Where Did Lesniewski Discover the Axiom of Ontology? And When He Discovered It, Was He Munching Bars of Chocolate?

再び、瑣事を一つ、記しておきます。
先だって、Lesniewski について調べるため、次の文献を見ていたところ、

  • Peter Simons  ''Stanisław Leśniewski,'' in: The Stanford Encyclopedia of Philosophy, First published in Nov. 2007, http://plato.stanford.edu/entries/lesniewski

面白い記述を見かけた。


Lesniewski の logical systems の一つに、Ontology がある。Ontology の公理は、その system に固有なものとしては、ただ一つであって、元々のその公理は Lesniewski 独自の記法で記すと、大体のところ*1、次である*2

    • Axiom 0: ᄂAa」 「⏀ ( ε{ Aa } ϙ(⊢(ᄂB」 「⊢( ε{ BA } )⏋) ᄂBC」 「⏀- (ϙ( ε{ BA } ε{ CA }) ε{ BC } )⏋ ᄂB」 「⏀- ( ε{ BA } ε{ Ba } )⏋))⏋.

Peano-Russell 記法で書くと、次である*3

    • (A, a) : : ε{Aa} .≡ ∴ ~( (B).~(ε{BA}) ) ∴ (B, C) : ε{BA}.ε{CA} .⊃. ε{BC} ∴ (B) : ε{BA} .⊃. ε{Ba}.

英語で書くと、次である*4

    • A is a if and only if ( (for some B, B is A) and (for any B and C, if B is A and C is A, then B is C), and (for any B, if B is A then B is a) ).


上記の Simons さんの文献で見かけた面白い記述とは、この公理の発見の経緯である。その面白い記述というのを引用してみよう。

The story has it that Leśniewski discovered this axiom, his efforts fortified by eating bars of chocolate, while sitting on a bench in Warsaw's Saxon Garden.*5

まず最初に、この引用文について、後の論点にかかわってくる事柄を一つ確認しておきたい。
私の英語読解が間違っていなければ、この引用文中の 'his efforts fortified by eating bars of chocolate' は、「with + 独立分詞構文 = 付帯状況」の、'with' が省略されたもので、実際に起こっている付帯的な状況を表しているものと考えられる。短いものだが、このことを確認し、軽く覚えておいていただければと思う。

さてそうすると、この引用文は以下のような感じに訳されるものと思われる。私訳/試訳を与えてみる。

伝えられる話によると次のようである。Leśniewski は Warsaw のサクソン庭園のベンチに座りながら Ontology の公理を見付けようとしていたのだが、板チョコを食べながら力を付けつつ発見に努めていたところ、その公理を見出したのだった。

Ontology の公理が発見された場所が特定されているというのも面白い。しかもその際に板チョコをもぐもぐしながら発見したようである。これが事実であるとすると、きっと Lesniewski は板チョコを握りしめ、口をもぐもぐさせ、またぶつぶつ言いながら、あののぺっりとした顔で前方をじっと見詰めつつ、一心不乱に考え込んで、その果てに 'Eureka!' という具合になったのかもしれない。

ところで Warsaw's Saxon Garden というのはどこにあるのか調べて見ると、すぐ判明した。Warsaw's Saxon Garden とは、ポーランド語では恐らく次である。'Ogród Saski w Warszawie' この公園は、当時 Lesniewski がいた the University of Warsaw のすぐ近くにある。大学の西隣りに Krakowskie Przedmieście という通りが南北に走っている。この通りは有名な通りのようである。この通りを渡って西へ少し行くと、私たちが今問題にしている公園がある。Internet でこの公園の現在の様子を写真で見ると、割とありふれた公園のように見える。林があって噴水らしきものがあって、あちこちにベンチがしつらえられている。このうちのどれかに Lesniewski は座ってぶつぶつ考え込んでいたのかもしれない。


