実性の根拠として持ち出されているということになる。


なお、Dummettさんは‘Hume's Principle’という呼称を使用することに反対されている。その根拠に二つ理由を挙げておられる。
まず一つ目として、FregeはHume's Principleに当たることをHumeの著作該当箇所から引用しているが、そのような該当箇所の事柄を文字通りに主張したくて引用しているのではなく、‘surely little more than a joke’としてそうしているのである。大体Humeの該当箇所は‘very vague’であり、その内容自体はFregeが数の定義に利用するのには反対していた‘units’という言葉が含まれる。だからあたかもその原理がHumeに多くを負っているかのように響くHume's Principle’という呼称は使用すべきでない。
二つ目は、‘Hume's Principle’と言うと、ある一つの原理のことのように感じさせるが、これは二つの原理を一まとめにした呼称である。厳密には二つの区別できる原理を一つの呼称で述べているので、正確さに欠ける。実際Fregeもこの呼称が表わす二つの原理をちゃんと区別して論じている。したがって二つの事柄を一つに端折っている‘Hume's Principle’という呼称を宣することは、Fregeの本意ではない。それは区別すべきことを一緒くたにしてしまっていてよろしくないのだ。
略して言うと大体ながら以上のようである*4

*1:G. Boolos “The Consistency of Frege's Foundations of Arithmetic”, in his Logic, Logic, and Logic, p. 186.

*2:Ibid., pp. 186-7.

*3:D. ヒューム、『人性論 (一) 第一篇 知性に就いて (上)』、大槻春彦訳、岩波文庫岩波書店、1948年、122-123ページ。一部旧字体新字体で代用した。また「〔 〕」は訳者の挿入、そして太字は引用者による。

*4:cf. Michael Dummett, “Neo-Fregeans: In Bad Company?”, in: The Philosophy of Mathematics Today, Matthias Schirn ed., Clarendon Press, 1998, pp. 386-7.