Memo: 現代における‘sortal’の起源

Sortalsについては、その元々の起源をAristotleのCategoriesにまでさかのぼり、LockeのAn Essay Concerning Human Understandingを経て、FregeのGrundlagenへと至り、現代においては、現在問題となっているいみでの‘sortal’の初出を、P.F. StrawsonのIndividuals (1959) に見出すことができると言われている*1


では実際にStrawsonさんは‘sortal’についてどのように述べているのか、調べてみた。
彼のIndividualsの邦訳は以下の書である。

  • P.F. ストローソン  『個体と主語』、中村秀吉訳、みすず書房、1978年

この書の「2 カテゴリー規準」というsectionの202-209ページの、特に203ページが‘sortal’の初出ではなかろうかと思われる。彼はそこで‘sortal universals’とか‘a sortal universal’と書いている。邦訳では「部類的普遍者」と訳されている。この訳が出ている箇所を邦訳で以下に引用したい。


しかしその前に、Strawsonさんがそこで何をやっているのかを手短に記しておく。なぜならそうしないと断片的に引用文を掲示しても、脈絡を把握していないとまったくわからない文だからである*2


今から引用する文の前後でStrawsonさんは何をやっているのかというと、そこではものとものとの関わりが分析されている。特にものはものでも哲学でよく言う特殊者と普遍者との関わりである*3


彼はこれらの関わり方に三つの区別を設けている。
まず例を挙げる。

  1. ソクラテスは人間である
  2. ソクラテスは死ぬ
  3. ソクラテスの死は、ソクラテスに関するものである

この三つの文に見られるもの同士の関わりは、それぞれ異なるとStrawsonさんは分析する。
1.は、ソクラテスという特殊者が、人間という普遍者に関わっている。
2.は、ソクラテスという特殊者が、死ぬという普遍者に関わっている。
3.は、(他ならぬ)ソクラテスの死という特殊者が、ソクラテスという特殊者に関わっている*4


そしてこれら1.-3.それぞれに見られるものとものとの関わりを、Strawsonさんは「非関係的紐帯(non-relational tie)」と呼んでいる*5。例えば1.ではソクラテスという特殊者であるものが、人間という普遍者であるものと非関係的紐帯を持っている。2., 3.も同様である*6


そしてこれら各非関係的紐帯に、Strawsonさんは名前を付けている。
まず1.に見られる非関係的紐帯を、「部類的(sortal)紐帯」あるいは「事例的(instantial)紐帯」とStrawsonさんは言っている。部類的だというのは、1.に出てくる人間が、部類・種類のことだと解されるからであろう。事例的だというのは、1.が


と言い換えられるからであろう。


次に2.に見られる紐帯を、「特徴描写的(characterizing)紐帯」と言っている。ソクラテスというものは、死ぬものなのだと、彼の特徴を描写しているからこう述べているのであろう。


最後に3.に見られる紐帯を、「限定的(attributive)紐帯」と言っている。Strawsonさんによると、3.におけるソクラテスの死は、ソクラテスに帰せられる(attribute)ものだとのことである。したがってここからその名があるようである。


さて解説を終える前にもう一つだけ述べておく。
今まで述べてきた非関係的紐帯は、特殊者や普遍者というものとものとの関わりを言うわけだが、1.-3.のような関わりがある時、一方のものが他方のものを「収集する(collect)」と、Strawsonさんは言っている。例えば1.において、人間という普遍者は、ソクラテスという特殊者を収集しているとStrawsonさんは言う。正直に言うと、どうしてStrawsonさんが「収集する」という言い方をするのかは、よくわからない。しかしいずれにせよ一方のものが他方のものに関わっている時、それを「収集する」と言っている。普遍者は、それに帰属する特殊者が収集されてできていると思われるので、「収集する」という言い方がなされるのかもしれない。


以上で解説を終わる。これでやっと引用文を掲示する準備ができた。
繰り返すが、以下の引用文は現代的ないみでの‘sortal’が、恐らく初めて出てきている例である*7。引用文中の英語は邦訳書による。また引用文中の太字は、邦訳では傍点が付されている。

非関係的紐帯は特殊者を普遍者に、また普遍者を特殊者に結びつけることができる。特殊者に適用される、あるいは特殊者を収集する普遍者のなかで、私は二つのタイプ、したがって特殊者と普遍者とを結びつける非関係的紐帯の二種、を大まかに区別する*8。これは部類的 sortal 普遍者と特徴描写的 characterizing 普遍者との区別、したがってまた部類的ないし事例的 instantial 紐帯と特徴描写的紐帯との区別である。部類的普遍者はその収集する特殊者どもを区別し数える原理を提供する。それはその収集する特殊者どもを個別化する先行原理ないし先行方法を前提しない。一方、特徴描写的普遍者は特殊者どもを分類する原理、数える原理さえも提供するとはいえ、ある先行原理ないし方法に従って、すでに区別されたか区別されうる特殊者どもに対してだけこのような原理を提するのである。大ざっぱに、また控え目に言って、特殊者用のある種の普通名詞は部類的普遍者を導入するが、特殊者に適用可能な動詞と形容詞は特徴描写的普遍者を導入する。


何だか難しい話だが、取り合えず我々の言ういみでの‘sortal’というのが、この引用文中の‘sortal universals’として出てきているようだというのはわかった。「部類的普遍者はその収集する特殊者どもを区別し数える原理を提供する。」と述べているくだりが重要そうである。


なお以上の文章はざくっと書き下し、じっくり読み返していないので、誤字脱字等があるかもしれない。

*1:Sortalsとは何かについては、昨日の日記を参照。

*2:実は言うと、以前私はこの邦訳書を購入したのだが、この本は一体何をやっているのか、何をやろうとしているのか、さっぱりわからず途方に暮れ、ひどく異様な書物に思えて、どうせ今後も理解できそうにもないことから、早々に古本屋さんに売り払ってしまったことがある。今はほんの少しだがStrawsonさんの意図がわかるような気がする。一言で言えばCategory論であろう。しかし私自身は多分それほどCategory論には関心がないようである。

*3:なおここでの解説は、私が邦訳の該当箇所を一読して理解した限りのものでしかない。再三再四熟読玩味した上での理解を、慎重・正確に書き下した、というものではない。正しくは直接原書、邦訳書に当たって下さい。

*4:「他ならぬ」という言葉は、この文の「死」にかかっている。死は死でも他のものではない、個別的な出来事しての、ソクラテス当人の死といういみで、この死は特殊者と考えられる。

*5:正確には、3.にみられる関わりを「非関係的紐帯」と呼ぶことにStrawsonさんは保留的態度を示されている。ここでは解説をわかりやすくするため、この3.における関わりも、差し当たり「非関係的紐帯」と呼んでおく。

*6:なぜ「非関係的」と言うのかというと、F.H. Bradleyによる、関係というものは存在しないという、例の論難・難癖を避けたいがために、Strawsonさんはこう言っているものと思われる。

*7:ストローソン、203ページ。

*8:三つ目の、上記解説3.に見られる紐帯は、この引用文の少し後に説明される。