Solatium miseris, socios habuisse malorum

FregeのGrundgesetzeの後書きのすぐ初めのページで、次の文言が出てくる。

    • Solatium miseris, socios habuisse malorum


これは勁草書房の和訳によると「不幸な者にとっては不幸な朋輩を持つことが慰安である」とのことです*1
生涯の仕事が完成するところでRussell Paradoxに到り着いてしまった不幸なFregeは、しかし彼の算術のみならず、充分に数学を展開できるだけの表現力を持った算術ならいかなる算術も同様な不幸な自体を招来してしまうといういみで、同じく不幸な朋輩Russellを持つことが慰安である、という主旨の文章だと思われます。
そしてこのラテン語文に付けられた訳註によると、これとよく似た文がSpinozaEthicaとChristopher MarloweのDoctor Faustusに出てくるとのこと。
そこでまったくどうでもいいことですが、暇にまかせてSpinozaEthica, IV, Propositio LVII, Scholium を見ると次のようにある*2

    • solamen miseris socios habuisse malorum


そしてこの文の前後を岩波訳で見ると、ちょっと面白い。あるいはちょっとだけ面白い。
というのはSpinozaが上記の文を挙げているのは、次のような文脈において、そうしているからです。
つまり、自分の無能さを不幸に思う者が、同じ無能さを持った者を見て、「相手は自分よりも無能である、自分の方がまだましだ、よかったよかった」とほくそ笑むような人物の性格を指して、件のラテン語文を挙げています。そして言うまでもなく、そのように自分を慰めることはよいことではない、という話をSpinozaはしている訳です。


しかしFregeが件のラテン語文を挙げているのは、Spinozaの文脈とはまったく別であり、一方が他方をけなすことで自らに慰めを見出すのではなく、互いに手を取り合って不幸な状況を共に耐え忍ぼうと慰め合うというのが、Fregeの文脈と言えるかと思います。


Spinozaにおいては悪い性格を象徴して表す言葉であり、Fregeにおいては融和や協調などの、苦難の中に差し込む一条の希望の光として語られています。


それだけのことなのですが、「なるほど、まったく正反対とも言えるねぇ〜」などと思いながら調べていました。
くたびれたのでこれで今日の日記を終わります。

*1:和訳の403ページ。

*2:Marloweの方は英文科の方にお任せ致します。