C. I. Lewis' Logic in his ''Implication and the Algebra of Logic'' Collapses into Two-Valued Classical Logic

先日、調べ物をしていて、以下の文献の前半を読んでいたら、私の知らなかったことを教えられた。

  • Alasdair Urquhart  ''Anderson and Belnap's Invitation to Sin,'' in: Journal of Philosophical Logic, vol. 39, no. 4, 2010

教えられたことというのは、現代における様相論理の起源、より詳しくは、C. I. Lewis の calculus of strict implication の初期の流れに関することでした。それは、この種の話題を研究している人にとっては、周知の事実のようです。しかし私自身は知りませんでしたし、上記論文著者の Urquhart さんによると、あまり知られていないことのようです*1。今回と、あと一回を使って、そのことをここに記してみます。


さて、様相論理を批判した有名な人に Quine さんがいます。彼のこの批判はよく知られていますので、詳説はしません*2。ただ、簡単に一部を述べますと、Quine さんによるならば、私たちは様相論理に対し、三つの段階を通してかかわると考えられています*3。第一段階は、様相概念を表す言葉を述語と見なし、文の名前に適用されるものと取る段階です。第二段階は、様相概念を、閉じた文に直接作用する operator と解する段階です。第三段階は、様相概念を、開いた文にも作用する operator と解する段階です。Quine さんはこの第三段階を認めません。第三段階では、様相文脈の内部へ、外から量化することを許しますが、このような量化を彼は認めようとしません。第二段階に対しては、Quine さんはギリギリ許すという stance です。しかしこの段階も、どのみち第三段階に発展せざるを得ないので、正直認め難いというのが Quine さんの心情です。そして Quine さんがはっきり許すのは第一段階までです*4。結局、いわゆる様相命題論理までは許そうというのが Quine さんの立場のようです。様相量化論理は認められないというのが、Quine さんの stance のようです。こうして、このように許し難い段階まで escalate して行く様相論理に対しては、そもそも始めの一歩が間違っていたとして、Quine さんの次のような有名な発言があります。'[M]odern modal logic was conceived in sin: the sin of confusing use and mention.'*5 Quine さんによるならば、様相論理は、事の発端からして、不義によって懐胎したのだから、様相量化論理の段階で、その報いを受けねばならないということになります。Quine さんの見解によると、様相量化論理を擁護する者は、特に Aristotelian Essentialism という厄介物を、生涯背負って生きねばならないということです。'A' という scarlet letter を胸に生きねばならないということです*6
咎の報いは様相量化論理の段階において受けるべし、これが Quine さんの宣告ですが、C. I. Lewis さんの calculus of strict implication, つまり私たちが現在通常言うところの様相命題論理の段階において、早くもその報いを受けねばならなかったようであることを、私は最近になって先ほどからの Urquhart 論文によって知りました*7。C. I. Lewis さんの calculus of strict implication の初期の建設段階で、早くも罪の報いを受けねばならなかったような事態が生じていたようです。Urquhart さんの言葉を使って言うならば、次のように標語的にそれを言い表すことができます。つまり、

    • C. I. Lewis' Early Logics Collapse into Two-Valued Classical Logic

ということです。その報いの結果を以下で見てみましょう。


C. I. Lewis さんが、calculus of strict implication を最初に提唱した文献は、次の論文です。

  • C. I. Lewis  ''Implication and the Algebra of Logic,'' in: Mind, New Series, vol. 21, no. 84, 1912

今、strict implication を '⊰', 通常の否定を '~', strict disjunction を 'V' で表すと、この論文で strict implication は通常の否定と strict disjunction から、次のように定義されます*8

    • p ⊰ q = ~p V q Df.

そしてこの定義式の右辺に出てくる 'V' について、C. I. Lewis さんは strict disjunction を次のように例文を使って説明しています*9

(2) Either Matilda does not love me or I am beloved. In [this case], at least one of the disjoined propositions is true. […] The second disjunction [i.e., (2)] is such that at least one of the disjoined propositions is ''necessarily'' true. Reject either of the possibilities and you thereby embrace the other. Suppose one of its propositions false and you are in consistency bound to suppose the other true. If either lemma were false, the other would, by the same token, be true.*10

この引用文からは、先の定義式の右辺は、p でないならば、必然的に q である、と読むことができます。つまりわかりやすく言えば、選言肢の両方共が偽となることはない、ということです。

