Russell “On Denoting”生成史についてのメモ

Russellの“On Denoting”は、Meinongianな存在論を消去するために書かれたのではない、ということが、ここ10年以上言われているようです。
ではexcessiveな存在論の消去が目的ではないとすると、何のためにそれは書かれたのか、という疑問がわいてくる。
上記1本目の論文“Making Sense of ‘On Denoting’”でMakinさんは、その疑問を解く鍵は“On Denoting”中の、いわゆるthe Gray's Elegy Argumentに隠されているとし、このArgumentの読解を企てておられます。Intro. を読むとなかなか野心的な雰囲気が漂っているように私には感じられます。
このArgumentの読解がなぜ重要であるかは一般に、そこにおいてRussellがFregeのSinn und Bedeutung Distinctionを論破しているのではないか、と考えられているからだと思いますが*1、MakinさんによるとこのArgumentの中に“On Denoting”が書かれた理由もまたあるのだとお考えのようである。Russellの思考の軌跡をたどるためにも、このArgumentは重要そうである。いつか私も個人的にこのArgumentが理解できたらな、と感じています。あくまで個人的にできる範囲内のことではありますが…。


そして上記文献のMakinさんによる2本目の論文は、the Theory of Descriptionsの生成史に取り組んでおられます。Russellの“On Denoting”は、1905年の7月23日から8月3日の間に書き終えられていますが、この直前の7月7日から“On Fondamentals”という原稿をRussellは書き始めていました。そして彼のこの原稿の§40のすぐ前で、Russellはthe Gray's Elegy Argumentを考え、この§40の終わり部分でthe Theory of Descriptionsが考え付かれている様子がわかるようです。Makinさんの上記2本目の論文は、この§40の前から、§40の終わりに到る過程で一体何があったのか、ということを問題にされています。つまりこの過程においてこそ、“On Denoting”生成の秘密がある、ということです。


ここから上記文献3本目のRussellの文献を入手した次第です。ここにこそ、the Gray's Elegy Argumentとthe Theory of Descriptionsのprototypeがあるのだ、という訳です。特にこのRussellの文献の§§35-39は、the Gray's Elegy Argumentと本質的に同じだ、とMakinさんはおっしゃっておられます*2。はなはだ興味深い。


さて、Makinさんの文章を一部読んで教えられたのは、なぜ“On Denoting”が書かれたのか、ということを問題している文献がある場合、その文献の刊行年が1994年より前であるか、それとも1994年以降であるかによって、その文献の価値が相対的に違ってくるだろうということです。
どういうことかと言うと、Makinさんが検討しておられるような、Russellの“On Fondamentals”という、“On Denoting”が書かれる直前のRussellの草稿が、1994年になって初めて活字として一般に公刊されるようになったのであり、このことにより、“On Denoting”生成史について、ようやく1994年になってから客観的な史料を元にものが言えるようになった、ということです。それまではどうしてもある程度、予断が入り込まざるを得なかったのであり、いくらか空想的で思弁的に、その生成史について語らねばならなかった、ということです。つまり証拠があまりない中で、あれこれ議論していた訳だ。
しかし1994年以降、容易に当時のRussellの草稿を見ることができるようになり、実証的に“On Denoting”がなぜ書かれたのかを、問えるようになったということです。したがって、なぜ“On Denoting”が書かれたのか、ということを問題している文献を読む場合は、できれば1994年以降に出た文献を読んだ方がよいと思われる。その方がより事実に迫っている可能性があるから。逆に言うと1994年より前の文献では思弁に流れていないかどうか、よく注意しながら読まねばならない、ということだと思われる。


Makinさんの上記両論文は、いずれも1994年以降の、Russellの草稿を元になされた研究として、一読しておいた方がよいのかもしれない。

*1:飯田隆、『言語哲学大全 I 』をご覧下さい。ページ数等は面倒なので記しませんが…。

*2:Makin, “Why ... ”, p. 160.