先日以下の論文を入手した。
- 飯田隆 「文の概念はなぜ必要なのか」、『哲学の探求』、哲学若手研究者フォーラム、第31号、2004年
この論文で問われている中心的問題は「言語についての理論的探究において、文の概念は本当に中心的な位置を占める概念か」*1というものでした。そして飯田先生の答えは「然り」です。
そこでこの論文と読み比べてみるために、以前にcopyして読んだことのある以下の論文を再読しようと思った。しかしcopyの山の中を探すも見当たらない。そこで再度今回入手し直した次第。
- 土屋俊 「文から語へ」、『月刊 言語』、大修館書店、vol. 25、no. 11、1996年11月号
この論文では、言語研究において文を基本的な単位とすることにより、いかに偏向した言語理解を生み出してしまったのかを確認した後、望ましからぬ研究の方向から大きく舵を切ることで、「どのような方向をわれわれは望んでいるのであり、その方向に進むためには、どのような単位を考えたらよいのであろうか」*2という問題を考えている。この問題の答えとして土屋先生は「語」、「単語」と呼ばれる単位が依然として有効なのだと主張されておられる。
飯田先生は文を基本単位とし、土屋先生は語を基本単位とされるようである。どちらが適切なのだろうか。これらの論文をよく読んで、どちらに与すべきなのか、また私なりに考えて、勉強したいと思います。