さて、C. I. Lewis さんは、今問題にしている当人の論文において、calculus of strict implication の公理として、いかなる式を考えていたでしょうか。次にそのことを推量できる当人の文章を引用してみます。因みに以下の引用文中で、the principle of addition ( p ⊃ ( p ∨ q ) )*11 が、disjunction の intensional ないみからすると偽であり、それ故、the principle of addition は、strict implication のいみからすると偽である、と言っているのは、先ほど挙げた定義を前提としてのことです。また、この言いの後で、disjunction を intentional な種類に限定するならば、と述べているのも、先の定義における strict disjunction に限定するならば、ということです。当人の註は省いて引用してみます。

Nothing that has preceded should be taken to imply that the algebra of logic [e.g., Principia Mathematica] is necessarily unequal to the task of symbolising such logical processes as those of inference and proof, or the more general processes which the algebra itself has the value of bringing to light. Our conclusions militate not against symbolic logic in general, but against the calculus of propositions in its present form [i.e., Principia Mathematica]. As a matter of fact, a few simple changes would remove all the ''absurdities'' from the present calculus and bring it into agreement with the strict meaning of implication. The principle of addition - p implies 'either p is true or q is true' - is the only one of an economical set of postulates of the present calculus *12 which is false for the intensional meaning of disjunction and, consequently, for strict implication. If this were removed, and disjunction confined - as a matter of interpretation - to the intensional variety, we should be well on our way to a new calculus [i.e., C. I. Lewis' calculus of strict implication]. *13

この引用文からくみ取れることは、次のことであると思われます。C. I. Lewis さんは、Principia Mathematica の (命題論理における) 諸公理を採用し、しかしそのうちで、the principle of addition を落とし、かつ残ったそれら諸公理中の disjunction を strict disjunction に、implication を strict implication に限定する、読み替える、ということだと思われます。Principia Mathematica における諸公理中の the principle of addition を落とし、残る諸公理の選言を strict disjunction に、それ故、条件法を strict implication に改変すれば、事はうまく行くと言っていると思われるからです。そしてこの引用文のすぐ後で、the principle of addition を落とした代わりに、the principle of simplification ( ( p ∧ q ) ⊃ p )*14 における条件法を strict implication に読み替えた式を公理として追加しています。

それでは Principia Mathematica の (命題論理における) 諸公理を挙げてみましょう*15

    • ⊢ : p ∨ p .⊃. p
    • ⊢ : q .⊃. p ∨ q
    • ⊢ : p ∨ q .⊃. q ∨ p
    • ⊢ : p ∨ ( q ∨ r ) .⊃. q ∨ ( p ∨ r )
    • ⊢ : . q ⊃ r .⊃: p ∨ q .⊃. p ∨ r

これらをもう少し現代風にし、式に番号を便宜的に付加するならば、次のようになります。

    • (1) ( p ∨ p ) ⊃ p
    • (2) q ⊃ ( p ∨ q )
    • (3) ( p ∨ q ) ⊃ ( q ∨ p )
    • (4) ( p ∨ ( q ∨ r ) ) ⊃ ( q ∨ ( p ∨ r ) )
    • (5) ( q ⊃ r ) ⊃ ( ( p ∨ q ) ⊃ ( p ∨ r ) )

そしてこれらのうち、(2) の the principle of addition を落とし、残った諸式の選言を strict disjunction に、条件法を strict implication に書き換えると、次になります。

    • (1) ( p V p ) ⊰ p
    • (2) ( p V q ) ⊰ ( q V p )
    • (3) ( p V ( q V r ) ) ⊰ ( q V ( p V r ) )
    • (4) ( q ⊰ r ) ⊰ ( ( p V q ) ⊰ ( p V r ) )

最後にこれらに the principle of simplification ( ( p ∧ q ) ⊃ p ) の条件法を strict implication に書き換えた式 ( ( p ∧ q ) ⊰ p ) を加えます。

    • (1) ( p V p ) ⊰ p
    • (2) ( p V q ) ⊰ ( q V p )
    • (3) ( p V ( q V r ) ) ⊰ ( q V ( p V r ) )
    • (4) ( q ⊰ r ) ⊰ ( ( p V q ) ⊰ ( p V r ) )
    • (5) (p ∧ q) ⊰ p

これで C. I. Lewis さんの calculus of strict implication の諸公理が得られたものと思われます。つまり、C. I. Lewis さんの ''Implication and the Algebra of Logic'' における calculus of strict implication が想定していると推測される諸公理とは、これら (1)-(5) であるだろうということです*16


