Frege and the Proof-Conditional Semantics, Part II

前回の日記の続き。今回は第二回目。三回で完結予定。この項目の内容は、言うまでもないことだが、単なる備忘録、感想文であり、大したことは書かれていない。

以下ではこの論文について書いている。


興味を感じた点その1: Frege's Semantics is not Truth-Conditional.
まず最初に私が興味を感じたのは、通説だと、Frege は真理条件的意味論の先駆者と考えられていると思われるのに対し、先生はそれを否定するような発言を前回13日の日記引用文中でなされているということです。
Frege の意味論を真理条件的意味論の先蹤とする通説は、例えば次のように述べています。

さてフレーゲは、主張文の意義を思想と称し、思想は「一般にそれについて真理が問題になりうる当のもの」「真理と密接に連関するもの」と規定している。さらに、「ある文の真理条件を知ることが、当の文の意義を理解することである」といういわゆる「真理条件的意味論」の locus classicus と称される規定を、フレーゲは次のように与えている。


(G) 「真理値名は、我々のトリキメによって、いかなる条件の下で真を意味するのか、それが規定される。これら真理値名の意義、すなわち、思想とは、これらの条件が充足されているという思想である」(GGA, I [Grundgesetze der Arithmetik, Band I], §32, S. 50)*1


また次は Frege に見られる真理条件的意味論が、Wittgenstein に伝えられ、展開せしめられたとの記述です。

まず、フレーゲとの対比でいえば、ウィトゲンシュタインは、[…] 文の意味は否定するが、文の真理条件としての意義というフレーゲの考えを継承発展させ、真理条件的意味論の礎を築くことになる*2


私が知っていたところでは、Frege は真理条件的意味論の先駆者だった、というものでした。しかし金子先生によると、Frege は真理条件的意味論の先駆者ではなかった、と解し得る発言を前回13日の日記引用文中でされていると思います。これは私にとってちょっと驚きです。通説に反するという点でちょっと驚きです*3

*1:野本和幸、『現代の論理的意味論 フレーゲからクリプキまで』、岩波書店、1988年、41ページ。野本先生の原文に付されている傍点は、手間がかかるという理由だけで引用の際に省いている。この他に次も参照。飯田隆、『言語哲学大全 I 論理と言語』、勁草書房、1987年、112ページ。また、Michael Dummett, “An Unsuccessful Dig: A Review of G. P. Baker and P. M. S. Hacker, Frege: Logical Excavations,” in his Frege and Other Philosophers, Clarendon Press/Oxford University Press, 1991, pp. 181-82.

*2:野本、『現代の論理的意味論』、97ページ。ここでも野本先生の付された傍点は省いている。

*3:例外のない規則がないように、分析哲学において、反論のない通説というものはないのでしょうけれど…。