‘Familienähnlichkeit’の訳語「家族的類似性」について

先日購入した以下の本を拾い読みした。

この本に収録されている次の論文をぱらぱら眺めていると、興味深いことが書かれている。

ここでは、Wittgenstein と Goethe との関係が論じられている部分がある。
この二人に何か深い関係があったということは、以前に以下の論文を拝読することで、わずかではあるけれど、私も知っていた*1


しかし私が知らなかったのは、Wittgenstein の「家族的類似性」という言葉が、その発想を Goethe の形態学(Morphologie)に求めることができるということである*2
家族的類似性という概念が、正確に言って、いかなるいみを持つのか、私は知らないのですが、それは同じ範疇に属すると思える各 item に対し、それらに共通する本質を求めるな、それらはただ似ているだけなのだ、似ているという現象面を見るだけで満足せよ、その背後にありもしない本質を求めるようなことはするな、という教訓的な概念だと思うのですが、この種のことを Goethe も語っているということを、関口先生は論文中で指摘されておられます*3。そして実際のところでは Wittgenstein は Schopenhauer の『意志と表象としての世界』を通じて Familienähnlichkeit という概念を知ったのであろうと推測されておられます*4。『意志と表象としての世界』の和訳では、‘Familienähnlichkeit’は「種族的な類似性」と訳されているようです*5。つまり件の概念の継承の流れは Goethe → Schopenhauer → Wittgenstein という道筋になります。
こうしていずれにせよ、関口先生は Wittgenstein の家族的類似性という概念の発想の根を Goethe にお求めになられています。


さて、私がこの先生のご指摘から感じたことを一つだけ、記してみたいと思います。


‘Familienähnlichkeit’の訳語「家族的類似性」と形態学
‘Familienähnlichkeit’という言葉が形態学に由来すると知って、私がすぐに思ったのは、‘Familie’という言葉のいみです。
‘Familie’という言葉は普通「家族」と訳されていますが、‘Familienähnlichkeit’という言葉のいみが形態学に由来するとするならば、その関連から言って、‘Familie’は分類学上(in taxonomy)、「科」と訳されるものではないでしょうか。哲学者に馴染み深い類とか種といわれる際の範疇の一つである「科」のことです。ヒト科とか、イネ科とかいう際の「科」です。科の他に種とか目とか門とか色々と範疇があるようですが、Family/Familie もそのような分類階層範疇の一つです。例えばイネ科にはたくさんの種類の稲がひとまとまりのものとして属しているようです。
このように、ひとつの範疇に属するものは互いに似たもの同士としてまとめられているのですが、‘Familienähnlichkeit’という言葉は、家族の構成員は似ているという発想から‘Familienähnlichkeit’と言われているのではなく、もしかすると、分類学上、似たもの同士を同一の範疇に帰属せしめるという考えから言われているのではないでしょうか。その場合、‘Familienähnlichkeit’は「家族的類似性」と訳されるべきではなく、字義通りには「科的類似性」となります。しかしこれではあまりに醜いので先の『意志と表象としての世界』のごとく「種族的類似性」と訳されるべきなのかもしれません。ひょっとすると Wittgenstein は‘Familienähnlichkeit’を、家族は皆似ているというような、我々がよく聞かされる話からではなく、taxonomical な観点から使い出したのではないでしょうか。そのように関口先生の文章から感じました。この私の思い付きが Wittgenstein の著作に典拠を求められるものなのか、私には今のところわかりませんけれど…。


以上は単なる思い付きです。多分激しい勘違いだと思います。前もって間違いに対しお詫び申し上げます。あるいは間違いにしろそうでないにしろ、このようなことは既に誰かがどこかで指摘していることでしょう。

*1:ただし、すらっと読んだだけで、すっかり内容を忘れてしまっている。Copy も取っていない。そのうち取って再読しようかな。

*2:関口、232-33ページ。ただし、家族的類似性という概念の発想の根を、Goethe 以外に求める見解もあるらしいことを、関口先生は註記されておられる。247ページの註(14)を参照。その註にもあるように、Glock さんの例の Dictionary の項目‘family resemblance (Familienähnlichkeit) ’の冒頭を見ると、確かに Goethe ではなく、Nietzsche と Nicod にその典拠を求めている。Nietzsche においては『善悪の彼岸』§20に‘Familienähnlichkeit’という言葉が出てくるらしい。因みに岩波文庫で確認すると、確かに「家族的類縁性」という訳語が出てきていたと思う。「家族的類似性」ではなく「家族的類縁性」という訳語であったと思います。Nietzsche によると、いくつかの哲学的概念は類縁性を持つ、インド、ギリシャ、ドイツの哲学は類縁性を持つ、なぜならそれぞれの哲学が営まれている言語は、印欧語という文法が共通した言語であるからである。このような主旨のことが§20では記されていたと思う。このあたりは記憶に頼って書いています。

*3:関口、230-33ページ。

*4:関口、233ページ。

*5:Ibid.