さて、そうすると、次の論文の pp. 125-26 における指摘によるならば、

  • William Tuthill Parry  ''The Logic of C.I. Lewis,'' in Paul A. Schilpp ed., The Philosophy of C.I. Lewis, Open Court, The Library of Living Philosophers, vol. 13, 1968

上記の諸公理 (1)-(5) からは、必然性によって定義される、 C. I. Lewis さんの calculus of strict implication にとっては、都合の悪い定理が証明可能です。このような望ましくない定理を生み出してしまう原因は、公理 (3) ( p V ( q V r ) ) ⊰ ( q V ( p V r ) ) にあると、上記論文著者の Parry さんは分析します*17。問題の定理の証明は非常に簡単かつ非常に短いので、Parry さんに従って、実際に以下でその証明を記してみましょう。


まず

    • 公理 (3) ( p V ( q V r ) ) ⊰ ( q V ( p V r ) )

を用意します。この 'p' に '~p' を、'q' に '~q' を代入すると、次が得られます。

    • (3)' ( ~p V ( ~q V r ) ) ⊰ ( ~q V ( ~p V r ) )

そして、しばらく前に掲げた strict implication の定義式

    • p ⊰ q = ~p V q Df.

を使って、今得られたばかりの (3)' を段階的に書き換えると、まず

    • (3)'' ( ~p V ( q ⊰ r ) ) ⊰ ( ~q V ( p ⊰ r ) )

が得られ、続いて

    • (3)''' ( p ⊰ ( q ⊰ r ) ) ⊰ ( q ⊰ ( p ⊰ r ) )

が得られます。そしてこの式の左辺と右辺をよく見比べてみましょう。左辺 p ⊰ ( q ⊰ r ) の前件 p を、左辺の後件 q ⊰ r の、その前件 q と交換したものが、右辺 q ⊰ ( p ⊰ r ) となっていることがわかります。つまり、式 (3)''' は、一般に strict implication の式の前件を、その後件の前件と交換してよいということを表しています。

さて、次の式は、常に成り立つものと思われます。

    • The Law of Identity (LI) ( p ⊰ p ) ⊰ ( p ⊰ p )

先の (3)''' により、この (LI) の前件を、その後件の前件と交換してよく、すると次の定理を得ます。

    • (LI)' p ⊰ ( ( p ⊰ p ) ⊰ p )

この定理は何を表しているでしょうか。Informal には、次のように言えます。今仮に、p を任意の真である式としてみましょう。すると、Modus Ponens (MP) を使って、(LI)' から以下を得ます。

    • (LI)' ( p ⊰ p ) ⊰ p

この式の前件は、the Law of Identity の一種でありますから、常に成り立つように思われます。すると、MP を使って次が得られ、

    • p

これは真です。以上のことは何をいみするのでしょうか。


よりわかりやすく、p に具体的な真理を表す式を入れてみましょう。真理を表す任意の式でよかったのですから、偶然的に真理を表している式を代入してみましょう。例えば次の偶然的な真理を表す文「2011年8月8日現在、太陽系の惑星の数は8個である」を (LI)' に入れてみましょう。すると、こうなります。

    • (惑星数 a) 2011年8月8日現在、太陽系の惑星の数は8個である ⊰ ( ( 2011年8月8日現在、太陽系の惑星の数は8個である ⊰ 2011年8月8日現在、太陽系の惑星の数は8個である ) ⊰ 2011年8月8日現在、太陽系の惑星の数は8個である )

さて、確かに2011年8月8日現在、太陽系の惑星の数は8個です。ですから今の代入例からは、MP を使って次を得ます。

    • (惑星数 b) ( 2011年8月8日現在、太陽系の惑星の数は8個である ⊰ 2011年8月8日現在、太陽系の惑星の数は8個である ) ⊰ 2011年8月8日現在、太陽系の惑星の数は8個である

