What Kind of Relationship Is There between the Gray's Elegy Argument and the Theory of Descriptions?

(この項目は、2010年3月6日の日記、‘What Does Russell Himself Say about the Gray's Elegy Argument?’の註 [9] に対する補足として書かれたものです。しかし、補足として書き始めたものの、補足の域を超えて文章が長くなってしまったので、ここに註とは別に独立させて掲載します。以下の文章を読まれる場合には、この 2010年3月6日の日記、‘What Does Russell Himself Say about the Gray's Elegy Argument?’ をまず最初にお読み下さい。
なお、本日の日記のこの項目表題に記されているような疑問に対し、以下で何か見事な解答が与えられていると思われる方が中にはお一人ぐらいいらっしゃるかもしれません。念のために先回りして申し添えておきますと、そのようなことはまったくございません。大層な解答はまったく書かれていませんので、読んでいただける場合には、何卒期待せずにお読み下さい。
本文に移る前にもう一つだけ述べておきます。以下の文章では、the Gray's Elegy Argument や記述の理論の成り立ちについて語られていますが、現在私は Russell の出版された草稿を、詳しく読んではいません。それら草稿を詳細に分析したということはありません。これらの草稿を分析せずに、the Gray's Elegy Argument や記述の理論の成り立ちについて何事かを述べたとしても、まったく説得力がありませんし、不備な点が確実に多数あるはずです。ですから、そのような方はいらっしゃらないとは思いますが、読者の方々は以下の記述を真に受けないようにして下さい。必ず読者各自で裏を取りつつお読み下さい。)


The Gray's Elegy Argument は、いわゆる記述の理論と、どのような関係にあるのだろうか?

  • 松阪陽一  「フレーゲの Gedanke とラッセルの Proposition −“On Denoting”の意義について」、『科学哲学』、vol. 28, no. 2, 2005. 以下に再録。日本科学哲学会編、野本和幸責任編集、『分析哲学の誕生 フレーゲラッセル』、科学哲学の展開 1、勁草書房、2008年。

この論文に、その関係について簡単に述べている箇所があるので、そこを引用してみよう。引用文中では、原文にあった松阪先生による註は省く。

ラッセルは1905年の論文“On Denoting”で、いわゆる「記述の理論 the theory of descriptions」を発表するが、その直前まで彼は、自らがフレーゲの区別と「厳密にではないにしても、大筋で一致する」と考えた区別、すなわち意味 (meaning) と表示対象 (denotation) の区別を奉じていた。しかし、“On Denoting”では一転して、「意味と表示対象の区別全体が、誤って考え出された」と主張するに至る。この主張は、“On Denoting”に登場する長く、ほとんど理解不可能とさえ思える議論の結論として現れるものであるが、この議論はときに“Gray's elegy argument”とも呼ばれ、“On Denoting”が出版されて以来解釈者たちを悩ませてきたという経緯がある。しかし、最近出版された遺稿からは、まさにこの難解な批判こそが、ラッセルが記述の理論を発見するにいたる [ママ] 直接のきっかけになったことが明らかになってきた。*1

引用文の一番最後の文によると、the Gray's Elegy Argument が直接のきっかけとなって、記述の理論が発見されたということになる。


また、この松阪先生の論文を受けて、次の解説文

で、戸田山先生は以下のように語っておられる。

松阪陽一は、表示の理論が解決しがたいディレンマを生み出すということに気づいたことがラッセルが表示概念を放棄して記述理論に移行する直接の原因だったということを明らかにしている[…]。*2

「表示の理論が解決しがたいディレンマを生み出すということ」を立証しているとされるのが、the Gray's Elegy Argument である。したがって、the Gray's Elegy Argument が直接の原因となって、記述の理論が発見されたということになるだろう。戸田山先生によると the Gray's Elegy Argument が原因で、記述の理論が結果ということになるものと思われる。ここから、the Gray's Elegy Argument がなかったならば、記述の理論も発見されなかったということが言えるだろう。もちろん、別の原因によっても記述の理論は発見されたかもしれない。しかし、実際の歴史的な事実からは、the Gray's Elegy Argument が原因で、記述の理論がその結果だったということであろう。