ところで先ほどの Simons さんの引用文には、そこでの話を裏付ける出典情報が全く記載されていない。言い伝えであるとはいえ、どこから今の話を Simons さんは引っ張ってきたのだろうか。それを調べるため、私の部屋にある手持ちの文献をひも解いてみると、これもすぐに判明した。次の文献を開いてみると、

  • V. Frederick Rickey  ''A Survey of Leśniewski's Logic,'' in: Studia Logica, vol. 36, no. 4, 1977

p. 414 に、この言い伝えの出どころとおぼしきもの (の一つ) が Lukasiewicz の証言にあることがわかる。その証言が記されている文献とは以下である。

  • Jan Lukasiewicz  ''Symposium: The Principle of Individuation,'' in: Proceedings of the Aristotelian Society, Supplementary Volume, vol. 27, 1953

ここで Lukasiewicz は、the Principle of Individuation を論じているのだが、この問題を考えるには Aristotle の Metaphysics を理解しなければならないので、Aristotle の matter and form の教説に Lukasiewicz は分析を加えている。ここでの Lukasiewicz によるならば、Aristotle の matter に対する考えには矛盾が含まれているという。そして form にはそのような矛盾は含まれてはいないものの、その概念はとても vague であるという。このように Aristotle の Metaphysics は、そのままでは矛盾を含み、あいまいであるので、ただそのまま Aristotle の Metaphysics を考えるだけでは、矛盾に陥り、不明瞭な海の底を彷徨することに終始してしまう。そこでこれを避けるため、Aristotle の matter に含まれる矛盾を明示することができ、しかも form の概念をあいまいでない形で表現した上で、the Principle of Individuation の問題を考えていかなければならない。Lukasiewicz によると、これに有用なのが Lesniewski の Ontology である。こうして Lukasiewicz は Ontology を手短に解説した後、Aristotle の Metaphysics の一部を Ontology で形式化して見せている。明瞭かつ正確に Aristotle の Metaphysics を Ontology で表した後で、Ontology によるこの厳密な表現に考察を加え、the Principle of Individuation の問題の理解を深めていこうという訳である。そしてこの Ontology の解説冒頭部分で Lesniewski による Ontology の公理の発見の経緯が Lukasiewicz によって語られている。その部分を引用してみよう。

First, a personal reminiscence. It was in 1921. I was dissatisfied with the inexact description of the copula ''is'' given by Peano, and with the vague symbol ∈ of the theory of sets. In the course of a logical discussion I asked Lesniewski what he meant by the expression ''a is b''. He replied that he was using it in the sense of everyday life. I was still dissatisfied, for I thought that the copula ''is'' should either be defined, or described by axioms, if taken as primitive term. Some time later Lesniewski told me that he had found the required axioms sitting on a bench in the Warsaw Saxon Park.*6

蛇足ながら、私訳/試訳を与えておく。

まず最初に、個人的な思い出から。1921年のことであった。私は、Peano によって与えられた、繋辞 ''is'' の不正確な記述に不満であった。また、集合の理論のあいまいな記号 ∈ にも不満であった。論理学についての議論をしている中で、私は Lesniewski に、表現 ''a is b'' によって何をいみしているのか尋ねた。彼は日常生活のいみでそれを使っていると答えた。それでも私は不満であった。というのも、繋辞 ''is'' は定義されるべきか、あるいは原始的名辞と解されるならば、諸公理によって記述されるべきだと私には思われたからである。しばらくたったあとで Lesniewski は私に言った。ワルシャワ・サクソン公園でベンチに座っている時に、求めていた諸公理を発見したと。