この文の前件は、the Law of Identity の一種になっています。したがって、常に成り立つもののように思われます。ところで、p ⊰ p のような常に成り立つと思われる真理は、いかなる真理でしょうか*18。それは恐らく、論理的真理か、分析的真理か、a priori な真理か、必然的真理のいずれかか、あるいはそれらのいくつかか、もしくはそれらすべてか、これらのいずれかであると思われます。今の場合、'p ⊰ p' という the Law of Identity が、これらのうちのいずれの真理であるかは、諸家によって見解が分かれるでしょう。論理的真理、分析的真理、a priori な真理、必然的真理をどのように規定するべきかについては、いまだに議論のあるところだからです。いずれにせよ、the Law of Identity は、それを構成する前件と後件の真理値が確定するならば、私たちの現実の世界から見て、いかなる可能な世界、可能な状況を通じても、真であるものと思われます。そうすると、the Law of Identity は必然的真理を表しているものと考えられます*19。仮に、the Law of Identity が必然的真理を表すとするならば、文 (惑星数 b) の前件は、必然的真理を表します。ところで、必然的真理の典型例として私たちがすぐに思い浮かべるのは、数学の真理です。そして私たちは、必然的な数学的真理から、何かが帰結するとするならば、その帰結した事柄も必然的な真理であると考えていると思われます。ここから推測して、必然的真理からは必然的真理が、かつそれのみが帰結すると考えられます。そうだとすると、文 (惑星数 b) の前件は必然的真理で、MP を使えば (惑星数 b) の後件

    • (惑星数 c) 2011年8月8日現在、太陽系の惑星の数は8個である

が帰結します。この文は、必然的真理から帰結しているので、必然的真理です。しかし、私たちは「2011年8月8日現在、太陽系の惑星の数は8個である」という文を、最初に偶然的な真理を表すものとして認めていました。したがって、文 (惑星数 c) は必然的な真理であり、かつ偶然的な真理です。これは言い換えるならば、しばらく前に得られた定理

    • (LI)' p ⊰ ( ( p ⊰ p ) ⊰ p )

は、必然的真理と偶然的真理の違いをなみする定理だ、ということです。


ところで C. I. Lewis さんの calculus of strict implication では、その特徴的な strict implication と strict disjunction を、必然性に基付いて定義していました。Calculus of strict implication が、必然性を土台に古典二値論理から構築されているものだとするならば、定理 (LI)' は、必然性をなみするものであり、これは C. I. Lewis さんの calculus of strict implication にとって、破滅的です。そこでは

    • C. I. Lewis' Logic in his ''Implication and the Algebra of Logic'' Collapses into Two-Valued Classical Logic

という事態が生じてしまっているからです。これが不義によって懐胎した様相命題論理の、咎に対する報いの結果なのかもしれません。


そしてその後、この結果を受けてか、C. I. Lewis さんは1918年の自著 A Survey of Symbolic Logic で罪の償いをしているようです*20。手元にある

  • C.I. Lewis  A Survey of Symbolic Logic, University of California Press, 1918

の p. 302 を見ると、

    • p ∧ q ∧ r

    • p ∧ ( q + r )

のことだと C. I. Lewis さんは記しています。この場合の '∧' は、私たちの 'V' であり、'+' は、現代の私たちの通常の選言 '∨' のことで、'p ∧ q ∧ r' と 'p ∧ ( q + r )' を私たちの記法に書き改めると、それぞれ

    • p V q V r

    • p V ( q ∨ r )

となり、この結果、破滅の元となった公理 (3)

    • ( p V ( q V r ) ) ⊰ ( q V ( p V r ) )

は、この公理 (3) とは別物の

    • ( p V ( q ∨ r ) ) ⊰ ( q V ( p ∨ r ) )

と改変され、災いの依って来たる所が封印されるため、破滅を免れうるという訳です。


さて、これで C. I. Lewis さんは罪の償いを終えたかのように見えますが、実はまだ終えてはいませんでした。この A Survey of Symbolic Logic から再び災いが C. I. Lewis さんの身に降りかかります。このお話は、可能ならば次回にできればと思います。


補遺: Quine’s Main Criticisms Directed to Quantified Modal Logic

この補遺は、少し長いので、当日記、2011年8月15日のページに up しました。お手数ですが、そちらをご覧下さい。


以上の記述に対し、誤解や無理解、誤字や脱字等がございましたら、お詫び申し上げます。

*1:Urquhart, p. 454. 但し、全く知られていないということではありません。例えば日本語の文献では、次の論文の該当箇所で、以下で今回私が説明する事柄に軽く触れられています。吉満昭宏、「C. I. ルイスと様相論理の起源」、『科学哲学』、第37巻、第1号、2004年の5ページ目後半で、四つの事柄が番号を付されて箇条書きされていますが、その第一番目がそうです。

*2:Quine さんによる様相論理批判、特に様相量化論理批判の point を、この日記項目の終わりで補遺としてごく手短に説明しています。Quine さんの批判の要点を簡略に知りたい方は、そちらをご覧下さい。PS この補遺は、少し長いので、当日記、2011年8月15日のページに up しました。お手数ですが、そちらを見ていただければと思います。

*3:W. V. Quine, ''Three Grades of Modal Involvement,'' in his The Ways of Paradox and Other Essays, Revised and Enlarged Edition, Harvard University Press, 1976.