松阪先生、戸田山先生以前には、以下の論文で、

  • Harold Noonan  “The ‘Gray's Elegy’ Argument −and Others,” in Ray Monk and Anthony Palmer ed., Bertrand Russell and the Origins of Analytical Philosophy, Thoemmes Press, 1996

次のような発言が見られる。

Moreover, of course, we know now, with the publication of Russell's working papers from the period 1903-1905, in particular, ‘On Fundamentals’[…], that the argument which did in fact cause Russell to abandon the theory of denoting he had previously accepted and to develop the theory of descriptions was the argument about the first line of Gray's Elegy and the denoting concept ‘C’.*3

こちらでも、動詞であるが‘cause’という言葉が出てきている。


以上から、松阪先生は、「原因」、‘cause’という言葉をお使いになられていないが、おそらく上記の三氏とも、the Gray's Elegy Argument がなかったならば、記述の理論も、実際の歴史通りには、発見されなかった可能性があるということに同意されるのではないかと思われる。


さて、ここまでの話を踏まえた上で、Russell が R. Jager さんに返信した書簡を見てみよう。*4 そこで Russell は次のように言っていた。

I came to the conclusion later that all the talk about C and “C” was unnecessary and you will see that I did not repeat it in subsequent expositions of the theory […]

この発言は、煎じ詰めると、the Gray's Elegy Argument は、記述の理論にとって不要である、ということになるものと思われる。*5


また、Russell は件の書簡の最後で、次のようにも言っていた。

I came later to think that all the stuff about denoting complexes is unnecessary and in no way essential to my argument.

この発言も、煎じ詰めると、the Gray's Elegy Argument で論じられている事柄は、記述の理論の論証においては本質的なものではなく不要である、ということになるものと思われる。*6

Russell によるどちらの発言も、松阪先生、戸田山先生、Professor Noonan の見解と、真っ向から相違するように思われる。The Gray's Elegy Argument がなかったならば、記述の理論は発見されなかった可能性があると思われたところ、Russell 当人が、the Gray's Elegy Argument とは関係なく、記述の理論を考え出したと取れる発言をなしている。これは一体どうしたことだろうか?


上記の Prof. Noonan の文章に、Russell の草稿“On Fundamentals”に見られる論証が原因となって、記述の理論が打ち立てられたとの旨が記されていた。その草稿にある the Gray's Elegy Argument に該当する論証から、記述の理論が立ち上がってきたということである。そこで1905年に書かれたと思われる“On Fundamentals”を、しばらく前にその一部を copy して持っていたので読んでみよう。*7 この草稿で注目すべき箇所は、大まかには paragraphs 32-40 であろうと思われる。*8 ここを読むと、the Gray's Elegy Argument に相当する話が出てくる。The Gray's Elegy Argument で問題とされていることが出てきて、それを解決するために、記述の理論が (史上初めて) 登場してきている! The Gray's Elegy Argument で難問とされていることを解決するために、この the Gray's Elegy Argument へと直接接続するように記述の理論が述べられている! この草稿を見る限り、確かに the Gray's Elegy Argument に相当する論述そのものから、何事かを媒介させることもなく、直接に記述の理論が、その Argument の解決案として出てきている。但し、この paragraphs では、T. Gray の有名な詩が具体例として挙げられている訳ではない。“On Denoting”の the Gray's Elegy Argument では Gray の詩が出てくるが、この paragraphs では Gray の詩は出てこない。したがって、この paragraphs に見られる論証が、“On Denoting”の the Gray's Elegy Argument と完全に同一だという訳ではない。しかし件の paragraphs で論じられている事柄が、the Gray's Elegy Argument とは無関係であると言い切ることは、余程凝った解釈を提出しない限り、難しいだろう。その paragraphs で論じられていることは、the Gray's Elegy Argument で論じられていることであると解するのが自然であろうと思われる。少なくとも私にはそうとしか読めなかった。また、ほとんどの人にもそうとしか読めないものと推測される。但し、念のために付け加えておくと、件の paragraphs に見られる論証と、the Gray's Elegy Argument とは、(本質的とも見える) 相違があると主張する論者も確かにいる。*9 なので、単純・早計にそれら二つの論証をまったく同一であると解してしまうことには慎重である必要がある。しかし、いずれにせよ、両論証は基本的には同じものである、同じことを論じている、と解するのが自然であろうし、違いを認めるとしても、かなりの程度、両論証は重なり合っているように見受けられる。ここからして、the Gray's Elegy Argument をもとに、記述の理論が生まれてきたと判断することが、大筋妥当であろうと推察される。


