以下の本を古書として購入。
- Michael Nedo und Michele Ranchetti hg. Ludwig Wittgenstein: Sein Leben in Bildern und Texten, Suhrkamp, 1983
Wittgenstein の生涯に関する写真が非常に多く載っている。写真で見る Wittgenstein の生涯といった感じ。
このような本が出ていることは知っていた。しかし Wittgenstein を本格的に勉強するつもりはなかったので、購入は元より図書室に所蔵されているものを閲覧しようともしなかった。この本は、研究者向け、マニア向けだと思っていたので、私は Wittgenstein に関する研究者になるつもりはないし(そもそもなれはしない)、彼の著作の熱心な読者でもないから、関係はないだろうと思っていた。だから、知ってはいたものの、現物を手に取って見てみたことはありませんでした。
けれど、先日ある古書店でこの本を見かけ、実際手に取ってみたら、その内容の豊富さにちょっと驚いた。それで一旦帰宅し、この本が Suhrkamp でまだ入手可能か調べてみると、もう手に入らないようだとわかった。また、net の古書サイトを調べてみると、3万ぐらいの値が付いている場合もあるが、大抵が5〜6万以上することもわかった。それで、再び件の古書店に行き、福沢さんがお一人と、野口さんまたは夏目さんを数人渡すことで入手できた。保存状態も悪くない。これはよかった。
この本には私の知らない写真が多く載っている。個人的に強い印象を受ける写真も掲載されている。また、見たことがある写真でも、その写真が元となった写真の一部分を切り抜いているということもよくわかった。それにやはり見たことがある写真でも、この写真集は大判なので、写真が大きく引き伸ばされていることから、迫力があってとてもリアルであり、臨場感が漂っていて、大変鑑賞のし甲斐がある。見ていて軽く息を呑むこともあった。
以下に、個人的に何がしかの感慨を持った写真をいくつか記述してみよう。
まず、個人的に強い印象を受けた、今回初めて見る写真から。
209ページ、写真の通し番号297の写真。Wittgenstein が建てた家というものがあるが、これはその時の写真で、Wittgenstein を真ん中に彼を含めて3人の男性が並んで立ってこちらの方を見ている写真です。本の1ページ全体を占めている写真で、この3人の全身像が大きく映し出されています。この写真の印象的なところは、真ん中に立つ Wittgenstein が、私のイメージとは異なり、幾分太り気味の様子を示しているということです。私の勝手なイメージでは、彼はやせ気味な人物として私の頭の中に入っているのですが、この写真ではちょっと太っている感じに見えます。スマートな体格だとは言えないと思います。しかも服装が何となく野暮ったく、だぼっとしており、さらにこの時の彼の表情が少し緩んでいて何だかにやけているように感じます。少し太り気味で野暮ったい格好をした、にやけた感じの Wittgenstein というのは、私には今まで想像できなかったので、この写真は私にはすごく生々しく写りました。但し、にやけた感じの表情というのは言い過ぎかもしれません。写真をよく見ると、別ににやけてはいませんね。しかし、私にはこの写真の第一印象がにやけている Wittgenstein のように受け取れてしまいました。何だかすごく違和感を感じる写真です。
もう一つ、今回初めて見る、違ったいみで強い印象を受けた写真。
188ページ、通し番号264の写真。これは Ramsey の写真です。Wittgenstein は小学校の教員をしていたことがありましたが、その赴任地に Ramsey が訪れた際の Ramsey を写した写真です。Ramsey の写真といえば eyelet collar のシャツに herringbone スーツを着込んだ写真をしばしば見かけます。胸から上を正面から写した passport 風の写真です。ところで件の 188ページ、通し番号264の写真は、高原にある岩の横で座り、その岩に寄りかかるようにして本を読んでいる Ramsey を、少し上から若干見下ろすように撮っています。この写真を見ると、Ramsey さんの頭部上方がよく写っているのですが、eyelet collar のシャツに herringbone スーツを着込んだよく見る写真の髪とは随分違っています。かなり違っているので、本当に同じ人物なのか、一瞬疑念を抱いたほどです。Eyelet collar and herringbone スーツ写真と今回取り上げている写真とは、Ramsey さんが若くしてお亡くなりになったことから、さほど時差はないと思われるのですが、大分様子が違っているので強い印象が残りました。髪の毛と学問の業績とは関係ないので、どうでもいいことなのですが、私のイメージとはすごく異なっていたので若干ショックでした。