*4:Quine, ''Three Grades,'' p. 176.

*5:W. V. Quine, ''Reply to Professor Marcus,'' in his The Ways of Paradox and Other Essays, Revised and Enlarged Edition, Harvard University Press, 1976, p. 177.

*6:但し、仮に不義によって様相論理が生まれたとしても、その子ら (relevance/relevant logic, provability logic) には罪はない、と考える人々もいますので、Quine さんの有罪宣告が、どの程度有効であるかは、今はここでは問いません。See Urquhart's paper.

*7:但し、繰り返しますが、本当に様相論理に罪があるのかどうかは、今は問いません。

*8:C. I. Lewis, p. 526. 但し、この論文では、strict implication として '⊰' という記号も、strict disjunction として 'V' という記号も使われていません。この論文ではまだ strict implication に対しても、strict disjunction に対しても、特別な記号は使われていません。

*9:以下の strict disjunction の説明では、'necessarily' という言葉を使って説明がなされていますが、上記の C. L. Lewis 論文では、strict disjunction の説明としては、必然性の概念をほとんど使わず、大部分が、真偽と否定の概念を使って説明されています。この論文では必然性やそれと類縁にある概念には、重点が置かれていないということです。この歴史的事実は、現代の様相論理の起源を考える上で、一応踏まえておく必要があることと思われます。

*10:C. I. Lewis, p. 523.

*11: '⊃' は条件法、'∨' は通常の選言。

*12:ここで C. I. Lewis さんは Principia Mathematica を参照するように促す註を付している。

*13:Lewis, p. 530.

*14:'∧' は連言。代数では乗法の記号を省略することがあるが、C. I. Lewis さんは論文中で連言記号を使わず省略している。ここでは連言記号を明示することにする。

*15:Alfred North Whitehead and Bertrand Russell, Principia Mathematica to *56, Cambridge University Press, Cambridge Mathematical Library, 1997, p. 13. 邦訳、A・N・ホワイトヘッド、B・ラッセル、『プリンキピア・マテマティカ序論』、岡本賢吾、戸田山和久、加地大介訳、叢書思考の生成 1、哲学書房、1988年、52-53ページ。

*16:全く同じだという訳ではありませんが、ほとんど同様のことが、次においても指摘されています。E. M. Curley, ''The Development of Lewis' Theory of Strict Implication,'' in Notre Dame Journal of Formal Logic, vol. 16, no. 4, 1975, p. 524. 追記 2011年8月10日

*17:Parry, p. 126.

*18:これ以降の説明において、'p ⊰ p' という式の真理の特徴については、Parry さんの説明にそのまま従うということはしていません。というのも、Parry さんは、'p ⊰ p' という式の真理を、tautology であるとも、分析的真理であるとも、必然的真理であるともおっしゃっており、tautology, 分析的真理、必然的真理の三つを無差別に、同じようなものとして扱って論じられていますが、現在の私たちは、これら三つを区別すべきであると考えるのが普通であり、一緒くたにすべきではないと考えられているため、Parry さんのごちゃまぜな説明を避けんがために、氏の説明にはそのままでは従っていません。以下の解説では、今の論点に関係のある必然的真理に絞って、話を展開することにします。

*19:'p ⊰ p' という式の真理性を、現今の可能世界意味論によって説明し、正当化するということもできるかもしれません。しかし、今私たちが取り上げている C. I. Lewis さんの論文が出版されたのは1912年であり、この時にはまだ可能世界意味論の影も形もなかったでしょうから、その後現われた最新の理論で (と言っても、それは今では最新ではないでしょうが) 過去の primitive な idea を評価することは、Procrustean Bed を持ち出すことであり、anachronism の誹りを免れないでしょうから、ここで可能世界意味論を持ち出して、その道具立てで 'p ⊰ p' という式の真理性を云々することはしません。ただ直感的に、'p ⊰ p' という式が必然的真理を表すものと考えておきます。

*20:Parry, pp. 129-130.