• Patricia Blanchette  “Relative Identity and Cardinality,” in: Canadian Journal of Philosophy, vol. 29, no. 2, 1999
  • James Dubois and Barry Smith  “Adolf Reinach,” in: The Stanford Encyclopedia of Philosophy, September 21, 2008
  • 安西徹雄  『英文翻訳術』、ちくま学芸文庫筑摩書房、1995年


今、目の前の王宮前広場に兵士からなる4つの中隊が集まっているとする。そしてこの各中隊は、それぞれ125名の兵士からなるものとする。そうすると、目の前の広場には500人の兵士が集まっているということになる。目の前に広がっている光景に変わりはないが、一方ではそこに4つのものがあると言い、他方では500のものがあると言う。つまり「王宮前広場に4つ中隊が集まっている」とも言えれば「王宮前広場に500人の兵士が集まっている」とも言える。ここから考えられることは、目の前に広がっている事態が同じであっても、その事態の何について言明するかに応じてその事態の数に関する答えが違ってくるということである。今の例では、中隊についてその数を言明する場合と、兵士についてその数を言明する場合と、これらそれぞれに応じて、数の答えは違ってくる。一方は軍隊を編成する単位のうち、大隊と小隊の間に当たる概念から目の前の事態を数える場合であり、他方は軍隊を編成する単位のうち、最小の単位をなす概念でもって目の前の事態を数える場合である。このように、何かの個数を数えている個数言明は、概念に相対的にその数を数えていると言える。Fregeは大略以上のようにGrundlagenで考えていたようである*1。簡潔に言えば「数は概念に相対的である(Cardinality is relative to a concept)。」
ところでGeachは同一性の相対性(relative identity)を唱えたが、この主張「同一性は概念に相対的である(Identity is relative to a concept)」は、今述べたばかりのFregeの主張と大変よく似ており、Fregeの主張はGeachの主張を含意しているように考えられ、その場合、FregeはGeachと同じ同一性の相対性を支持・主張することにもなると思われる。
上記1本目の論文で、Blanchetteさんは、このFregeの主張がGeachの主張を含意することはなく、むしろ両主張は整合しないと論証することを試みておられる。そしてGeachの主張に見られる諸困難によって、Fregeの主張が退けられるということはないと論証しようとされているようである。

*1:§46.