さて以上から、Russell は自らの草稿で the Gray's Elegy Argument での難問を解決するために、記述の理論を持ち出していた。*10 The Gray's Elegy Argument によって記述の理論が考え出されていたのである。ところが、私たちが今参照している Russell の書簡では上にも引用したように、彼は (後になって出した結論だが) the Gray's Elegy Argument は記述の理論に不要だと言っている。実際には、the Gray's Elegy Argument によって記述の理論が出てきているのに、the Gray's Elegy Argument は記述の理論に不要だと言うのである。これは私にはちょっと驚きである。Russell は自分の記述の理論の由来を、件の書簡を書いた頃にはすっかり忘れてしまっていたのだろうか? 記述の理論が考え出された頃から、件の書簡が書かれるまでは半世紀以上が経っている。半世紀前の自分の研究ノートの中身など、既にすっかり忘れていたのだろうか?


忘れてしまっていたのかどうかはわからないが、この事態をどのように説明したらよいだろう? 記述の理論が生まれてくるのに the Gray's Elegy Argument が必要不可欠であった。その Argument がなければ記述の理論は生まれてこなかったかもしれないのである。しかし Russell は記述の理論にとって the Gray's Elegy Argument は必要不可欠どころか、不要だと言っているのである。これはどう解すればよいのだろう? これに対し、私がすぐに思い付いた説明は、次のようなものである。それは H. Reichenbach の the context of discovery and the context of justification に類似した区別を援用する。*11 Russell にとり、the Gray's Elegy Argument は、発見の文脈においては、記述の理論に対し、大きな役割を果たしたものの、正当化の文脈においては、the Gray's Elegy Argument は、大きな役割を果たさなかった、というものである。記述の理論はどのような脈絡の中で思い付かれたのかと言えば、それは the Gray's Elegy Argument を解決しようという試みの中においてであった。しかし、記述の理論が正しい理論であることを立証するに際しては、the Gray's Elegy Argument を持ち出すのではなく、“On Denoting”の中で Meinong と Frege をそれぞれ個別に各々の難点を指摘した論述*12と、the Gray's Elegy Argument が出てくる直前で提起され、the Gray's Elegy Argument の後で解決が述べられている3つの難問*13に関する論証によって、記述の理論の正当化がなされるのである。繰り返そう。断言してしまうならば、Russell が記述の理論を思い付いたのは、the Gray's Elegy Argument を通しである。しかし記述の理論が正しいのは、the Gray's Elegy Argument によってではない。私たちが問題としている Russell 書簡で、Russell が記述の理論にとり、the Gray's Elegy Argument が不要であると言っているのは、その理論の正当化の文脈においてである。発見の文脈においてはこの限りではない。これが先ほどからの疑問について、私が今すぐ思い付く答えである。*14


Russell にとって、記述の理論の正当性を立証するに際しては、件の彼の書簡での陳述の通り、the Gray's Elegy Argument は不明瞭に過ぎ*15、正当化の根拠としては、充分判明でもなければ簡単でもなかったのかもしれない。その理論の正当性を主張するに際しては、わかりやすく単純な説明による理由付けの方が、人々に浸透しやすく説得力もあっただろう。The Gray's Elegy Argument のような論証による説明では、記述の理論の正しさをわかってもらうのは難しく、人々を説得するのは困難だと Russell には感じられたのかもしれない。それよりも記述の理論の正当性は、その理論によるならば、記述句を含んだ命題が代入則の不成立を招くこともなく、非存在言明を主張しても何ら矛盾律に抵触しないことを示して見せることの方が、ずっと人々に対し印象的であったのだろう。そして事実、その方が印象的だったのである。記述の理論が、元々解決しようと意図していた問題 (the Gray's Elegy Argument) を解決できることから、その理論が正しいと Russell は後々に至るまで解説して来たのではなく、その理論が解決の主な目標としてきた問題 (the Gray's Elegy Argument) ではなくして、その主な目標としてきた問題にとっては別の派生的とも見える問題 (代入則の不成立・非存在言明の矛盾律抵触) を解決できるということを前面に押し出すことによって、Russell は記述の理論が正しいのであると後々に至るまで解説して来たのかもしれない。