これは Lukasiewicz が Lesniewski から直接聞いた話であろうから、かなり信頼できるとみていいだろう。Ontology の公理は、やはり Warsaw Saxon Park で発見されたようである。
しかし、この Lukasiewicz の証言には chocolate の話は出てこない。Chocolate を食べながら発見したとはなっていない。Chocolate の話はどこから来ているのだろう。私は手持ちの文献をいくつか調べて見たのだが、よくわからない。例えば、Luschei 本や Synthese series に入っている Wolenski さんの Lvov-Warsaw 本の該当しそうなところを見てみたが、関係しそうな情報がないように見える。その他いくつかの論文も見てみたが、はっきりとしたことがわからない。調べるべき文献でありながら、調べていないものが他にも多数あるので、その中のどこかに chocolate の話が出てくるのかもしれないが、chocolate のためにあれこれ調べ続けるのも何であるから詳細かつ大規模には調査していない。ただ、さらっと流し見ただけである。
だが、chocolate 情報の source ではないものの、Simons さんの chocolate 話に関係しているかもしれない記述を一つ見つけた。以下の文献にその記述が載っている。

  • Stanisław J. Surma  ''On the Work and Influence of Stanisław Leśniewski,'' in R. O. Grandy and J. M. E. Hyland ed., Logic Colloquium 76: Proceedings of a Conference Held in Oxford in July 1976, North-Holland, Studies in Logic and the Foundations of Mathematics, vol. 87, 1977

引用してみよう。

It happened just before the outbreak of the World War I that Leśniewski was to deliver a lecture on Russell's antinomy at a session of the Warsaw Psychological Society. They say that while preparing the lecture Leśniewski suddenly found an error in his criticism of the antinomy. As things were he decided to concentrate his attention to the utmost munching bars of chocolate for support. And thus chocolate gave birth to his new theory of classes later renamed mereology.*7

ここでは確かに chocolate の話が出てくる。Chocolate が、Ontology の公理ではないが、Mereology の発見に寄与したことが述べられている。但し、次のことに注意しなければならない。ここでは chocolate の話は、'As things were' という語句を文頭に持った文の中に出てくる。この 'As things were' の 'were' は、私の英文解釈が間違っていなければ、仮定法を表しているものと思われる。したがって、そうだとすると、'As things were' を文頭に持つ文で言われていることは、文字通りの事実の主張ではなく、単なる仮定であって、あるいは想像上の事柄が述べられているにすぎないということである。もしくはその文で述べられているのは、単なる比喩であるとも言えるかもしれない。これが正しいとするならば、今の英文は、次のように訳すことができると思われる。一部補足しながら私訳/試訳を与えてみる。

第一次世界大戦が勃発する直前のことだった。Leśniewski はワルシャワ心理学会のセッションで、Russell の paradox について講演することになっていた。伝えられるところによると、こうである。講演の準備をしている間、Leśniewski はその paradox に対する自分の批評の中に、誤りがあることに不意に気が付いた。[この時] 彼は心の糧となる究極のお菓子 [としての Principia あるいは数学基礎論] に専念しようと、心に決めたかのようであった。こうしてお菓子から、のちに Mereology と名付け直される彼の新たなクラスの理論が誕生したのである。

'As things were' の 'were' が、仮定法のしるしだとするならば、文字通りに chocolate を Lesniewski が求めていたり、食べていたりしたのではなく、ここではただ比喩として chocolate が使われていたのではないかと考えられる。そのため、上のように訳してみた。私訳中で chocolate を Principia の比喩としたのは、Lesniewski が、あの長大にして煩雑極まりない Principia を、わざわざ実際に Poland 語訳したいと望んでいたと言われており*8、そうまでしたいのなら余程 Principia が好きなのだろう、好物だったのだろうと思われたので、私訳中で chocolate を Principia の metaphor と解したのである。


さて、先述の Simons さんの話に戻ろう。そこでは Lesniewski が公園の bench で chocolate を食べている時に Ontology の公理を発見したという逸話が語られていた。この逸話では、実際に Lesniewski は chocolate を食べていたことになっている。ただ、私がほんの少しだけ調べた限りでは、まだ chocolate の情報源を特定できていない。そこで、想像してみるのだが、もしかしてもしかすると、Simons さんの逸話は上記の Surma さんの比喩が独り歩きした結果、あたかも事実であるかのような逸話に発展してしまったのではなかろうか。
そうだかどうだか、私にはわかりません。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。Chocolate のために、そんなに時間を割いて調べ回る訳にもいかないので、今のところ私には詳細は不明です。元々私は chocolate について調べていたのではなく、Ontology の公理について調べていただけなのです。それが脱線してしまいました。


