- Gareth Evans “Can There be Vague Objects?,” in: Analysis, vol. 38, no. 4, 1978
- Brian Garrett “Vague Identity and Vague Objects,” in: Nous, vol. 25, 1991
- 赤攝也 『基礎論』、新初等数学講座 現代の数学 第6分冊、ダイヤモンド社、1963年
- 飯田隆 「「見る」と「見える」 −日本語から哲学へ」、飯田隆他編、『いま「哲学する」ことへ』、岩波講座 哲学 1、2008年
近時、以下の論文を拾い読みする。
そこで論じられている例のEvans論文の話を読む。
するとまたEvans論文とその関連する話題について勉強・復習してみたくなった。
という訳で1本目のEvans論文である。これは実は既に持っている。
次の文献に当論文は収録されており、
- Rosanna Keefe and Peter Smith ed. Vagueness: A Reader, MIT Press, 1996
このreadingsを以前に購入し、Evans論文も読んでいた*1。さらに読むだけでなく、短い論文だから/なのに、わざわざ和訳し、自分なりに註釈までつけて勉強していた*2。しかしEvans論文を外へ持ち出したい時、上記readingsを持って出ることは、ちょっと骨である。そのような訳で、この際 Analysis から原論文を入手しておいた次第。そして改めて読み返し、勉強し直した。かなり面白い。今後もさらに勉強を進めたい。
2本目のGarrett論文は一ノ瀬先生の上記論文で言及されていたため、興味を感じ入手。ざぁーと流し読む。とても平易な感じ。もう一度きちんと読み直したい。本当に読み直すかどうかは、今この時点では不明である。その気持ちは確かにあるが、いずれにせよ前向きに努力したい…。
3本目は小冊子。これは最近までその存在を知らずにいた。論理主義、直観主義、形式主義、形式的体系とその無矛盾性、群論のある種の体系の無矛盾性証明の実際、以上の話題を取り上げて説明している。
4本目は大森哲学における語句「見る」と「見える」の違いを検討し、これら視覚に関する日本語の動詞を元に独自の哲学を展開した大森哲学を、いわゆる修正的形而上学と診断することで、日本語からの哲学の可能性を探究している論文。
おやすみなさい。