Fregean Neo-Logicismを遂行するにあたって、Sortalsを考察する重要性とは何か

個数言明は概念に関する言明であり、概念に関するこの個数言明が真っ当な言明であるためには、その概念がsortal conceptsでなければならないだろうと思われる。
これは個数言明に対するsortalsの一般的な重要性を言っている。


では、Fregean Neo-Logicismを遂行するに際し、sortalsを考察すべき重要性というのはあるのだろうか。この場合は、より特殊な観点からsortalsの重要性を問題にしていることになる。
Fregean Neo-Logicismを遂行するにあたって、sortalsを考察する重要性は、以下の論文のpp. 313-315に載っている。

  • Crispin Wright  “Is Hume's Principle Analytic?”, in Bob Hale and Crispin Wright, The Reason's Proper Study: Essays towards a Neo-Fregean Philosophy of Mathematics, Oxford University Press, 2001


邦訳は以下である。

  • クリスピン・ライト  「ヒュームの原理は分析的か」、岡本賢吾、金子洋之編、『フレーゲ哲学の最新像』、双書 現代哲学 5、勁草書房、2007年、124-129ページ。


もう遅いので今日はpointのみを記しておく。そのpointとは次の通り。非常に簡単にまとめる。
Hume's Principleからは、通常のやり方だと、the universal number, またの名をanti-zeroと呼ばれる数が出てくる。これはすべてのものの数である。ところでこのような数は、ZF Set Theoryによると、存在しない。とすると、これはFrege Arithmeticに何か問題があるのだ、と考えられる。つまりFregean Neo-Logicismは間違っている、ということを表わしていると思われる。
しかし、個数言明は概念に関する言明であるというFregeの洞察を、任意の概念に関してそうである、としてしまうからthe universal number(=anti-zero)があるということが帰結してしまうのである。どのような概念に対しても個数言明が言い得るわけではないと考えるなら、そしてまた、そう考えるのが普通のことなのだが、その時、the universal number(=anti-zero)があるという見解を追い払うことができる。では、個数言明が言い得る概念とは何かというと、それがすなわちsortal concepts、あるいはcount nouns(がいみしているもの)なのである。したがって、the universal number(=anti-zero)があると主張しようとしているのではないかというFregean Neo-Logicismに対する疑いを晴らすためには、sortals, count nouns、そしてこれと深く関連するmass termsを正確に特徴づけ、個数言明が言い得るのはこれらsortal concepts, count nounsについてなのだ、ということを立証する必要があるのである。


随分舌足らずになった。流して書いたので正確さは保証できない。またよければ敷衍・補足したいと思う。
おやすみなさい。