以上の私の推測や私訳が間違っていましたらすみません。謝ります。Chocolate の情報源は現実にどこかにあるのかもしれません。あったところで全くどうということもないのですが、実際に chocolate をもぐもぐしている際に Ontology の公理を発見したのだとする方が、話が colorful で楽しくはありますね。


追記 2020年12月27日: Chocolate の情報源について。

以下の本

・ Jan Wolenski  Logic and Philosophy in the Lvov-Warsaw School, Kluwer Academic Pub., 1989,

の Chapter VII では Leśniewski の論理体系が説明されています。そこの註29に、chocolate の逸話とその情報源が書かれています (Wolenski, pp. 320, 336)。この註29では、Ontology ではなく Mereology を生み出すきっかけとして chocolate の話が取り上げられています。

その問題の情報源とは次です (この文献自体は私は未見です)。

・ T. Kotarbiński  ''Garść wspomnień o Stanisławie Leśniewskim (A handful of memories of Stanisław Leśniewski),'' in: Ruch Filozoficzny, 24, 1958.

私はこの2011年4月17日のブログを書くはるか以前に Wolenski 先生の本の Chapter VII を、あちこち一生懸命、鉛筆で線を引き引き読んだことがあります。註にもそこここに線をひっぱています。ですから、chocolate の逸話も読んでいるはずなのです。しかしすっかり忘れていました。論理学について学んでいる時に、chocolate がどうしたか、というようなことは本質的なことではないので、記憶から完全に抜け落ちてしまったようです。まぁ、そうでしょうね。

この日のブログでは、上記 Wolenski 先生のご高著をひも解いて調べてみた、と私は書いていますが、たぶん註まではよく調べていなかったのだと思います。すみません。それにしても「まったくやれやれ」という気分です。「灯台下暗し」とは、こういうことを言うのでしょうね。追記終わり

*1:大体のところというのは、その独自の記法を記すための font がないので、正確に同じ表現でその公理である Axiom 0 を記すことができないからである。例えば、ここに記した Axiom 0 の中の '⏀' は、円状のものに串が刺さっているように見えているが、本来の Axiom 0 の表現では、円の内部に串が刺さっているところは見えない。ただ、円の上と下に棒が突き出ているのが見えるだけである。また '⏀-' でも円の内部に串が通っているのが見えるが、実際の表現では円の内部は空白であって、中の串は見えない。さらにこの '⏀-' では円の右側に横棒が離れて置かれているが、実際の表現では円からは離れておらず接している。この他に、ここで記されている Axiom 0 には多数の鉤カッコが見られるが、それぞれのカッコの棒の長さなり幅なりが一定しておらずかなり不均一であるが、実際には長さや幅が統一されている。

*2:Stanisław Leśniewski, ''On the Foundations of Ontology,'' translated by M. P. O'Neil, in S. J. Surma, J. T. Srzednicki, D. I. Barnett ed., with an Annotated Bibliography by V. Frederick Rickey, S. Leśniewski Collected Works, Volume II, PWN-Polish Scientific Publishers and Kluwer Academic Publishers, Nijhoff International Philosophy Series, vol. 44, 1992, p. 609. This paper was first published in 1930.

*3:Ibid.

*4:Simons, ''Stanisław Leśniewski,'' Section 3.2 Ontology.

*5:Ibid.

*6:Lukasiewicz, pp. 77-78.

*7:Surma, p. 193.

*8:Jan Wolenski, “Polish Logic,” in: Logic Journal of the IGPL, vol. 12, no. 5, 2004, p. 402.