Russellian Logicism Regained?

次は先日注文した Linsky さんの本

  • Bernard Linsky  The Evolution of Principia Mathematica: Bertrand Russell's Manuscripts and Notes for the Second Edition, Cambridge University Press, Due in June 2011

の description です。

Originally published in 1910, Principia Mathematica led to the development of mathematical logic and computers and thus to information sciences. It became a model for modern analytic philosophy and remains an important work. In the late 1960s the Bertrand Russell Archives at McMaster University in Canada obtained Russell's papers, letters and library. These archives contained the manuscripts for the new Introduction and three Appendices that Russell added to the second edition in 1925. Also included was another manuscript, 'The Hierarchy of Propositions and Functions', which was divided up and re-used to create the final changes for the second edition. These documents provide fascinating insight, including Russell's attempts to work out the theorems in the flawed Appendix B, 'On Induction'. An extensive introduction describes the stages of the manuscript material on the way to print and analyzes the proposed changes in the context of the development of symbolic logic after 1910.

この Linsky さんの本は、極めて興味深く、うまく書かれているならば、非常に重要な本になるであろうと思います。

(以下の私の記述は、充分に事柄を理解しないまま書かれています。絶対に真に受けず、文中で私が掲げた文献などを参照した上で、正否を判断して下さい。)

極度に大雑把な話をしますと、一般に、Russell の Logicism は潰えていると考えられていると思いますが、その理由として次のようなことが言われるのではないかと推測します。つまり、Russell が自身の Logicism を遂行するに当り、大きく依拠している公理にはthe Axiom of Reducibility があって、これはそもそも論理学の公理ではない。論理的な公理とは言えない。このような論理的とは言えない公理に依存して展開されている Russell の Logicism は、たとえうまく展開されたとしても、元々が非論理的なものに依拠しているのだから、Logicism として最初から失敗している。だから Russell の Logicism は初めの一歩からして潰えているのである、と。このような主張に近似的な見解を示している具体例を一つだけ以下に挙げておきます。

『プリンキピア』は数学を論理学から導き出すのに成功したかもしれないが、それはひとえに、『プリンキピア』が論理学として前提したものの中に、論理学でない余計なものが混ざっていたからではないか、[…] 中でも、「還元公理」は論理的真理ではない、というフランク・ラムジーウィトゲンシュタインの批判は、ラッセルに深刻な再考を促した。ラッセルのプログラムを失敗させた元凶「還元公理」とは、一体どのようなものだろうか。*1

ただ、Russell 自身、当初から (Principia, 1st ed. から) the Axiom of Reducibility に不安を覚えており、この公理を何とかしたいと考えて、対策を検討はしていたようです。そしてその対策の検討結果が Principia Mathematica, 2nd ed. の Appendix B で出ており、ここで Russell は先の Reducibility なしで*2、mathematical induction を証明し、自然数論を確保しようとしているとされています。もしもこの証明がうまくいっていたならば、少なくとも自然数論に関しては、非論理的な公理に依拠せずに、Logicism を完遂できたと言える余地が出てきます。しかし、よく知られているように、その証明に誤りがあることが、Ramsey さんの肯定的評価に反し、例えば Gödel さんや本邦では大出先生らによって早くから指摘されており、しかもその証明の誤りを修正することはできないと Myhill さんによって後に確認されているということも有名な話だと思われます。つまり、やはり Reducibility なしで induction を証明し、最低でも自然数論を確保しようという Russell の試みは、失敗を余儀なくされ、つまるところ結局は Russellian Logicism は当初の狙いを達成できないのだ、と考えられていると思います。

しかし Landini さんの研究によるならば、Myhill さんの分析は、Principia Mathematica, 2nd ed. の grammar を捉え損ねており、それがために Principia Mathematica, 2nd ed. の Appendix B の証明を recover できないと Myhill さんは判断されているが、正しくその grammar を捉えるならば、その証明を recover できるのであると Landini さんは言っているようです*3。もしもこれが正しいならば、Russellian Logicism の、少なくとも自然数論の領域を resurrect できるということであり、驚くべき結果となります。

とはいえ、Landini さんが Principia Mathematica, 1st and 2nd ed. をどれだけ忠実に捉えることができているのかについては異論もあり、無理な解釈を重ねていると見る向きもあります*4。Landini さんが無理をしすぎているとするならば、やはり Russellian Logicism の自然数論領域の regain は達成されないということになるかもしれません。

Russellian Logicism の自然数論領域における regain は達成されるのか否か、事の真相を見極めるには、Appendix B を書いた Russell 本人の考察を詳細に分析してみせることが望まれます。そして、事の真相究明に資すると予想されるのが、近刊予定の Linsky さんの本です。Russellian Logicism は (部分的にではあれ) 今だ viable なのか否か、この刺激的な論題に重要な進展をもたらしてくれると思われるのが Linsky 本だと考えられます。という訳で Linsky 本は先日即注文しました。

最後にもう一度、繰り返して念を押しておきますが。私は物事をきちんと理解した上で、上の事柄を書いているのではありません。というか、全然理解せずに書いていると言っても言いすぎではありません。単に思い付いた想念を取り合えず書き留めているだけです。ですので間違ったことを言っている可能性が大いにあります。読まれた方は、必ず裏を取って下さい。間違っていましたら謝ります。大変すみません。

*1:三浦俊彦、『ラッセルのパラドクス −世界を読み換える哲学−』、岩波新書岩波書店、2005年、72ページ。ここを読みますと、Russell は Ramsey と Wittgenstein の指摘をまって初めて the Axiom of Reducibility を再検討し始めたかのような書き方になっているように感じられます。しかし、本当にそうなのかどうか、Russell は Russell で独力でこの公理を再考し始めていたのかもしれません。Landini さんの本を読んでいると、たまたま次のような文を見かけました。'Quite independently of any considerations of Wittgenstein or Ramey, Russell had misgivings about Principia's reliance on the axiom of Reducibility.' Gregory Landini, Wittgenstein's Apprenticeship with Russell, Cambridge University Press, 2007/2009, p. 202. また、Gregory Landini, Russell, Routledge, The Routledge Philosophers Series, 2010, p. 359 の末尾も参照して下さい。

*2:本当に Reducibility を捨てているのかについては、疑問の余地があるかもしれません。Reducibility を幾分弱めただけのものを使っているのかもしれませんし、あるいは事実上、Reducibility と同等の機能/能力を持った原理なり何なりを使用している可能性があります。先の三浦先生のご高著では、Russell は Principia Mathematica, 2nd ed. では、Reducibility を最終的には放棄せず、可能な限りその使用を縮小していると述べておられます。三浦、94ページ。あるいは加地先生は、Principia Mathematica, 2nd ed. で Russell は、Reducibility を暫定的にもっと弱い公理に変更していると述べておられます。加地大介、「『数学原理』 ラッセル+ホワイトヘッド」、『現代思想』、第32巻、第11号、2004年9月臨時増刊号、特集 ブックガイド 60、青土社、2004年、114ページ。

*3:例えば、Gregory Landini, ''The Definability of the Set of Natural Numbers in the 1925 Principia Mathematica,'' in: The Journal of Philosophical Logic, vol. 25, no. 6, 1996, Gregory Landini, Wittgenstein's Apprenticeship with Russell, Cambridge University Press, 2007/2009, Chapter 6 Principia's second edition.

*4:野村恭史、「分岐タイプと還元公理 『プリンキピア・マテマティカ』新旧両版の内的連関をめぐって」、『北海道大学文学研究科紀要』、第116号、2005年