以上で終わります。なお、上記はすべて単なる仮説です。事態はこんなには単純なはずはない。まだまだ考えねばならないこと、確認せねばならないことがある。そもそも、最初にも述べた通り、Russell の草稿の分析を踏まえていない。これではその場限りの思い付きの域をまったく出ない。この先へと進むことは、今後の私の課題です。
最後に、誤解や無理解、誤字や脱字等がありましたら、前もってお詫び申し上げます。

*1:引用は『分析哲学の誕生』所収の、松阪、257-58ページから。『科学哲学』では、36ページ。

*2:戸田山、225ページ。

*3:Noonan, p. 68.

*4:Russell's reply to Jager, 28 April 1960. 本日記、2010年2月25日、3月6日を参照。

*5:このように煎じ詰めることの根拠は、3月6日の日記を参照。

*6:こちらに関しても、このように煎じ詰める根拠は、3月6日の日記を参照。

*7:Bertrand Russell, “On Fundamentals,” in his Foundations of Logic 1903-05, Alasdair Urquhart ed., Routledge, The Collected Papers of Bertrand Russell, vol. 4, 1994.

*8:Russell, “On Fundamentals,” pp. 381-84. もう少し広く paragraphs を取ることができるかもしれない。ただ、今の論述では差し当たり paragraphs 32-40 ぐらいで取り合えず済むものと思われる。

*9:Alasdair Urquhart, “Russell on Meaning and Denotation,” in Bernard Linsky and Guido Imaguire ed., On Denoting: 1905 – 2005, Philosophia Verlag, Analytica: Investigations in Logic, Ontology and Philosophy of Language Series, 2005, pp. 114-15.

*10:Russell, “On Fundamentals,” pp. 383-84, paragraph 40.

*11:ここでの Reichenbach の区別は、あくまで類似した区別として持ち出されている。Reichenbach の件の区別が正確には何であったのかについては、研究者の間で完全に合意が形成されているという訳ではないようであり(Clark Glymour and Frederick Eberhardt, “Hans Reichenbach,” in: The Stanford Encyclopedia of Philosophy, 2008, Section 3 Epistemology and Metaphysics を参照。)、私自身、Reichenbach がどのように考えていたか、正確に把握している訳ではない。このようなことから、Reichenbach のこの区別に対する批判に関しては、ここでは取り上げることはせず、差し当たり棚上げにしておきたい。

*12:Meinong に対しては、実際に在りはしないものを在ると主張するに至らしめる難点と、矛盾律に抵触する可能性があるという難点が指摘され、Frege に対しては、記述句に denotation がない場合に人為的な対象を割り当てるという無理を強いられる難点と、the Gray's Elegy Argument で展開された、meaning と denotation を区別できないという難点が指摘されている。“On Denoting”の中で、これらの指摘がどこでなされているかということは、容易に確認できるであろうから、典拠のページ数は逐一明記しない。了承願います。

*13:3つの難問の第一は、記述句を含んだ命題に関する代入則の不成立、第二は記述句を含んだ命題に関する二値原理の不成立、第三は 非存在言明の矛盾律抵触、と要約できるだろう。これらの要約が拠っている典拠先のページ数も、簡単に把握できるだろうから、明記しない。了承願います。

*14:少し補足すると、以上の解答は、次のように言い直すこともできるかもしれない。つまり、the Gray's Elegy Argument は、記述の理論生成の原因ではあったが、記述の理論の正当性の根拠・理由ではなかった、というものである。これは、the Gray's Elegy Argument と記述の理論の関係を、「原因」と「理由」という言葉から説明するものである。

*15:‘I think the argument in the article, though not as clear as it should be, is intended as a reductio ad absurdum […]’. Cf. Russell's reply to Jager, 28 April 1960. 本日記、2010年2月25日、3月6日を参照。