The Origins of Zermelo's Axiomatization of Set Theory

2008年2月2日の日記において、以下の本のpp. 76-79を読んで、

  • Heinz-Dieter Ebbinghaus  Ernst Zermelo: An Approach to His Life and Work, Springer, 2007

axiomatic set theoryが作られた理由は、一般には集合論上のparadoxを回避するためだと言われており、自分も何となくそう思っていたが、少なくともZermeloさんが自らのaxiomatic set theoryを作る際には、paradoxは主要な動機にはなっていないと教えられ、ちょっと意外に思った。
そこで次の論文を大分前にcopyして持っていたことを思い出し、copyの山から何とか引っ張り出してみる。

  • Gregory H. Moore  “The Origins of Zermelo's Axiomatization of Set Theory”, in: The Journal of Philosophical Logic, vol. 7, 1978

すると書いてある。Paradoxは主要な動機ではないと書いてある。
以下にまずabstractを引用してみる。

Abstract. What gave rise to Ernst Zermelo's axiomatization of set theory in 1908? According to the usual interpretation, Zermelo was motivated by the set-theoretic paradoxes. This paper argues that Zermelo was primarily motivated, not by the paradoxes, but by controversy surrounding his 1904 proof that every set can be well-ordered, and especially by a desire to preserve his Axiom of Choice from its numerous critics. Here Zermelo's concern for the foundations of mathematics diverged form Bertrand Russell's on the one hand and from Felix Hausdorff's on the other.

そして結論部分ともいえるsection 10 Zermelo's Axiomatization を手短に要約してみる。


公理的集合論が考え出されたのは、様々な集合論上のparadoxを避けんがためであると一般には理解されているようである。
しかしこれは当時の色々な研究者の見解を無視してしまっており、歴史的事実を反映していない。
色々な研究者のうち、典型的に極端な立場を取る人物としてRussellとHausdorffを上げることができる。
Russellはいくつものparadoxを退治しようと懸命になり、例の複雑なtype theoryを考え出す。しかもこの理論には哲学的に正当な根拠があると考えた。哲学に裏打ちされねばならないと考えていたようである。
一方、Hausdorffはparadoxを、はっきり言ってしまえば、無視した。そのようなことにかかずらうのではなく、set theoryそのものをもっと数学的に発展させて行けばよいのだと考えた。哲学的なことなど考えず、数学として展開させてゆけばよい。Axiomatizationなどは副次的なことであると考えていたようである。
これら両極端に対して、Zermeloはその中庸を取る。Paradoxに関してはきちんと対処せねばならぬ。無頓着であってはならない。しかしその対処のためにいたずらに哲学を振り回すのではなく、ちゃんと公理化をして整備してやればよいのである。哲学談義にふけるのでもなく、高踏的に無視を決め込むのでもない、堅実な路線を取るべきである。
ではZermeloにとって様々なparadoxとは何であったのだろうか?
まずそのことを述べる前提として、次のことを確認してみる。
Zermeloが集合論を公理化してみせた例の論文(1908a)と、同じ月に書かれた彼の論文(1908b)というものがある。両者を見比べると、1904年のZermeloによるwell-ordering theoremの論文批判を行った評者たちを、(1908a)の集合論の公理を使って、(1908b)において批判している。両者は一連の考えの中で書かれた緊密な関連を持つ双子の論文なのである。つまりwell-ordering theoremと、これが依存しているthe axiom of choiceとを擁護する論文という位置づけのもとで集合論公理化論文(1908a)は書かれているのである。要するに、paradoxの話は集合論公理化論文(1908a)を書かせた主要な動因ではないのである。
では、Zermeloの集合論公理化論文(1908a)においてはparadoxはどう扱われているのか? 実際のところ彼はそこでparadoxの話をあまりしない。そしてそれがさして脅威でもないかのような語り口で片付けてしまっている。この点は、Russellのねちねちとした、延々たる、paradoxの哲学的正当化とは対照的なまでにあっさりとしている。
そもそもいわゆるRussellのparadoxを最初に発見したのは、Russellではなく、Zermeloである。それをZermeloは大発見として結果を刊行したりしていない。そして1904年の段階で既に集合概念を適当に制限してやれば、paradoxは防げるとわかっていた。これらのことは彼がparadoxに深刻さを感じていない証拠と思われる。
むしろ彼が深刻に感じていたのは、自分の1904年論文のwell-ordering theorem及びthe axiom of choice 対してなされた批判であった。この批判に応え、反対者たちを説得するために、the axiom of choiceを含み、well-ordering theoremを証明できる、整合的な集合論を提示してみせようとしたのである。


以上はsection 10 Zermelo's Axiomatizationをそのまま大まかに略したものである。


なお、

  • Heinz-Dieter Ebbinghaus  Ernst Zermelo: An Approach to His Life and Work, Springer, 2007

の、pp. 77-9においてEbbinghausさんは、実数論の公理化を進めようとしているHilbertのprogrammeの強い影響下にZermeloがあって、そのために集合論の公理化に取り組んでいたという点を忘れてはならないと、意見されておられる。先ほど引用したMooreさんの見解はZermeloが自身に対する批判に応答せんがために集合論が公理化されたかのように言われているが、極私的にはそうであっても、公的にはHilbert's Programmeの推進役としての役目を果たそうとしていたのだ、ということなのであろう。


今日の日記は、読み返していない。誤字・脱字等があるものと思われる。
また、集合論、とりわけZermeloさんには圧倒的に無知な自分がメモした文であるため、ひどい誤解が含まれていると予想される。
正確には直接今日上げた文献を読まれるか、この方面に詳しい方に助言を仰いで下さい。
くれぐれも鵜呑みにしないように。どこか間違っているはずなので。


またしても真夜中。もう寝ます。おやすみなさい。