入手文献: レヴィナス 「哲学、正義、愛」


1982年にレヴィナスに対してなされたインタビューの記録。印象深い発言がいくつか見られる。
先日、かつて愛していた元彼女に会い、愛することについて、何か思いを抱きたくなったので入手。
そこに見られる印象深い言葉を一つ、以下に引用する*1

愛という使い古され、手垢にまみれた語を、私はあまり好みません。他者の運命をみずからの責任において引き受けること、と言い換えましょう。

まったくその通りである。レヴィナスさんの文章は、大部分がわからないが、この発言は、まったくその通りである。実感として、ありありとよくわかる。
愛とはまさに他者の運命をみずからの責任において引き受けること、である。相手が何をなし、いかなる結果を来たそうとも、それを我がこととして、私に責任があることとして、引き受けること、これが愛である。たとえ彼女が罪人となろうとも、それを我が責任として受け入れ、ともに償い再起を図ろうと試みること、これである。
すべては私に責任があるのである。すべては私の中から出てきているのである。全部私のせいなのだ。
これほど被虐的な物言いは、大抵の人には理解不可能かもしれない。私もかつてはそうだった。しかし私は言われた。「人のせいにするんじゃない。すべてはお前に責任があるんだ。すべてお前に責任があるものと考えよ。」
私はそう考えた。そして、長く曲がりくねった真っ暗な回り道を経て、私は愛を得た。
しかしそのように極端に被虐的な覚悟をみずからに決めることは、常に私に可能だろうか。志は、かつての彼女を愛していたとき、そうであった。私はそうありたいと思う。
ただ、いざというときの行動が、私を証しするであろう。人は、あなたの言葉によってではなく、あなたの行為によって証しされる…。


以上、いささか取り留めがなかったかもしれない。おやすみなさい。

*1:レヴィナス、146ページ。