Quineの‘No Entity without Identity’について その1

最近、Caeser Problemをきちんと理解したいと思っている。
ところでCaeser ProblemはHume's Principleから出てくる問題である。
より正確には、再認命題(とその再認命題の内容を与えている表現との同値命題)から出てくる問題であり、
Hume's Principleはそのような再認命題(とその再認命題の内容を与えている表現との同値命題)の一事例である*1
「再認命題(とその再認命題の内容を与えている表現との同値命題)」ということで言わんとしているのは以下のような式である。

    • a = b ⇔ Φ(ξ, ζ)

この左辺を「再認命題」と呼び、右辺を「その再認命題の内容を与えている表現」と呼び、この左右両辺を双条件法で結んだものを「再認命題(とその再認命題の内容を与えている表現との同値命題)」と呼んでいる。
これがHume's Principleの一般形であり、ここからCaeser Problemが出てくるわけである。


さて、この一般形に関し、私は素朴に思ったことがある。
それは、なぜ再認命題は上記のような再認命題の形をしているのだろうか、ということをである。
つまり、なぜ等号で名辞が結ばれるような同一性命題の形をしているのだろうか、ということである。
何だかわかりきったことに私は疑問を持っているのかもしれない。だから「素朴な」と言ったわけである。


いずれにせよ、そんな素朴な疑問を持ちつつ先日以下の論文を拾い読みしていた。

すると興味深いことが書いてある。再認命題とその内容表現についてParsonsさんは言う*2

これは、「同一性なくして存在者(entity)なし」というクワインの格率によって簡潔に表現される見解であり、『基礎』の議論の建設的部分におけるフレーゲの努力の一部は数を含む等式の意義を説明することへと向けられている。

Parsonsさんのご意見だと、Fregeの再認命題とその内容表現の同値命題は、Quineさんの有名な‘No Entity without Identity’のことだという。ちょっと驚きである。
Fregeの再認命題とその内容表現の同値命題とQuineさんの‘No Entity without Identity’は、確かに何か関係がありそうな気がするが、同じことだ、とあっさり言われてしまうと個人的にはちょっと驚く。
本当に同じことなのかどうか、私にはにわかには判断つきかねるが、Parsonsさんが言うからには両者は同じことか、あるいは非常に深い関係があるということなのだろう。


そこで再認命題を詳しく理解したい私としては、Quineさんの‘No Entity without Identity’を理解することが、再認命題理解にヒントを与えてくれるだろうと思い、今日はQuineさんの‘No Entity without Identity’というphraseが出てくる文献をいくらか読んでみた。


Quine familyのHPを見ると、そこの項目‘Q3 - Quine Quotation Queries - already answered’というところに、次のように出ている。引用させていただきます*3

2.
LB asks (Feb 16, 2001): where did Quine write No entity without identity
the book Ontological relativity and other essays, p. 23
the book Theories and Things, p. 102
the book From Stimulus to Science, p. 75

これら3冊の本のうち、前二者を持っているので、とりあえずこの二つの本の該当箇所の前後を読んでみた。
どのような話の中で‘No Entity without Identity’というdictumは出てくるのだろうか?


多分、続く…。

*1:再認命題については今月19日の日記を参照。

*2:パーソンズ、40ページ。

*3:HPの原文では一部boldfaceが使われているが、以下の引用文では、特に差しさわりがないので、boldfaceは使っていない。また原文ではitalicにする必要のないところをitalicにしてしまっているが、そこは訂正して以下に引用した。