読書

そのcafeで読んでいたのは昨日買った以下の新刊。

  • セオドア・サイダー  『四次元主義の哲学 持続と時間の存在論』、中山康雄監訳、小山虎、齋藤暢人、鈴木生郎訳、丹治信治監修、シリーズ 現代哲学への招待、春秋社、2007年

実に大変そうな話である。
分析的形而上学をやるのも楽じゃなさそうだ。
そこで扱われている問題自体は難しいものではないと思われる。
例えばその問題は「ある物が、変化しつつも同じ物であると言えるのは、どうしてなのか?」とでも、差し当たり表現できるだろう。
この種の問題を、適当に打ちやったり別の問題にすり替えて終わりにしたりせず、色々な思考実験を交えつつ、真正面から真面目に答えようとしている。
ほんと大変である。
おまけに著者のTedさんは、ご高著で展開されている形而上学について、次のように述べておられる。

[形而上学は] 科学に比べると結論の確からしさは極めて低いということを認めなければなりません。*1

[形而上学への懐疑論に反対して言うと] 極めて暫定的な結論でもよいと私たちが思うならば、形而上学的探求は生き残ることができるのである。*2

Tedさんによると、形而上学の結論の確からしさは、極めて低いのであり、また極めて暫定的なものでしかない、ということになる。非常に謙虚なご発言のようにも思えるし、身も蓋もないご発言のようにも思えます。
いずれにせよそうすると、極めて不確かで、極めて暫定的な結論しか引き出すことのできない形而上学的探求に、極めて膨大な時間と、極めて膨大な労力とを払うことができる人は、ひとえに何にも増して形而上学的問題をあれこれ考えることが大好きだ、という方でしかなかろうと感じられる。
根っからの論争好き、puzzle好き、思弁好きでなければ、物のあり方について三次元主義を採るべきか、四次元主義を採るべきか、身を入れて考えることは、なかなか大変である。
私自身の性格と、能力からすると、この種の問題に取り組むことは、難しすぎて手に余る。
特に時間についての哲学的考察は、私個人にとっては、格段に難しい。
この本をちらちら読んでいて、何だかちょっと徒労感に包まれてしまいました…。
でもまぁ同一性という観念については、勉強する必要性を感じているので、そのような角度からこの本を後々参考にして、勉強させていただきたいと思っています。

*1:サイダー、iiページ。

*2:サイダー、5ページ。