次に、今までに見たことはあるが、その写真は元になった写真の一部分でしかないことがよくわかった写真。
Wittgenstein には許婚がいたらしいと言われることがある。その許婚とは Marguerite Respinger さんだと言われているようである。例えば彼女の写真は、
- 野家啓一編 『ウィトゲンシュタインの知88』、新書館、1999年
の88ページで見ることができる。ここには Respinger さんだけが写し出されているが、この写真は実はもっと大きな写真の極一部でしかないことが、今回私にはわかった。元となった大きな写真は、先ほどから取り上げてきた写真集の248-49ページにまたがっており、通し番号が352と付けられている。この写真は建物の中の応接間のようなところで人々がソファーに座り、談笑しているところを写している様子を捉えているようである。7人の人物が写っていて、ほとんどの人がカメラ目線なので、カメラを取っている人物が「はい、こちらを見て」とでも言って呼びかけた瞬間を写しているみたいである。この瞬間の左端に座ってこちらを見ているのが Respinger さんである。そして視線を右側へ移していくと、何人か通り過ぎた向こうに1人だけ目を閉じている人物がいる。目を閉じているのはこの男性1人だけである。Wittgenstein である。目を閉じているのは、シャッターの瞬間にたまたま瞬きしてしまったから、ということではないようである。というのも、彼はソファーに深く沈み込み、頭をソファーの背にもたせ掛けていて、どうやら寝てしまっているようだからである。許婚を前に皆で楽しく談笑している中、1人だけ寝込んでいていいのですか、Wittgenstein さん。これがすぐさま婚約破棄の理由とはならないかもしれませんが、「皆で楽しんでいる中で、1人眠り込むなんて、まったく協調性に欠ける人物だわね」と思われて、婚約破棄のための小さな遠因になるかもしれませんよ。まぁ、協調性なんて、犬にでも喰わせてやればいい、と Wittgenstein さんなら啖呵切るでしょうけれど…。ちなみにこの談笑の応接間らしきところは、Wittgenstein が建てた家の内部にある一室のようである。
この他にも興味深い写真が色々ある。めずらしいと思われる写真もあるようである。しかし、つまらないことをあれこれ言っていても仕方がないので、この辺りでやめます。ただ、あと一つだけ、今回気が付いたことを記しておくと、Wittgenstein さんは写真を撮って album に整理しておくのがお好きな方のようですね。友人や家族や出かけた先の風景を盛んに撮っていたみたいである。写真を撮る研究者として私がすぐに思い付くのは Lewis Carroll/Charles Dodgson ですが、Wittgenstein も結構撮り貯めていたようである。現在 digital camera で気軽に誰でも何気ない風景を撮っているけれど、それに近い感覚を Wittgenstein さんにも感じられます。彼の撮った写真を一書にまとめた本などというのは出ていないのでしょうか。そのような本が出れば、Wittgenstein の心象風景が見れて、多くの読者を獲得できるのではないかと思うのですが。
いずれにせよ、今回入手した本は、取り合えず写真とその caption を見ただけだが、とても面白かった。Wittgenstein を真面目に勉強しようという方は、多少高くても手に入れておく必要のある本だと思います。これを見ていると、確かに何がしかの感慨というものを覚えます。私みたいに Wittgenstein を勉強しておらず、今後も勉強するつもりもない人間がこうなのですから、Wittgenstein に本腰入れようとされている方は、なおさらだろうと思います。
おやすみなさい。