以下をつらつら読む。
- Kai F. Wehmeier and Hans-Christoph Schmidt am Busch “The Quest for Frege's Nachlass”, in: M. Beaney and E. Reck, ed., Gottlob Frege, Critical Assessments of Leading Philosophers Series, Vol. 1, Frege's Philosophy in Context, Routledge, 2005
- 小林敏明 『廣松渉 ―近代の超克』、再発見 日本の哲学シリーズ、講談社、2007年
- 阿部謹也 『「世間」とは何か』、講談社現代新書、講談社、1995年
1本目について。
これは既にドイツ語で出ていた論文だが、今回初めて英訳されたもの。
どこかの有名なフランスの作家が書いていた小説のタイトルみたいに、この論文の題名を訳すれば、「フレーゲの、失われた『遺稿』をもとめて」とでもなるだろうか。Fregeの遺稿は空襲で灰燼に帰したと伝えられているが、実は残存しているのではないか、と問題提起している論文です。
1945年3月25日のMunsterへの空爆で、Fregeの遺稿は焼けてしまい、もうない、というのが公式見解であると私たちは信じていると思います。しかしこの論文著者達の調査によると、空襲で灰燼と化したと証言している情報ソースとなっている人物は、Munster大学の文書部前部長(the former head of the manuscript department)、Dr. Heinrich Jansenさんなのですが、この方はMunster爆撃の当時、Munsterには滞在しておらず、この爆撃の状況を直接には知らない、ということが、判明したようです。このようなことからして、Fregeの遺稿が灰燼に帰した、と確と断言できる情報ソースを持っている人を、現在私達は突き止めることができない、ということのようです。
ただし、私はまだこの短い論文を全部読んでいません。途中まで読んで、話がわからなくなってきた。色々と日付やら情報ソース関係やらが錯綜してきて、ノート取りながら整理しつつ読まないと話がこんがらかる。また順番にまとめながら読み直そう。
なお、この論文に付された註に興味深いものがある。66ページの註5にこうある。それはScholzさんがFregeの遺稿の内容を書き取ったノートに見られる記述である。
[I]n which, according to Scholz, Frege attempted to provide a foundation for arithmetic without using extensions of concepts, […]
強調は引用者による。概念の外延を使わずに! これが事実だとすると、岡本先生が高く評価されている次の論文の根本テーゼと相反するのではなかろうか?
この論文の根本となる主張は、多くのNeo-Fregeanの期待とは異なり、Fregeは概念の外延を使わずしては、算術を基礎付けることはできなかった、というものである。
しかし上記の引用が正しいとすると、Fregeは本人自ら概念の外延なしで、算術を基礎付けようとしていた、ということになる。これはRuffinoさんの見解に反する。
さて、真相はどうなんだろう?